自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

自問自答のすすめ

”思考力”を自分のものにする

怒りとはなにか?『応用編』

 
うこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
ーーーーーーー

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今回の定義
怒りとは?【不快感に対する反応】
(ストレスそれ自体)
人はなにに怒るか?【限定されない】
どんな時怒るか?【不快と、思った時】
怒りやすい人とは?【不快と感じやすい人】

 

ーーーーーーー
目次
今回のお題や定義について、
皆さんはいかがお考えでしょうか。
私の定義にしっくりくる方もいるでしょうか?
 
 
(応用編は”私”の定義の活用例ですので、参考程度にご覧ください。)
ーーーーーーーーーーーーーーー0
 
この定義を使っていくと、
世の中に溢れる様々な言葉について、
どんな意味合いで使われているのか。
 
私の世界観で見ていくと、次のように捉える事ができます。
それでは今回の応用編の問答を始めます。
………………………………………

《悩み編》

 
問 腹がたつ人が職場にいて困る。
    イライラしやすいのを治したい。
 
あなたが怒っているのは、その人の"なにか"が不快だからだ。
そんな当然の事を言うな。と言われそうだが、これは重要なのだ。
 
その"なにか"を探ってみてほしい。
これが簡単ではないから、問題なのだ。
 
例をだしてみよう。
①あなたが、仕事を雑にする同僚に、ムカついているとしよう。
 
②なぜ不快なのか?考える。
仕事は真面目にするのが普通であり、
丁寧にすべきだと思っているとする。
 
③さらに、なぜそう思うか?
お客さんや、関係者が迷惑する。故意に迷
惑をかける事は、ダメだと考えているとする。
 
この③が、具体的な不快原因だと人は勘違いする。
この場合、『他人に迷惑をかける事』に不快を感じていると思い、その不満をぶちまけるのが通常だということだ。
 
これが、本当に自身の怒りの原因なら、
その不快原因を不快と感じないよう、環境を変えるか、自分の内心を変えればいい。
 
例えば
・人は人に常に迷惑をかけているものだという内心を持ったり、相手を理解しようとしたり、自分を省みて改善するための教訓を得たと思うようにしたりする。
・同僚に業務をきちんと行うよう、権力等を利用して圧力をかけたりする。
(このように、他人を変えるのは労力を要するので、通常は、自分を変える事をすすめる。)
 
人が通常思い浮かべる不快原因が本当の不快原因であれば、
これだけで、解決する問題なのだ。
 
しかし、これでは解消に向かわないのが通常だろうと思う。
 
あなたが本当に不快を感じているのは、『他人に迷惑をかける事』ではないのだ。
事実、その同僚以外の者が雑に業務をこなしていても、怒りが湧いたり湧かなかったりするのではないだろうか。
 
 
これは、理性で怒りの原因。すなわち不快の原因を突き止めるのは通常は困難であるということを示している。
あなた自身、なにが不快だったのか頭ではわかっていないのである。
 
"反応"が怒りであり、
筋道を辿って反応しているわけではないから、頭で原因を探っても分かりづらいのだ。
例えていえば、怒りは病気の症状のようなものだ。
病気の症状の原因は、お医者さんか、自身の生活を省みたりする事によってしかわからない。案外、他人のほうがあなたの怒っている原因をわかっていたりする不思議はここにある。
 
では、どうすれば"本当の不快の原因"を知る事ができるのか?
 
次にあなたが怒った時、自身をじっくり、観察してみてほしい。
 
怒りが湧き上がってきた時
呼吸はどうなり、鼓動はどうなり、
どんな言葉に胸のあたりが熱くなり、
どんな行動にどんなタイミングで、
なにをしたくなったのかをだ。
 
すると、だんだん見えてくるはずだ。
自分がなにに不快を感じているのかを。
 
本当は
同僚が早々と出世していく事にたいする嫉妬であったり、
同僚と自身を重ねた同族嫌悪であったり、
同僚が自分と仲良くしてくれない事からくる、間接的な自身の否定であったり、
本当は褒めてほしいだけであったりだ。
 
不快原因などは、正直人に言えるようなものでなかったりするが、それで良いのだ。
自分の問題なのだから。
 
 
部下を持った事のあるものであれば、これはおわかりではないだろうか?
ごちゃごちゃと自身に対しての小言を言う部下に『頼りにしてるよ』と言って、3日に1回ほどコーヒーを1杯奢ってやれば、その部下は自身に対しての様々な文句は言わなくなるものだ。
この場合の部下の主張は、
公正であるべきだの、私の業務態度が〜だの、バリエーションに富む。
しかし、彼の本当の怒りの原因は、
自分を認めてくれない間接的な否定に対する不快等からきていたという事だ。
 
一言で言えば、彼は褒めて欲しかっただけなのだ。
 
 
問 常に怒っている人は自信がない?
 
常に怒っている人には、何パターンかある。
まず、大別して2つ。
①故意に怒っている人
②偶発的に怒っている人
 
そして、その怒っている対象が、
a:自分 
b:その他
などの違いから、怒り方が全く異なる。
 
つまり、結論を言うと、
怒りっぽい人=自信がない。とは言いきれない。どんな怒り方をしているかにより、異なってくるのだ。
 
そもそも、自信家も怒りやすい人の特徴にあてはまるため、怒りと自信は結びつきにくい。やはり自信がないとは言い切れない。
 
自信の定義さえ世間ではあいまいだ。
 
 
 
 
 
①故意に怒っている人とは?
 
びっくりするかもしれないが、
わざと怒っている人が多く存在する。
怒りやすく、常に周りが気を使わなければならないような人(仕事以外のプライベート含め)は、
 
よくよく観察してみるとわかると思うが、
不快な出来事に偶然遭遇して怒っているのではなく、
不快になろうとして、自ら不快を感じるようなものに目を向けて、怒っていることがわかる。
 
 
では、なんのため、怒るのだろうか?
 
怒ると周りの人はどうなるだろう。
恐怖し、または面倒だと感じ、助言や苦言を呈すものは周りにいなくなる。
つまり、その当人の悪口を言うものはいなくなる。(じつは本人に聞こえないだけだが)
 
怒るという行動はすなわち、他者に制約をかし、自らが自由になる事だ。
 
常に怒る事による威圧によって、
・人に足を引っ張られる
・人に攻撃される。
・自分に利益のない事をやらされる。
・利用される
・自らの行動に口を出される
……
等、ようはなんらかの目的のため、人を近寄らせないようにしている場合がある。
 
怒りを利用しているのだ。
不快に怒ってはいるが、不快をやわらげるためではなく、怒る事そのものが手段なのである。
 
怒りを利用している例は他にもある。
怒りをエネルギー、原動力にする者もいる。
高い理想を掲げ、それとのギャップに怒り、
自らを鼓舞し、高い理想に怒りを利用して近づこうとする。
業界のプロフェッショナルに、仕事中だけやけに怒りやすい人を見たことがあると思う。
 
怒りは付き合い方を工夫すれば、強い武器にもなるのだ。
 
 
 
②偶発的に怒っている人?
 
これは通常の怒っている人と考えてもらっていい"偶然"不快を感じ、怒っている。という事だ。
 
 
 
怒りの対象について
 
a:自分への怒り
 
自分に対する怒りから、
常に殺気立っている者がいる。
 
こういった者は、
自分自身の"なにか"に対し、不快感を感じ、イライラしている。
なんだかよくわからないけど、イライラするといった状態だ。
 
そして、周りに当り散らしたりする、迷惑極まりない存在でもある。
 
 
こういった者は、案外
それを解消したいと思っている。
誰だってイライラしてばかりは嫌だ。
 
だが、怒るだけではもちろん、
自身の"なにか"に変化はないため、また"なにか"に漠然とイライラし、同じ怒りを繰り返す無限ループにはまっている。
 
こんな人の人生はまさに、
怒りという感情に支配された人生となるだろう。
 
 
怒りというのは不快に対する反応であり、
不快の原因を解決するわけではないから、"怒っても問題は解決しない。"のは当然の事だ。
 
自分から発する不快の原因を取り除くには、
不快の原因となっている自分の"なにか"と向き合い、改善し、自分を変えいかなくてはならない。
不快を取り除くには多少の理性と、努力が必要なのだ。
 
受動的、反応的に生き、自省を怠れば、延々と続く、漠然としたイライラに蝕まれ、『自分の人生』を歩む事などは到底できなくなる。
 
 
なぜか、普段からイライラする人等は、
自問自答や内省をぜひ、してみてほしい。実は、あなたが一番許せないのは、自分自身かもしれないのだ。
 
 
 
②他への怒り
 
業界のプロフェッショナルで、ずっと怒っている人を見かけた事があると思う。
理想と、現実に対する怒り等を、原動力とする者がいるのは、先に述べたが、その一例だ。
 
この業界のプロの取り巻きは大変だと思う。常に高い水準を求められ、それに見合わなければ罵倒されだろう。
これが他への怒りの例だ。
 
 
 
人々に軽蔑されているタイプのよく怒る人は、
怒りを利用しているわけではなく、
偶然出会った不快感に対し、よくカッとなって怒る人。
つまり
②偶発的に怒っている人たちだ。
 
確かに怒るとスッキリする。
不快が和らぐ。しかし、原因改善はしない
また同じ不快が訪れるかもしれない。
 
不快の原因は自分で制御できることが多い。
一言つけくわえたり、
事前に調べて置いたり、方法はいくらでもある。
 
それにもかかわらず、
よく怒るという事はつまり、
対処をなにもしてない。という事の表れである。
 
だから、他者からの評価は下がっていく。
受動的でネガティブかつ、知恵のない人だと思われ、自分自身も後悔だけが残る。
 
 
偶然的によく怒ってしまう人は、そもそも、自分ができることはなかったのか?考えてみてほしい。
むしろ、全ては自分に責任があるのだと、肝に銘じるくらいがいいだろう。
 
 
ーーーーーーーーーーーーー0

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《名言編》

(名言編は独自に名言を解釈していき、定義を応用していく)
 
問 血の気の怒りはあるべからず、理義の怒りはなかるべからず。
 
この言葉はさきにのべた。
①偶発的に怒るものと、
②故意に怒るもの
の事を言っていると解釈する。
偶発的に怒るな。
理性によって怒る事は必要だ。
と言っているのだと思う。
 
 
 
問 怒りは奇妙な用法を有する武器である。
他の全ての武器は、人間がこれを用いるものだが、この武器は我々を用いる。
 
(自由の定義参照)
怒りというのは反応。とすれば、反応がでてしまえば、その制約に縛られ、自由が効かなくなる。怒りに自負自身がコントロールされることになる。
であれば、怒りが出る前に、そもそもの怒りの原因を突き止め、消す努力をしなければならない。そうしなければ、怒りに支配される事になる。
 
怒る事は『怒りの奴隷』になる事だ。
 
 
問 怒るのは自分の知恵の足らなさを認めるようなものです。  孫正義
怒を敵と思え   徳川家康
怒ってばかりいると、人生がだめになる。
 
もし君が怒って破裂したところで
彼らは少しも遠慮せずに
同じ事をやり続けるであろう。
 
先の悩み編で大抵のことは述べた
怒る事は反応であり、不快感の原因に対処していない。
つまり合理的な解決策ではもちろんない。
 
 
 
『俺は過ちを犯してない』とか
『俺は何もしていない』とか
我々の憤りの多くはそのような文句で始まる。こんな文句を真に受けるべきではない。
ルキウス・アンナエウス・セネカ
 
 
怒っている人はしばしば、不快の原因を人のせいにする。
不快の原因に対して、自分の準備不足を責めない。
 
人のせいにしても状況は変わらない。
怒っている当人が影響できるのは、自分自身や身近な他人くらいなものだ。
影響できないところに怒っていても何も解決しない。
 
だからこそ、同じような問題に再び怒るといった事を繰り返し、知恵のない人だと思われる。
 
不快に対して怒ると同時に、
自分に責任があると思う事も不快だから、それに対して反応的に人のせいにする。
 
無意識によく怒る人がなぜ未熟と言われるのか。明らかだ。
 
 
 
問 理性は公平な判断を下すことを望むが、
怒りは下した判断が公平に見えることを望む
 
同じか、近い本質観だと判断できる。
 
私は応用編全般からわかるように、
怒りは自分の不快を和らげるための反応だと推測した。
 
とすれば、公平さよりむしろ、自分都合の結果を望む事になる。
不快じゃなければ、他のことはどうでも良い。そういった事を望む事。それが怒りだ。
 
 
怒っているものは、もっともらしい事を口にする。『公平であるべきだ。正しくあるべきだ。』と。
 
よく耳をすませてほしい。
そしてその怒っているものを取り巻く環境に目を向けてほしい。
 
まともな事を言っているようで、
実は自分自身が気持よければそれで良い。というのが大半だ。正義や公平さなどを、望んでるわけではないのだ。
 
クレーマー等そんな愚者達の意見等、放っておけば良い。
が、そんな中にある正論には耳をすまし、自身を省みても良いのかもしれない。
 
 
怒りは自分に悦び、へつらう感情である
 
怒りとは、
自分が不快を感じないように、
自分に媚を売っているといっていい。
 
不快の原因が自身にあるかどうかなど、関係ないからだ。そしてしばしば怒る人は不快を人のせいにする。
 
つまり、怒っているうちは、
自分自身が裸の王様。怒りはその家臣。
すなわち、怒っているあなた自身は、
自分に真実を告げず、YESマンをやっているのと同じだ。
 
王様が不快を感じたら、王様が例え愚かで、知恵遅れだとしても、
王様に不快をもたせたものを攻撃し、王様を擁護する。
 
王様の改善をするのではなく、
他を改善しようとする。もちろん王様が変わらないのだから、その王様の不快は再発する。
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このように、
自分の定義を作成しておけば、
 
今回であれば『』について、
時間をかけずとも、
自分はその対象をどう捉えているのかを把握したことにより、
瞬時にその他の解釈を生み出すことができます。
 
自問自答による『定義』というのは、
定義=数学の定理
のようなものであるのです。
 
以上
応用編を終えます。
 

 

 

怒りとはなにか?『考察編』

 
うこそ
 
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様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
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ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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今回の定義
怒りとは?【不快感に対する反応】
                (ストレスそれ自体)
人はなにに怒るか?【限定されない】
どんな時怒るか?【不快と、思った時】
怒りやすい人とは?【不快と感じやすい人】
ーーーーーーー
 
私は以前の記事でこのように定義を作成していきましたが、
『考察編』では、定義作成までの流れをご紹介します。
 
お悩みの方などは、
『応用編』をご覧ください。
 
(『考察編』は、実際に
『自問自答』をご自身で行っていただき、
テーマの本質をあぶりだす流れを体験していただく事を目的としていますので、
私の自問自答につきましては、
参考としてご覧ください。)
 
自問自答の方法については、
私のブログの読み方 をご参考ください。
ーーーーーーーーーーーーーー
❶辞書等、世の中の定義を集める
 不満・不快なことがあって、がまんできない気持ちを表す。腹を立てる。いかる。「真っ赤になって―・る」
 よくない言動を強くとがめる。しかる。「へまをして―・られた」
 
【不満や不快。強く咎める。叱る】
といっている。
つまり、辞書では①叱る事②怒り を分けている。
 
怒り(いかり、: anger)とは、人間の原初的な感情のひとつで、様々な要因・理由で起きるもの。例えば目的を達成できない時、身体を傷つけられた時、侮辱された時などに起きるものである[1]
憤り(いきどおり)とも言う。用言動詞的な表現としては「を立てる」「立腹」「カッとなる」「に来る」とも。
 
感情…感情(かんじょう)とは、ヒトなどの動物がものごとやヒトなどに対して抱く気持ちのこと。喜び悲しみ怒り諦め驚き嫌悪恐怖などがある(感情の一覧)。
 
 
怒りとは
【特定の原因ではなく、主になにかが危険にさらされた時に起こる事の多い感情】
とある。
感情というのはどうやらしっかりと定義づけはできないものらしい。
 
なんとなく定義がつかめたら次にすすみます。
 
 
 
❷言葉の使用例等を集める
 
鬱陶しくて怒る
息子の嘘に怒る
息子が本音を言ったから怒る
政治の汚職に怒(いか)る
部下を叱る  部下に怒る
上司を叱るx 上司に怒る
思い通りにいかなくて怒る
思い通りにいっていても怒る
自分が悪いのに人のせいにして怒る
自分は悪くないのに自分のせいにして怒る
自分に怒る 他人に怒る 親に怒る 動物に怒る
理想と違うから怒る
危険だから怒る
危険さがないから怒る(スタントマンわざわざ雇ったスタッフに起こったり…)
安全ばかり気にするから怒る
面白くないから怒る
金がもったいないと怒る
くだらない作品を見て怒る
本物が好きな人が偽物を見て怒る
偽物を身につける人に怒る
良作を馬鹿にする人を見て怒る
不倫する人に怒る 浮気に怒る
料理が不味くて怒る
料理が美味しいから怒る(まずい料理探しの企画でロケしていてスタッフに怒るとか)
誕生日を祝われなくて怒る
誕生日を雑に祝われて怒る
褒めてくれないから怒る
馬鹿にされて怒る なめられて怒る
不当な評価に怒る
裏切られて怒る
 
……省略……
 
まとめる
 
・怒りやすい人と怒りにくい人が存在する
・叱ると怒ると怒りは同じニュアンスではない。
・叱る…相手を正すような意味合い
   怒る…自己の願望のような意味合い
              かつ、カッとなる様等
   怒り…憤りに近い。行動的ではない。
対象は限定されない
   自分、団体、国、人間…
・怒る人はなんでも怒る
・怒る理由は個々の主観や勘違いもある。
・同情し、怒る場合もある。
…省略
  
パターンがある
・期待やビジョンとの不一致(そう思った時)
・思い通りに行かない時(そう思った時)
・攻撃を受けた時(そう思った時)
・不当な扱いを受けた時(そう思った時)
 
 
怒りを表す行動がある
   暴力的 攻撃的 顔を赤らめる 理性的でない
  …
 
 
 
❸仮説を立ててみて、一つ一つ自問自答し確定させていく。
 
この仮説は正しいように思う。
正しい。しっくりくる。と思った時点で仮説を確定してok
(確定したら、仮説の横に確定と書くとわかりやすいです。)
 
 
 
『叱るは違う意味』
叱る…の場合違和感があるが
怒る…の場合違和感を感じない。
叱るは意味合いが違うのかもしれない。
よって、一旦置いておく。
 
 
 
仮説①『怒りとは防衛的な感情』ー
 
正しいだろうか?
①例を出す
もう一度パターンを載せる。
・期待やビジョンとの不一致(そう思った時)
・思い通りに行かない時(そう思った時)
・攻撃を受けた時(そう思った時)
・不当な扱いを受けた時(そう思った時)
これらは全て、自分を守るためだと思うと辻褄は合うだろうか?
 
攻撃を受けた時や、不当な扱いを受けた時等は防衛的な感情なのだと、言って違和感はない。
 
・期待やビジョンとの不一致、
・思いどおりに行かない事。
 
これらから自分を守ると考えてみるとしたら、何を守っていると例えられるだろうか?
 
これらは、"ストレス"から自分を守っていると考えたらどうだろう。
 
こうすればある程度しっくりくる。が、そもそもストレスとはなにか?私は詳しく知らない。インターネットの情報になってしまうが、参考にしよう。
 
 
ストレスの語源
語源:工学の刺激などに対する反応の事
       ↓
変換:全身適応症候群がストレスに似てる
     ↓
現在:不快な刺激(そう思う事)によって生じる反応のうち、刺激の種類に関係なく生じる心身の反応の事。
 
…略……
 
ストレスというのは、不快な刺激によって生じる共通する(非特異的な)反応だとお話しました。
つまりストレスは、不快な刺激があってはじめて生じる反応になります。ではこの不快な刺激の事は何と呼ぶのでしょうか。
この不快な刺激は「ストレッサー(ストレス因)」と呼ばれます。
ちなみにストレッサーは「不快」という主観性を含む概念になっているため、何がストレッサーになるのかは人によって異なります。
 
……略……
 
ここまで読むと、実は私たちが普段使っている「ストレス」の使い方は、厳密には正しくない事が分かります。
ストレスというのは、不快な刺激によって生じる心身の「反応」なのです。血圧が上がったり、イライラしたりという反応が「ストレス」なのです。
対して普段私たちは、主にこの「不快な刺激」の事を「ストレス」だと呼んでいます。
「今の職場がストレスなんだよね」
「最近ストレスばかり・・・」
などというのは、正確に言えば正しいストレスの使い方ではないわけで、これは正しくは「ストレッサー(ストレス因)」になります。
 
………略……
 
 
ストレスは身体を守るために出ている症状であり、私たちにとって必要な反応なのです。
 
過度なストレスによって身体の病気が生じてしまうことを「心身症」と呼びます。また、過度なストレスによってこころが疲弊すれば「適応障害」「うつ病」などのこころの病気も生じます。
 
コルチゾールが大量に生成される体の反応等によって、様々な病気も引き起こすとおっしゃっている。
 
 
 
この記事に出会えた事でこのような事がわかった。
・ストレスとは不快な刺激に対する反応
・私たちのいうストレス(不快な刺激と思う事)は本当はストレッサー
・ストレスは不快な刺激から自身を守る又不快な刺激に打ち勝つ為の反応の事
・しかし過度なストレスは身体を壊すから
ストレッサーを調整したり、心身の調整が必要。
 
こう見ていくと、我々の考えるストレス(ストレッサー)から自分を守るという言葉はなりたつように思える。
そこですっきりする定義を直感した。
(直感が最も大事です。)
 
 
仮説②『ストレッサーによる、ストレスそれ自体』確定
 
わかりやすく言えば、
仮説③『不快感に対する防衛反応』確定
 
正しいだろうか?
…省略…
 
反応的に現れる感情の一つ。
なにも干渉もない状態では反応は現れない。
過去を思い出す事により、沸き立つ場合もある。
こういう意味で主に、ネガティヴ(消極的)な反応であると言われるのだと思う。
 
違和感はない。よって確定する。
 
 
一気に省略するが、ここまで定義づけをしたところで、あとはスラスラと確定していった。
 
どんなものにたいする防御?
『限られない。』確定
…………略……
 
どんな時に人は怒るか?
『不快だと思った時』確定
つまり、人により異なる。
…………略……
 
怒りやすい人とは?
『不快だと感じやすい人』確定
…………略……
 
先のよくある怒りの例をもう一度あげよう。
・期待やビジョンとの不一致
・思い通りに行かない時
・不当な扱いを受けた時
(そう思った時)
 
まとめてみると、
人はこのパターンで怒る事が多かった。
これらを不快だと思う人間がよくいるというわけだ。これらを不快だと思いやすい人間はすぐに判断できる。こんな人間ほど、これらのパターンで怒りやすい。
 
抽象的に言えば
・世間知らず。 (理想像の形成過程参照)
・傲慢な人間
・わがままな人間
・悲劇のヒーロー・ヒロイン
・視野が狭い
・理想が高い
・自信がない。
・被害者意識が強い。
・要求基準が高い
・正義感が強い
 
具体的に言えば、
・ビジョンは完成形だからビジョンであり、
期待は勝手な理想像に過ぎないのに、
あるがままを受け入れられず。
・全てが思い通りにいくわけがないのに、焦ってイライラし。
・不当だと思いやすく、すぐに傷つき。
・自分を客観視できていないだけかもしれないのに、自分は正当な評価を得られていないと怒る。
こんな人間だ。
 
 
 
相手の怒りに耳をすませば、相手がどんな人間か判断できる。
 
このパターンにおいて、人前で怒る人間というのは、大人の男としてはどうも、未熟さを感じる。
 
快、不快はある程度は受ける程度を調整できるはずであるし、
怒りが反応だとしても、不快感の原因を辿れば、自らに非がある事が多い。
 
にもかかわらず、
不快感を感じたからといって自分を省みる事なく喚き散らすのは、動物がする事だ。
 
 
怒るのも納得できる事例も確かにある。
パターンの1つ、
・攻撃を受けた時。(物理的 社会的)
などがそうだ。例えば
自分の人権を侵害された場合などはそうだろう。
そんな時は怒りをパワーに変えて戦うのもありだ。されるがまま相手を肯定するのは、おかしな話だ。
 
むしろ、そのための怒りという感情なのではないかとも言える。
誇りを傷つけられた時は、戦わねばならない。
 
 
そうはいっても、
世に溢れている日常的な怒りは人の未熟さからくるものが多いのも事実だと思う。
こらについては、応用編で再度述べたいと思う。
 
 
 
世間のテーマへの解釈や、
偉人達の解釈がなんとなく掴めたら次に進みます。
 
 
 
 
❹出た定義を覚えておく
 
 
ある程度仮説が固まったら定義を作ります。
どこかにメモしておくなどして、覚えておきましょう。
 
 
 
後書き
 
昨今では、
難しい本を読んで、難しい知識を得る事が、
素晴らしい事かのように錯覚しがちです。
 
分厚い哲学書などを読んで、
他人皆が納得せざるを得ない定義を探しても、あなたの人生には
対して役に立ちなどしないはずです。
 
自分で自問自答、哲学した上で、自分のだした答えのほうが、役に立っているはずです。
 
哲学書などは、これまでの偉人たちによる現代的な考え方に至るまでを学び
新たに自分で発想するための材料に過ぎないのです。
 
偉人たちは、一致してこう説いています。
 
最も重要なのは、
自分で思考し、答えを出す事なのだ。
と。

 

 

怒りとはなにか?『定義編』

ようこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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目次
[:contents] 
私たちは常日頃から、
イライラや怒りに遭遇しています。
 
それではそもそも怒りとはなんでしょうか?
なぜ人は怒るのでしょうか?
 
あなたにとっての、怒りとはなんでしょうか?
 
 
 
それでは、今回の定義を紹介します。
 
怒りとは?
不快感に対する反応
 
・ネガティブ(消極的)、受動的、反応的な感情
・その感情の目的については、知る必要もないので自問自答はしなかった。
(防衛反応なのか、たんなる反応なのか等)
これらは学問の話だ。不快な時に人は怒るとわかれば生活には充分生かせる。
 
今回の定義を言い換えると、
怒りとは?
ストレスそれ自体
不快感…ストレッサー
それに対する反応…ストレス
 
ストレスとはなにか?

 参照

 
私たちが使う『ストレス』というのは、
実は『ストレッサー』の事だそうだ。私はそれ自体が怒りだと推測し、しっくりきたため私の今回の定義とした。
正直なところ、感情というものについて、私自身あまりにも無知であり、恥ずかしい定義をしてしまっているのではないかと、モヤモヤする。
 
が、それも戒めとし、記述する事にする。
 
どんな出来事に人は怒るか?
限定されない
が、ある程度パターンが見つかったので後述する。
どんな時に人は怒るか?
不快だと思った時
つまり、人により怒る基準も、タイミングも異なり、
怒りやすい人とは?
不快だと感じやすい人
だといえる。
 
 
 
ーーーーーーーーーー0
《よく人が怒るパターン》
 
・期待やビジョンとの不一致
・思い通りに行かない時
・不当な扱いを受けた時
(人が不快だと感じやすい出来事であるから、実際まだまだ例はある)
 
 
よく怒るパターンを例に挙げたが、
このような出来事に対して"不快"だと強く感じる人ほどよく怒る。
先の例を参照すれば、例えば、こんな特徴のある人は怒りやすいといえる。
 
《怒りやすい人の特徴》
・傷つきやすい ネガティブ
・自己中心的
・反応的 受け身 
・世間知らず。 
・他力本願
・貧乏
・計画性がない
・ナルシスト
・傲慢
・わがまま
・悲劇のヒーロー・ヒロイン
・視野が狭い 瑣末主義
・理想、要求基準が高い
・被害者意識が強い
・正義感が強い
・自意識過剰
・短期的視点
…略…
 
具体的な事は応用編に述べた。
これは悪口ではない。パターンからわかる、怒りやすい人の特徴をただ、すらすらと並べただけだ。
 
相手の怒りに耳をすませば、相手がどんな人間かわかるという事でもあるので、怒っている人を見たら、何に怒っているのかよく聞いてみよう。
 
 
 
話が変わるが、
 
普段の生活においては、
人前で怒る人間というのは、大人としてはどうも、未熟さを感じる人が多いのではないだろうか。
 
快、不快はある程度は受ける程度を調整できるはずであるし、
怒りが反応だとしても、不快感の原因を辿れば、自らに非がある事が多い。
にもかかわらず、
よく怒る人というのは受動的、反応的で、
怒りを抑えるために、不快の原因を断とうとする積極性、理性的な面が見えない。
故に、怒っている人は自分の愚かさを棚上げして他に文句を言っている未熟者に見えるのだと思う。
 
 

では、

怒りという感情は、どんな場合にも未熟であると言え、抑えるべき感情なのだろうか?

 

 
筆者が唯一怒るべきだと思う事例がある。
 
それは人が怒るパターンの一つ
・攻撃を受けた時。(物理的 社会的)
などがそうだ。
 
自分の人権を侵害された場合などはそうだろう。どんなに対策をうとうが、
・期待やビジョンとの不一致
・思い通りに行かない時
・不当な扱いを受けた時
 
これらのパターンのように、
・攻撃を受けた時
については、心持ちだけの問題ではない。
 
 
例えば、
差別されたとしよう。(不当な扱い。)
それに対して、無知な相手や、愚かな相手を赦す心持ちを持つ事はできる。
 
事が思い通りにいかないとしよう。
それに対して、思いどおりにいかないのが常と思い、しょうがないから、やれる事はやろう開き直る事はできる。
 
攻撃を受けたとしよう。
これは心持ちではどうにもならない。
今、傷ついているからだ。守るためには怒らなければ、不快に感じるだけではなく、あなた自身が、大事な人が、壊れるだけだ。
 
むしろ、そのための怒りという反応なのではないかとも言える。
 
他者の攻撃をうけておいて、ニヤニヤと、
怒ってない私は素晴らしい。等というのは、その攻撃が痛くもかゆくもない、強者がそうした時カッコ良いのであって、
弱者がそれをしても、気持ち悪いだけだ。
 
平和が良いのだと言って、のび太がニヤニヤしながら、ジャイアンに殴り殺されたとして、のび太はなにが立派なのだろうか?
 
目的を達するために我慢が必要な時もある。
我慢こそ強さであり、素晴らしい行いである時もある。だが、それは怒るなということではないのだ。
 
誇りを。大事なものを守るためには怒らなければならない時もある。
 
そのため、
怒る事は未熟であると、一概に言い切る事はできないと私は思う。
愚かな怒る人と、愚かとは言えない怒る人の違い等については、応用編に述べた。
 
ーーーーーーーーーーー0
 
 
そんな気もするが、違う気もする。
とお思いでしょうか?
 
大丈夫です。なぜならこれは、
"私"の『怒り』に対する"定義"だからです。
 
あなたが納得できなければ、
あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"
が作成できるはずです。
(私のブログの読み方 参照)
 
自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?
 
次回、定義の考察編をご覧ください
 

自由とはなにか?『応用編』

うこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
ーーーーーーー

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今回の定義まとめ
自由とは?
【制約されない事】
制約の種類?
【①自然発生する制約②人工的な制約】
制約から完全に逃れられる?
【社会生活上不可能】
現代における自由人?
【一定の制約の範囲内で、自身を完全にコントロールする者】

 

ーーーーーーーー
今回のお題や定義について、
皆さんはいかがお考えでしょうか。
 
私の定義にしっくりくる方もいるでしょうか?
 
 
(応用編は”私”の定義の活用例ですので、参考程度にご覧ください。)
ーーーーーーーーーーーーーーー0
 
この定義を使っていくと、
世の中に溢れる様々な言葉について、
どんな意味合いで使われているのか。
 
私の世界観で見ていくと、次のように捉える事ができます。
それでは今回の応用編の問答を始めます。
………………………………………
《悩み編》
 
問 自由になりたい。
 
あなたは考えなければならない。
なんの制約に縛られたくないのか?をだ。
 
制約の数は無数にある
そのどの制約から自由になるのかが重要なのだ。定義編でも述べたが、完全な自由は現代の社会人においては不可能だ。
よって、縛られたくない制約を選び、その制約に縛られないための制約を作成する必要がある。
 
例えば、くよくよと小さな事に悩み、どうでもいい他者に怒りを感じ、日々ストレスを溜め込みがちな人がいるとする。
 
その人がもし、こんな自分が嫌で、もっと
楽しく生きて生きたいと願うなら、
一、毎日、楽しいと感じるもののみを意識して生活する。
 一、怒りは自らの弱さだと理解し、自らを戒め、きっかけをくれたその他者に感謝をする。
 一、小さな事に悩んでいる事に気付けたら、好きな音楽を聞くようにする。
等と適当に決意してみたらいい。
 
例えその決意が、
人に笑われ、愚かだと言われ、子供だと言われても、決意を貫く(制約を守る)事だ。
(変な信念でも良いのだ。あなたの自由なのだから。)
 
 
すると、これらを行う事で、このような制約からは逃れられている事になる。
・人目という制約
・小さな事にとらわれる等自尊心による制約
・怒りや憎しみという感情による制約
これらの制約から自由になった。という事だ。
 
 
もちろん、縛られたままで良いと思う制約に抵抗する必要はない。
 
例えばあなたが葬式や結婚式に出席する機会があるとする。
あなたは葬式に派手なドレスで登場しても良いし、結婚式に喪服で登場しても良い。
だが、他者の悲しみや喜びを自分の自由によって、邪魔したくないと思い、無難な格好で出席しよう。と考えるなら、あなたは常識という制約に抵抗しない事を決めたという事だが、それは大いに結構だ。
勝手にすれば良い。
 
信念の形成については、
理想像の形成と同じ過程で作ると良い。
 
理念
ビジョンを決定
細分化した信念を決める
 
生きる意味(色々…生きるとは?参照)
楽しく生きている日々(現在形にする)
・日々楽しい事を中心に探す
・…
・…
 
 
ただし、外側からの制約も日々変化するため、自身の信念や決意等、同じように制約というのは日々変化してよいものなのだと覚えておくと役に立つと思う。
理念もビジョンも徐々に大きくしていっても良いし、変化して良い。
 
 
《名言編》
 
問 人間を自由にできるのは、人間の理性だけである。人間の生活は、理性を失えば失うほどますます不自由になる。
トルストイ 思想家 小説家
 
理性とは
物事の道理を考える能力:辞書とあるが、
反対解釈すれば
ものの道理を考えず、反応的に生きれば生きるほど不自由になる。となる。
 
私の定義を元にそれを考えれば、
定義編で述べたが、不自由になる理由は、
自然発生する制約が原因だ。それに抵抗するために、人工的な制約を作る必要がでてくる。
そして、そのルールを作るのに必要なのが理性であり、それが自由を手にする基本のようなものだと言いたいのだろうと思う。
 
と私は解釈するが、これに対しては反論もあるとは思う。
 
 
問 
・自由とは、自由であるべく、不自由になる事である。
サルトル 哲学者
 
・反対の精神こそが、自由の土台である。従順さは奴隷の土台に違いない。
ソロー 思想家 作家
 
・自由であろうと望んだ瞬間に、人は自由となる。
 
これらの名言は私の定義においてのそれと、同じような事を言っている。
つまり、
・自由とは自己を制約する事
   (自由のための不自由になる事)
・制約に対する抵抗が自由 
   受け入れればがんじがらめになる。
・自身が自由を望む、信念を持つ事
等だ。
自由に対する本質観が似ている偉人達だと解釈できる。
本質観の似ている偉人を見つけたら、その書籍等に目を通せば、その先の深い思想に触れる事で、自分の視野も広める事ができる。
 
 
問 互いに自由を妨げない限度において、
我が自由を拡張する事、これが自由の法則である。カント
 
この名言は私の定義のその先を言っているように思う。
"一定の制約の範囲内で自身に制約をかす"というのが、私の現代的な自由の方法だが、彼の場合、さらにその制約を増やし続ける
事、それが『自由の法則』だと述べている。
 
私は無知なので、正直自由の法則がなんなのかわからない。
こういった、よくわからない言葉や先の思想を見つけたら、書籍やその言葉自体を調べると見識を広めやすい。
 
自問自答している段階では、まだ知識が足りないという事でもあると思う。
知識を増やし、さらに知恵を出す事で思考を深めていくことができる。
 
こういった発見は自身の思考の伸びしろでもある。『自由』という定義はまだまだ深いぞ。といったアドバイスのようなものだと考えたらいい。
 
こういった"その先"を示した名言や言葉は数多くあり、
まだ私自身が未熟なのだと痛感させられる。
 
 
 
問 自由は決して圧制者の方から自発的に与えられることはない。しいたげられている者が要求しなくてはならないのだ。
 
 
圧制者とは、私の定義編・考察編でいうところの"強者"。虐げられている者は"弱者"と言い換えるとわかりやすい。
 
『強者に弱者は自由を主張しろ』
 
と言っている。
これは、(力とは?の定義参照)
弱者は強者に思い通りにされる事からきていると思う。
 
 
 
(強さとは?の定義参照)
社会的弱者(主に暴力・数・知の基準)は、強者が許した制約の範囲内の自由でないと行えず、それに反すれば自らを傷つけられる。
弱者は力を持つものに虐げられざるをえない。そして、強者であればあるほど、自由を手に入れる。強者からの自由がなくなるためだ。
 
強者が弱者への制約の手を緩める事は、自らの自由を一部放棄する事と同じであり、
弱者の側から主張しなければならないというこの名言は、当然の事を言っていることになる。
 
 
弱者は、自由を獲得(強者による制約から)するには
①強者に主張するか,
②強者よりも、強くなる必要がある。
 
もちろん、強くなったところで、さらに強いものが出てくれば制約をかされる。
故に通常は強者にプレゼンする方法を試行錯誤するという側を選ぶと思う。
 
自ら強く鍛えても、弱肉強食が続く中を生き残るより、自らを虐げる強者が侵略などにより交代したとしても、
弱者がプレゼンを極めていれば、いつだって自由を主張できるからだ。
 
 
 
 
では、どう要求すれば良いのか?
 
弱者がこのような要求をするとどうだろう。
・強者は弱者のために苦労すべきだ。
    強者が苦しみ弱者を救う制約を要求する
・強者は弱者より傷つくべきだ。
   弱者のために血を流せ。
 
強者の側に立ってみてほしい。
『なにを言っているのだ?弱者は本来虐げられざるをえない存在。その自分を省みず、私が苦しみ自分は楽がしたい?甘えるなよ。
お前たちを苦しみの目に合わせてやってもいいんだぞ。』
こう考えてもおかしくはない。
 
実際世の中にはこういった制度はある。
社会保障生活保護などはその一例だろう。しかし、この保証や保護はなにも、弱者中心に出来上がったものではない。
強者である国の理念に沿い、長期的に国のビジョンに沿うからこの制度があるのであって、国民個人はたまたまたその国家がしいた制約により利益を享受できているにすぎない。
 
また、現代ではこのような自己中心的な主張を繰り返す事は許されてはいるが、そのせいで要求そのものが陳腐なものになりかねない。
 
 
 
想像してほしい。
あなたはスーパーの会社員だ。
登場人物として、40歳前後の女性アルバイトがいる。その女性は、時給に文句を言い、社員を馬鹿にし、作業に文句を言い、トイレのウォシュレットに文句を言い、仕事のできる青年に文句を言う。
 
彼女の主張は常に、自分勝手で、瑣末で、自己を省みず、典型的なうるさいおばさんだとしよう。
 
実はあなたの勤める会社には問題があり、
パートにろくに休憩時間を与えていない。
勤務時間も、1日15時間を超え、休日も月に1日程度しかない。
(この国には労働基準法なるものは存在しないとしよう。つまり、国は味方してくれない)
 
この彼女が『私たちパートに、休憩時間をよこせ。』との主張をした時、すんなりと会社員であるあなたは、それが重要な問題なのだと自覚し、検討を即座に開始するだろうか?
 
これが、要求の陳腐化に対する問題の例だ。
 
 
正しい要求の方法があるというのがここではわかる。
①何度も繰り返さない事
②重大なものを優先にする事
③自己中心的な主張をしない事
…などだ。
今後これは定義にしていこうと思う。
 
 
 
 
自己中心的な要求はしてはならない。
では、なにを要求すればよいか?
 
このように考えると、
強者と弱者の関係性からして、どう主張するのがベストなのか?といった問は、私の思いつきに偏ってしまうが、
・虐げないほうが強者が得をする
・自由を保障してくれれば、別に保証する。
・お互いのためになる制約を提案する。
等、強者も弱者側もメリットのあるような取引を持ちかける事だ。
 
つまり、
WIN-WIN】の制約への変更を要求をする事。それが弱者が自由を勝ち取るためにすべき、効果的な強者への要求だと思う。
 
力関係・強弱の例ーーーーーーーー
大国>小国≧地域≧団体>個人
多数派>少数派
賢者>馬鹿
ーーーーーーーーーーーー
参考

 

 

 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このように、
自分の定義を作成しておけば、
 
今回であれば『自由』について、
時間をかけずとも、
自分はその対象をどう捉えているのかを把握したことにより、
瞬時にその他の解釈を生み出すことができます。
 
自問自答による『定義』というのは、
定義=数学の定理
のようなものであるのです。
 
以上
応用編を終えます。

 

 

自由とはなにか?『考察編』

うこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
ーーーーーーー

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今回の定義まとめ
自由とは?
【制約されない事】
制約の種類?
【①自然発生する制約②人工的な制約】
契約から完全に逃れられる?
【社会生活上不可能】
現代における自由人?
【一定の制約の範囲内で、自身を完全にコントロールする者】

 

ーーーーーーー
 
私は以前の記事でこのように定義を作成していきましたが、
『考察編』では、定義作成までの流れをご紹介します。
 
お悩みの方などは、
『応用編』をご覧ください。
 
(『考察編』は、実際に
『自問自答』をご自身で行っていただき、
テーマの本質をあぶりだす流れを体験していただく事を目的としていますので、
私の自問自答につきましては、
参考としてご覧ください。)
 
自問自答の方法については、
私のブログの読み方 をご参考ください。
ーーーーーーーーーーーーーー
❶辞書等、世の中の定義を集める
 
辞書
 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「自由な時間をもつ」「車を自由にあやつる」「自由の身」
 勝手気ままなこと。わがまま。
 freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
 法律の範囲内で許容される随意の行為。
 
自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。
 

 

【まとめる】
・拘束・支配を受けない事。消極的
・自分の本性に従うこと。積極的
・わがまま 自分勝手
・法律内で、許される範囲の行為
・思い通りに振る舞える事
   
なんとなく世の中の定義が掴めたら次に進みます。
 
 
❷言葉の使用例等を集める
 
経済的自由
政治的自由
自由な時間
自由な人
自由な状態
個人の自由
自由研究
…省略…
 
 
まとめる。
・自由にも細かいカテゴリがある。
・人の目も制約の一部になる
・前提で守るルールがある。
・前提とする制約ありきで制約のないという意味の自由がある。
…省略…
 
 
世間のテーマへの解釈や、
偉人達の解釈がなんとなく掴めたら次に進みます。
 
❸仮説を立ててみて、一つ一つ自問自答し確定させていく。
 
 
仮説『自由は制約ごとに存在する』確定
 
正しいだろうか?
 
①例を出す。
刑法の範囲内での自由は、犯罪でなければ自由に振る舞える事になる。
だが、私は刑法内のルールのみを守って生活しているわけではない。
 
道端で急に大きな声で歌いながら走りだすのは犯罪ではないが、人の目を気にしてそのような事はしない。
 
飲食店で寝転ぶのは犯罪ではないし、
無茶な要求をするのも犯罪ではない。
しかし、お店の暗黙のルールを察してそのような事はしない。
 
 
この場合
・法律への自由と、法律からの自由
・他者への自由と、他者からの自由
・お店への自由と、お店からの自由
その他
・強者への自由と、強者からの自由等
(力とはなにか?の定義参照)
等が存在しているように思う。
 
さらに細分化していけば、
・刑法〇条への自由、刑法〇条からの自由
等無数に存在する。
 
この仮説は正しいように思う。
正しい。しっくりくる。と思った時点で仮説を確定してok
(確定したら、仮説の横に確定と書くとわかりやすいです。)
 
つまり、
『制約は無数に存在する。
それに対応する自由も無数に存在する』確定
 
 
仮説『自由は個体ごとに異なる』△
 
正しいだろうか?
①例を出す。
私の自由と他者の自由、
団体の自由や国の自由。
皆にとっての自由が存在する。
…省略…
 
②反対意見をだす。
個体ごとに存在しているわけではない。
自由とは一つの意味であり、
例え私と他者があっても、個体ごと自由を求めるわけではない。
…省略…
違和感があるが、それぞれ自由の意味が異なっているわけではない。
 
③修正する。
 
仮説『自由は個体ごとに存在する』確定
 
 
 
 
…省略…
危険だから外に出られない。
   危険から守るために鍛えなければならない
   
憲法 法律 条例 規則 条約 契約…
 
 
仮説『自由な者と不自由な者が存在する。』確定
 
①例を出す
力の定義でも参照したが、
力の強い者は弱い者を"思い通り"にできる。
 
つまり、力において弱者は不自由であり、
強者は自由という事になる。
力の定義ではそれ故、強者には責任がつきまとうと応用した。
 
簡単に作ったが、"力による制約"おいては、
このような図になる。
強国>弱国>企業>地域>団体>家族>個
左に行くほど自由。右に行くほど不自由だ。
 
国が国民に、〇〇をしてはダメだといえば
国民は〇〇をしてはならない。
(主にこれは法律)
 
すると、
〇〇への自由、〇〇からの自由といった、
〇〇という制約に対する自由という概念が新しく生まれる。
 
この場合他国の国民はその制約に縛られず、支配下にある国民のみがその自由という概念を共有する。
 
 
 
仮説『人は、②人工的なルール(制約)がないと、むしろ不自由になる』確定
 
正しいだろうか?
 
①例をだす
人々は全くの自由(法律がなく、約束もない)状態になると、それぞれが何をしても良い状態になる。
人を殺しても良いし強姦しても良い。
もちろん、それらから守るため相手を殺しても良い。となると、
殺されるのが嫌だから集団を作り、統制し、要塞を作るかもしれない。
これは無理やりそんな環境から作らざるをえなかったのであり、好き好んで要塞を作り、人を殺す訓練をしているわけではない。
もちろん、人を殺す事や奪う事に快楽を覚える狂人もなかにはいただろうが。。
 
そのような団体を作っても、
そこにルールがなければ、戦わなくても良いし逃げ出しても良い。となれば、要塞は破られるであろうし、奪い合いや憎しみ等は永遠に終わらないだろう。
全くの自由はむしろ、他者の自由に対して抵抗せざるをえないという不自由が、いたるところに発生する。
 
このような状態から、
奪い合いの勝者が他者の力を奪い、ルールをしき、その他の脅威に対する軍事力も高めながら、個の自由も制約の範囲内で認め、調整を図ったのが国であり、法律であるように思う。
 
…省略…
 
②反対意見をだす。
…省略…
 
 
人が作ったルールがなかろうと、
その他の暗黙のルールや制約が存在する事にもなる。そのため、ルールを人が作っていなくとも、暗黙のルールは存在し、不自由極まりない状態に陥る。
 
暗黙のルールや制約
例 強者からの要求という制約
   防衛のための訓練をせざるをえない制約等
   外を出歩けば殺されるかもしれない地域は、法律がなくとも外を自由に歩きまわれないという不自由が発生する。
 
 
仮説『制約の種類がある。
          ①自然発生する制約
          ②人工的に作った制約』確定
 
正しいだろうか
…省略…
 
人工的な制約の目的は次のようになる
・強者の自由のための制約(独裁制)
・個々(個人・社会)の自治等、自由の調整
 
自由の調整等のための制約はいわば、
・『強者による自由』と呼べる。
強者が制約を作る事で、その配下にある者は、力の強者による制約は受けざるを得ないが、そのかわりに"自然発生する制約からの自由"が強者により手に入る。
 
もちろん強者からの制約により、
強者からの自由・強者への自由は存在するが、強者による自由も存在する事になるという事だ。
 
これは日本国憲法自由権についての考え方等にもつながっていく。
『国家への自由・国家からの自由・国家による自由』についてだ。
 
 
仮説『制約や支配されている状態が不自由。
制約されず、支配されていない状態が自由』
確定
 
 
 
仮説『個々が完全な自由になる事は、社会生活を送る上では難しい』確定
 
①例をだす。
誰もいない野原で、誰の土地でもないのならば何をしても良い。
だが、そこに他者(動物含む)が存在する場合必ず制約が生まれる。暗黙のルールや制約が自然に生まれ、必ず不自由な状態になる。
また、ほとんどの場合力関係等から一方的にアンバランスな自由と不自由が生まれる。
不平等で、常に危険と隣り合わせの世界だ。
 
本当の意味での自由とは、
自己以外なにも存在しない事だと言えると思う。(災害も生物もなにもない状態でないと、自己への干渉が存在する時点で、制約が生まれる。)
しかしそれは、現代の社会生活を送っていくうえでは難しい。誰の協力なしに生きていくことも困難だ。
 
②反対意見をだす
…省略…
 
仮説『制約には、罰則があるものや、ないものとが存在する』確定
 
人目がある。という制約は、
人目を気にしない(制約を守らない)という信念を持つものを、人目を気にする人が見た時、"自由な人"というように表現される。
 
また、その制約を破っても罰則はなく、
たんに不利益の可能性があるだけだ。
(恐怖とは?の定義参照)
このような制約は、制約を守らない事により起こる事それ自体が罰則の役割を担う。
それ故、
 
仮説『現代においての自由人とは、
人工的な一定の制約の範囲内で、自身を完全にコントロールできる者だ。』確定
 
一定の制約の範囲内?
 
力関係において弱者である個人が、
力関係において強者である国の法律を破る事はかえって、刑が定められている事などからも、不自由を招く事は容易に想像できる。
まず、法律を守る事が必須となる。
また、世界の流れ(人種差別撤廃や女性の社会進出等)に逆らう事もまた、いずれ破綻を招く原則とも言え、そんな流れに従うことも必須となるだろう。
 
これは自然発生制約内の自由をとるか、
人工的な制約の範囲内の自由をとるか、といった話になるが、それを選択できるのは力関係の強い者だ。個人は結局弱者にかわりない。よって、前提として個人は、国の法律や、世界の大きな流れに従わざるを得ないのが実情だ。
 
 
 
 
自身を完全にコントロール
 
人は法律の範囲内においても、様々な自然発生する制約により、不自由となっている。
 
人の目(炎上や嫉妬)や、治安の悪い地域の外出や、恐怖による制約(恐怖とは?参照)や、マナー違反、自身の虚栄心や感情の揺れ動き等…
自身を様々な制約が縛り付けているはずだ。
 
外出先で急に叫んだり、海に急に飛び込んでみたり、飲食店で食器を鳴らして歌い始めたり、法律違反ではないが、
先の事を考えたり、恐怖があったり、様々な要因から普通の人は"出る杭"とはなっていないと思う。
 
これらの制約から自由になるためには、
これらの制約を気にしないという自身の中の制約が必要になる。
 
つまり、自己をコントロールするには、自身のなかに確たる意志や基準その他信念という制約を作っていく事が必要になる。
 
・人目は気にしない。
・恐怖は許容できる不利益なら気にしない
・マナーは過度に気をつけない。
・炎上への恐怖よりも、使命を貫く
・馬鹿にされてもいい。
・感情的にならない。
 
自身の決めたルールに従う事は自身による不自由ではあるが、結局人間は、
他者のルールに従うか、
強者のルールに従うか、
自然のルールに従うか、
自分のルールに従うか、
常に選択をせまられているという事だろうと思う。(完全な自由等は、そもそも条件が揃いづらく、社会生活を送る上では答えをだすことは不必要だとも思うので省略する。)
 
同じような人間があちこちに散見されるのは、自分の中に信念を持たず、様々な制約にがんじがらめにされているからだと取ることもできる。
 
 
私はこのブログで、【自分の人生を生きる】事をコンセプトとしているが、
もちろんここでの自分の人生を生きる事は、"自由人である事"を意味する。
 
自分の人生とは、強者の制約には従わざるをえないが、自分で築いた、基準や信念、意志に従って生きていく人生の事だ。
制約にがんじがらめにされた者が、自分の人生を生きているとは言えない。
 
人目を気にしすぎれば、他者の思う通り、望む通りの範囲内の人間であり、
恐怖に怯えれば、控えめで臆病なよくいる人間であり、
発言を常に気をつければ、よくいる可もなく不可もない、取るにならない人間であり、
馬鹿にされる事に恐怖すれば、何の挑戦もしないそのへんにいるおじさんやおばさんになる。
 
そんな人間は山ほどいて、
そんな人生は動物や虫と大差がない。
従うルールが虫や動物と違うだけだ。
 
人間はそんなに愚かな存在じゃないはずだ。
人間は自分を制約することのできる、唯一の存在のはずだ。
 
❹出た定義を覚えておく
 
ある程度仮説が固まったら定義を作ります。
どこかにメモしておくなどして、覚えておきましょう。
 
 
 
後書き
 
昨今では、
難しい本を読んで、難しい知識を得る事が、
素晴らしい事かのように錯覚しがちです。
 
分厚い哲学書などを読んで、
他人皆が納得せざるを得ない定義を探しても、あなたの人生には
対して役に立ちなどしないはずです。
 
自分で自問自答、哲学した上で、自分のだした答えのほうが、役に立っているはずです。
 
哲学書などは、これまでの偉人たちによる現代的な考え方に至るまでを学び
新たに自分で発想するための材料に過ぎないのです。
 
偉人たちは、一致してこう説いています。
 
最も重要なのは、
自分で思考し、答えを出す事なのだ。
と。

 

 

自由とはなにか?『定義編』

ようこそ

 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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自由になりたい。
自由きままに生きる…
様々な自由に対する言葉が世界には溢れています。
あなたにとって、自由とはなんでしょうか?
 
 
 
 
それでは、今回の私の定義をご紹介します。
 

自由とは?

制約されない事
束縛や支配されず、選ばざるをえないわけではなく、他の選択肢をも選べる事。
 
辞書等に、積極的な意味で本性に従う事をもまた、自由という。とあるが、簡単にいうと、
まず、自分の制約(本性)に従い
その他の制約(法律等)から、逃れる事を自由と表現するという事だ。
 
正確にいうと、確かに自分を制約している状態でも、自由と呼ぶ。ならば、制約されない事というのが定義では甘いのではないか?とお思いになるかもしれないが、"自身の"制約により、"その他の"制約から逃れる事であるため、結局制約を逃れる事が自由であるという側面に変わりはない。
 
若干疑念が残るかもしれないが、
混乱を生まないため、簡潔に"制約されない事"とした。
 
 

制約の種類?

①自然発生する制約 
   ②人工的な制約
 
①自然発生する制約の例
 
   ・災害による行動の制約
       道路が壊れていて外に出られない。
   ・環境による行動の制約
       天候が悪く外に出られない。
       暑くて汗を拭く動作をさせられる。
   ・他の自由による行動の制約
       治安が悪いと出歩けない。
       怖い人がいると近寄れない。
       虫が嫌で山に近づけない
       サメがいるからその海は泳げない
   ・人間関係による行動の制約
       嫌われるかもしれないから行動できない
       笑われるかもしれないから挑戦できない
   ・恐怖による行動の制約
       死ぬかもしれないから、できない
       怪我するかもしれないから、できない
 
…まだまだある。
 
②人工的な制約の例
   ・法律上の制約
   ・規則 社則 条例 条約 命令 
   ・信念や意志
 
 
 
豆知識ーーーーーーー0
 
  制約の役割
   ・強者の自由の強化(独裁維持)
   ・秩序の維持・保護(自由の調整)
   ・仕組みの体系化(モデル)
   ・自己の確立(意志の共有)
    役割は多岐にわたるようだ…
 
 制約と内容
    ・罰則のあるもの
    ・条件付きのもの
    ・期限付きのもの
    ・制約を破る事そのものが罰則的なもの
     等様々な内容のものが存在する。
 
ーーーーーーーーーーー0
 
 

制約から完全に逃れる事はできるか?

社会生活上は不可能
なにもない状態。なんの干渉もない状態でなければ、必ず制約が発生する。
 
 

現代における自由人?

一定の制約の範囲内で、自身を完全にコントロールする者
(考察編参照)
 
例えば、いくら経済的自由な人物だとしても、
人目が気になり、様々な恐怖に怯え、
社会を意識し、一般常識を守り…
といったように制約にがんじがらめにされると、
 
お金は不自由していないので、様々な自分磨きや創造が実際には行えるはずだが、
経済的に裕福である事と信念があるかどうかはもちろん比例せず、通常よくいるお金持ちのおじさん、おばさんになる。
実際あなたも、見かけた事があるはずだ。
同じような犬を飼い、同じような家に住み、
同じような事を考えているような者をだ。
 

自由に生きる方法?

確たる意志・基準・信念等、自身の意思で独自の制約を作り従う事
 
・人目は気にしない。
・恐怖は許容できる不利益なら気にしない
・マナーは過度に気をつけない。
・炎上への恐怖よりも、使命を貫く
・馬鹿にされてもいい。
・感情的にならない。
……
 
人工的な制約でかつ、罰則のある制約を無視すれば、むしろ、不自由になる。
国や地域などのしいた、一定の制約の範囲内にある事が、力関係において弱者である個人の自由の限界ともいえる。
 
起こる事それ自体が罰則としての効果のある制約の場合、その事実を許容できるのであれば、制約から解放される。
 
よって、一定の人工的なルール等の範囲内ではあるが、破っても構わない制約や、破りたい制約を見極め、自己に制約を課し"その意志"に従い、許容できる制約等は無視する。そうする事で、一定の範囲内であれば、自由な状態になる。
 
これは、インサイド・アウトの考え方と似ている。外側に適応化していけば、様々な制約にがんじがらめにされ、よくいる、つまらない人間が完成する。内側に制約を設け、外へ影響する事で、自身の世界を変えていく事や、本当の意味の自由を達成する事は不可能だが、現代の自由人になる事はできる。
 
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今回の定義まとめ
自由とは?
【制約されない事】
制約の種類?
【①自然発生する制約②人工的な制約】
契約から完全に逃れられる?
【社会生活上不可能】
現代における自由人?
【一定の制約の範囲内で、自身を完全にコントロールする者】
 
あとがき
 
自身のその形成した意志が、果たして自由な意志と呼べるのか?といった話などはここでとりあげなかった。
 
人は、恐怖を感じる"出来事"等があったが故に、①抵抗するか ②受け入れるか 意志を決定する。
つまり、最初のきっかけは偶然であり、
そこで形成せざるを得なかった意志は自由意志なのか?という話だ。
 
先の話をこの話で言えば、
①抵抗は大きな力には無意味だが、
   小さな力ならどうにかなる。
②受け入れるのなら、制約にがんじがらめになる。
 
①の抵抗が、現代におけるささやかな自由といったところだろうか。完全な自由ではないが、現代における最大限の自由は、個々の抵抗力により異なるということだ。
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そんな気もするが、違う気もする。
とお思いでしょうか?
 
大丈夫です。なぜならこれは、
"私"の『自由』に対する"定義"だからです。
 
あなたが納得できなければ、
あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"
が作成できるはずです。
(私のブログの読み方 参照)
 
自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?
 
次回、定義の考察編をご覧ください

男らしさとはなにか?『応用編』

うこそ
 
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”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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今回の定義
そもそも"らしさ"とは?(2つの意味がある)
【①特徴…(一般像) 
   ②あるべき姿…(理想像)】
理想像としての男らしさ?
【無数にあり、立場により異なる。】
その本質?
【"求める者"が勝手に決めた男の目標】

 

 
今回のお題や定義について、
皆さんはいかがお考えでしょうか。
 
私の定義にしっくりくる方もいるでしょうか?
 
 
(応用編は”私”の定義の活用例ですので、参考程度にご覧ください。)
 
それでは今回の応用編の問答を始めます。
ーーーーーーーーーーーー0
この定義を使っていくと、
世の中に溢れる様々な言葉について、
どんな意味合いで使われているのか。
 
私の世界観で見ていくと、次のように捉える事ができます。
それでは今回の応用編の問答を始めます。
 
……………………………………

《悩み編》

問 男らしくないと言われて傷ついた。

    女らしくないと言われて傷ついた。

 
解釈
私の定義から考えれば、
まず第一に、どちらのらしさか考えれば良い事になる。
①"オスとしての"らしさなのか。
②"相手にとっての"らしさなのかをだ。
 
好きな女性から言われたのではなく、
ただの他人や友人からこう言われたのだとしよう。
『弱々しく、男らしくない』
『荒々しく、女らしくない』
 
①の意味『オス・メスらしくない』と言っている場合。
開き直ってこう考えたら良い。
 
人はおもに、動物的でない部分があるからこそ、崇高な存在なのだとされる。
(考える事、ルールを守ること、客観視できる事、慈悲がある事、意志があること等…)
 
オスらしさとは"動物的・本能的"部分をさす。つまり、あなたは『人間らしい』と言われた事と同じなのだ。褒められたのだと思えば良い。
 
 
 
②の意味『自分にとって男の理想は強い事』で言っている場合
 
この意味で、『男らしい。女らしい』という理想像を描くものは"動物みたいな人間"を理想とする者だ。これも先のように、むしろ誇るべきなのだ。そのような人間に男らしい・女らしいと言われなかった事を。
 
 
ただし、これが①の意味で、
あなたの好きな女性や男性から言われたとなると、話が変わってくる。
好きや嫌いという男女間のトキメキにはしばしば、①の意味での"女らしさ・男らしさ"に関係する。
 
つまり、あなたが弱々しいと言われた事は、すなわち、あなたは魅力的ではない。と言われてるに等しい。
であれば、
 
 
あなたがどうしてもその相手に好かれたい場合、どうすれば良いか?
 
私の定義で考えれば、
相手の思うオスの特徴or理想像に適応化していけば良い
 
手段はそれぞれだ。
・オスの特徴を勉強し、演技する。
・相手の親について聞けば、相手の男性の理想像がわかる(定義編)
・女性は一般的に強さを求める。(定義編)
…なんでも良い。
あとは、PDCAの繰り返しだ。
 
 
気をつけなければならないのは、
その相手にとっての理想像・オスの特徴は、相手に聞かなければ絶対わからないという事だ。(偏見・ただの理想だから。)
 
 
 

問 男らしくなりたい。どうすれば良いか?

 
あなたは考える必要がある。
①動物らしくなりたいのか
②誰にとって男らしくなりたいのか。をだ。
 
また、それはなぜか?を考えるべきだ。
 
 
⑴ 大勢にモテたい場合
あなたが若いのであれば
オスらしく(①の意味)なれば良い。
オスらしさに女性は色気を感じるからだ。恋愛においてはオスらしさが売り物といっていい。
 
あなたがある程度歳も重ねているのなら、
"強く"なれば良い。
男性に『強さ』を求める女性が多いためだ。
現代においての強さは、
経済力・影響力・知性等であるから、これらの社会的な強さを磨けば良い。
 
 
 
⑵女々しい自分が嫌い
 
これは、簡単すぎる悩みだ。自分が好きになりたいのなら、オスの特徴に近づけば良い。
ビジョンに合致するように日々研鑽すれば良い。それで解決だ。
 
 
 
問 『男らしさ』等に縛られたくない。
      そのせいで、生きづらい
 
この悩みは面白い。恐らく、理想像(②の意味)の事だ。
個人個人で男らしさが違うので、振り回されているのだろう。
また、社会全体の求める男らしさが、ハードだと感じているのかもしれない。しかし、
それは当たり前だ。男らしさとは他人の理想像(勝手に決めたビジョン)だ。
つまり、社会や他人は"らしさ"という言葉を使って、赤の他人に、都合の良い完全を求めているのだ。そんなものに振り回されてどうする。
自分の思う男らしさを目指せば良い
 
 
 
 

《名言編》

問 自己制御の能力が充分な女を女らしいとは評さないのが男ではあるのだけど。
 
私の定義にあてはめれば、
①の意味だと思う。
男はメスを自分をコントロールできない未熟な存在だと捉えている。となる。一般像というのは、この人物の女性との経験量により偏見があり、一概には言えない。となる。
 
問 利益だけ考える女々しい男になるな。
 
利益を追求する事は女々しさだと言っているが、私の定義に当てはまるだろうか?
 
これはオスだろうが、メスだろうがよくいるから、おそらく理想像としてのらしさからきていると思う。オスらしさなどでなく、
本人の理想像が、男はそんな目先の利益だけ考えるかっこ悪い存在じゃない。というものなの等だろう。 
私からすれば、男らしさの押しつけにうつる。
 
問 最上の男よりも悪い夫は他にいない。
 
解釈
最上の男とは、オスらしい者の事だと思う。
これほど魅力的な者はいない。
だが、それがなぜ悪い夫なのだろうか?
 
普通オスとはどういった特徴をもつだろうか?考えてみたい。
暴力的 放浪 野蛮 乱雑 プレイボーイ 闘争…
挙げればきりがないが、現代の社会は、これらオスの特徴は、法律や慣習によって制御されている。
 
オスがオスらしくいられないのが、人間社会だ。浮気等もそうだ。一種の慣習、契約にオスらしさが制限されている。
 
 
それら社会のルールや夫婦としての契約等を一切守らず、
縄張り意識が強く、日々喧嘩を繰り返し、
女性等は力で奪い取り、使い捨てにし、母親違いの子供がたくさんおり、子が生まれれば、血を守るために戦い守る。
こういった人間が稀にいるが、極端に動物的で人間的ではない。
 
だが、こういったロクでもない男は、女からみると非常に魅力的だということだと思う。
もちろん、理性的な魅力というより、性的な魅力のほうだが。
男から見てもこのような暴君は恐ろしい。
オスとしての本能的な恐怖だろう。
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このように、
自分の定義を作成しておけば、
 
今回であれば『男らしさ』について、
時間をかけずとも、
自分はその対象をどう捉えているのかを把握したことにより、
瞬時にその他の解釈を生み出すことができます。
 
自問自答による『定義』というのは、
定義=数学の定理
のようなものであるのです。
 
以上
応用編を終えます。