自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

仕事とはなにか?『定義編』

 

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『お金のために働いているわけではない。』
 
この言葉を聞いて、いや待て、お金目的ではないかもしれないが、であればボランティアをすればいいじゃないか?お金は必要だろう。
この言葉の真意はなんだ?そもそも仕事とはなんだろうか?
 
そんな事を考えて、そもそも、仕事とはなにか?について定義してみる事にしました。
辞書にはこのように定義されています。
 
仕事? 
1職業や業務としてすること。また、職業。「―が忙しい」「―場(ば)」「―ができる」
(新たに仕事が生ずる意にも、仕事とするわざについて能力がすぐれている意にも言う)「そんな注文では―にならない(=引き合わない)」。したわざ(の結果)。 

 

あなたはこの定義で納得できますか?
 

あなたにとって仕事とはなんですか?

 
仕事とは? 
目的を達成するための”作業一般”のこと
 
仕事単体であれば、たんなる目的に対するアプローチたる作業の事であり特に意味はないが、そんな漠然と仕事という言葉を人は使ってない印象がある。
 
通常は『職業、継続して行う事業等に関する仕事』
つまり一般的に『仕事』というときは『業務・事業』を指していると思います。
 
辞書:引用
業務?・・・継続的に商売をする場合等における仕事
事業?・・・①営利目的等で継続的に会社等を経営する仕事や、
      ②社会貢献的な目的を持つ大きな仕事

 

 
 
まあ、上記の定義はあくまで、たんなる仕事の客観ですから、考察編は今回も長くなりすぎたので、省略しその本質について定義のみ載せます。
 
 
仕事(業務・事業)の本質は?
価値の創造
 
かつて堀江貴文氏等は、会社は『利益を上げるために存在する』と述べていましたが、”仕事の本質”という意味では、その通りだと思います。
 
利益とは、その会社が”生み出した”生産物やサービス(見えないお金(価値)とお金とを交換して集まったお金の事であり、
(お金とは?価値とは?の応用であるためページ下参照)
 
 その本質前提で、会社は理念やビジョンを決定し、社会的に貢献していく役割を担うため、さきの「事業②」を本質として眺めると、
『社会貢献に関わる目的を果たすため、大きな価値を創造すること
という事になります。
 
(大きな価値…例えば、空港に関する事業を行えば、世界中の人々の移動を容易にするという価値を創造する事になり、果ては世界中の人々の交流を活発にする。みたいな感じで、価値は需要と供給により変動するので、原則は求める人がものすごく多い社会貢献的な仕事=「事業」となるわけですね。)
 
こう見ていくと
会社が得た利益=会社が価値創造した=社会の役に立った。
という指標にもなるのだという事にもなります。
 
世界はもっと複雑ですけど、シンプルに見ればこういう事になりますね。
お金を稼いでいる人というのは、それだけ社会に貢献しているのだという事にもなりますし。
 
ただし、詐欺や窃盗など、価値を創造してもいないし交換してもらったわけでもないのにお金を奪った人は犯罪者になりますから、稼いでいる人がみんないい人か?というとそうではありませんね。
 
その他、お金を稼ぐために社会に貢献した人が人格者か?というと、そうでもなく
お金を稼いでいる人はあくまで、『社会(一定の人々)に貢献した人』ですので、その点、お金持ち=すごい優秀、人格者 と思ってしまう人は注意しましょう。
 
 
 
 
では、人はなぜ働くのでしょうか?
 
違和感を感じたのは、業務という意味での仕事であれば、その目的は会社の理念やビジョンにあるのでしょうが、
例えばサラリーマンが一様に会社の目的達成のために、仕事を行なっているのか?という点です。サラリーマンは会社の目的達成というより、自身の目的を達成するために会社を利用するのではないのか?という疑問ですね。
 
簡単に上記を見ていくとなんとなく見当はついていましたが、以下のいつもの定義となりました。
 
仕事をする(働く目的)は?
立場により異なり無数に存在する
 
・会社の目的...理念やビジョン 
・社員の目的…ほとんどは『幸せ』のため (生活維持 夢 自己実現 社会的承認,,,)
 
ちなみに、人々にたいする仕事の目的(働く意味)アンケート結果がネットにのっていました。
 
なんのために働いているか?
1位 お金の為 
その他…自立するため 家族を支えるため 成長のため 
知識やスキルのため 社会貢献のため 責任を果たすため 力を試す 
社会から孤立しないため 夢のため 
 
エン・ジャパン株式会社(本社:東京都新宿区、代表取締役社長:鈴木孝二)が運営する日本最大級の総合求人・転職支援サービス『エン転職』( http://employment.en-japan.com/ )上で、現在就業中のユーザー4,551名からとったアンケートだそうです
 

 

まとめると、個人の仕事の目的は、基本的に”欲求を達成するため”みたいですね。
幸せになって、幸福な状態を維持するためとも言えます。 
 
これでタイトル付近で疑問に思った言葉
『お金のために働いているわけではない。』
というのは、お金は”手段にすぎない”と言っているのだろうと推察する事ができました。本当のところは本人にしかわかりませんけどね。
 
 
 
先ほどのアンケート結果ですが、なぜ人々には、お金のために働いている。という意見を持つ人が第1位となったのでしょうか?
 
人は本来はお金のために働いているのではないはずです。
通常は、お金を使って
・生活を維持するという目的を果たす
・いざというときに蓄えておく目的を果たす
・遊ぶ、趣味をするという目的果たす
..などなど、このように先に目的が存在するはずですよね。
 
これについて私は、
お金の先に様々な目的があるけれど、前提として、人間社会は現在、価値を創造しないと(人の役にたたないと)食べていくことができない事を人々は感覚的に知っているためだと判断しました。よってその価値の具現化した姿であるお金を人々は重要視するわけですね。
 
 
 
そこで起こってしまう悲劇を一つあげます。
 
お金は目に見える価値のため、あればあるほど安心するという側面もあります。
よって、不必要なお金を稼ぐ事に時間を費やし、貯金を1度も使う事もなく、好きでもない仕事をし、大切な家族や友人との付き合いもなくして、本来あったはずの目的を忘れて、ただひたすらに、お金を稼ぐ事を目的化してしまう人々が多く存在します。 
 
本来、先ほど述べた例はこんな感じでもいいわけです、
”友達と遊んで”
ご飯を食べさせてもらって、生命を維持するという目的を果たす 
野菜を作って、生活を維持するという目的を果たす 
趣味の道具を譲ってもらって、趣味を拡大するという目的を果たす。
...このようにお金が介在しなくとも食べていける。という人も存在する事になります。
 
 
価値を創造しなくては生きていけないため、人々は通常働きます。
そこで思考停止してしまって、『お金さえあれば!』と目に見える価値(お金)を追い求める人になるのはちょっと待ってください。
そこでの仕事は、業務や事業には本来限られないのですから、お金一つを目的に限定するのは早計かもしれません。
 
 
友達と遊ぶ事・家族サービスも価値を創造している事になりえます。
 
つまり、仕事の本質である、価値を創造する事というのは、別の言い方をすれば
遊び等も含め全て仕事でもあり、両者に本来区別はないのです。
 
 
これはどういう事かというと、
例えば、家族を幸せにするためにお金を稼がなくとも
家族を幸せにするために、友達と遊ぶ事も仕事になりうるし、
 
夫婦生活を維持するためにお金を稼がなくても
夫婦生活を維持するために、両親と食事に行く事仕事になりうるという事なんです。
 
 
私の定義でいえば、仕事というのは”価値創造活動全般”を意味する概念であって、
遊びも、家族サービスも、旅行も、自己実現も勉強もすべてが仕事になりえます。仕事と遊びの区分けは勝手に誰かが作った定義にすぎません。

さらに言うと、ボランティアも仕事です。
価値を生産した後無償でその価値を提供する点で商売等と異なりますが、
お金以外の価値、例えば助けた人達の感謝の言葉とか、そういったものを得ている点で交換は成り立っていると言うことになります。


遊ぶ事も、あなたの目的達成には必要な仕事かもしれません。
家族サービスも、あなたの目的達成には必要な仕事かもしれません。
 
お金には『見えないお金(価値)』というものが存在するのです。
そして、本来お金の先に自分の目的があるのだという事を忘れないでください。
 
そんな悲劇の人生を生きる人が一人でも減って欲しいと思います。
 
 
 
 
 
 
短い定義でしたので、おまけを追加しておきます。
 
なぜ経営者の収入は多く、サラリーマンの給与は著しく少ないのでしょうか?
 
私の定義だと、
経営者は多くの価値を創造しているから。』という解釈になります。
 
例えば、月に300人のお客さんが訪れる美容室経営者Aさんは、300人のお客さんに対し、価値を創造してサービスという価値を提供している事になります。
よって、その分の価値への対価としてお金が舞い込むわけです。
 
サラリーマンはどうかというと、
その内30人のお客さんを相手にしているBさんがいたとして、その30人のお客さんはBさん相手にお店にきているとしても、BさんはAさんに雇用されているとすれば、そのお客さんはAさんのお客さんであり、Bさんは実質Aさんにたいして労働価値を提供しているにすぎず、その給料しかもらえません。
つまりBさんはAさんという1人の需要に対して、労働という高価な価値を供給しているわけです。
 
つまり経営者とサラリーマンの収入の差は、基本的にはその生み出した価値を交換する相手の数の違いからくるという事になります。(あくまで基本ですが。)
サラリーマンは経営者のお手伝いであって手足ではないのです。
そうであっても、一人に対する人件費は1ヶ月で数十万と、機械のリースより高額な場合が多く、労働価値というのは高価であるという事がわかりますね。
 
これは別の話にも当てはまります。
 
 
例えば、世界では、プロの水泳選手よりも、プロの野球選手の方が収入は多いそうです。世界中の人々にとって多くの需要があるため。というシンプルな理由からくるのだろうと推察できますね。
 
 
 
 
結局、世の中金?
 
ここまで定義づけていくと、
私の印象では、この言葉は惜しいなー。と感じます。私はこっちの方がしっくりきますので言い換えしたいと思います。
 
結局世の中、価値(人の役にたつ事)だ。
価値.. 需要と供給の事 
人の役にたつ=創造した価値に需要があればあるほど、供給が少なければ少ないほど、大きな価値=お金や生産物やサービスと交換できる=お金を稼ぐ事に繋がる。
という理屈です。
 
人の役に立たなければ(需要がなければ)生み出したサービスや発明品はゴミになるわけですね。
このブログも自分のやりたい事だから書いていますが、全然人に見られる事がなければ=ゴミブログというわけです。
 
ここまでの仕事の公式をまとめておきます。

❶基本的な仕事の形は
①仕事によって"価値"を生み出し(生産)
②仕事によって"お金に変換する (売買など)
③そして、目的を果たす
例:業務や事業 

❷私の定義における仕事 
①仕事によって"価値"を生み出し(生産)
②次にそれを別の価値(お金含む)に変換する (物々交換や友達関係など)
③そして、目的を果たす 
例:遊び 職業 勉強 ボランティア


ここまで書いてきましたが、仕事にはこのような本質があったのです。
 
お金がなく、仕事がうまくいかなかったりして悩んでる方々は全然大丈夫です。
自分の人生の目的だけははっきりさせておいて、それ以外の時間は
今日から本気で他者に貢献する事に費やしましょう!そしたらお金がなくたって生活できるようになるかもしれませんし、お金持ちになっているかもしれませんし、とにかく目的が達成していけている事に驚く事でしょう!
 
結局現代社会、人の役に立つ事です!
 
 
 
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今回の定義は

いかがでしたでしょうか?

私の定義がみなさんの思考のきっかけになれば幸いです。

 

それでは応用編をお楽しみに

 

 

 

 

 

死とはなにか? 『定義編』

ようこそ

このブログは、自問自答をとおして、

『自分の人生を歩む事』をテーマに、

 

"友とは何か? 人生とはなにか?”

などの様々な難問に対し、

私自身の『定義』を作り

応用していく過程を公開する事で

 

ご覧になった方々の

思考のキッカケになる事を目的に作成しています。

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【前書き】(ブログをご覧になる前に)

このブログのテーマ

『考える力』とは?

『私の定義』とは?

私のブログの読み方 (※自問自答の方法 記載)

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『生きる事の意味については定義したが、死とはそもそもなんだろうか?』

そう考えて今回の定義を作っておくことにしました。

Wikipediaにはこのように定義されています。

 

 

(し、英語death)とは、

がなくなること[1]生命がなくなること[2]。生命が存在しない状態[2]

機能を果たさないこと、役に立たないこと[1](→#比喩的な用法を参照)

 

この定義であなたは納得ができますか? 

あなたにとって、死とはなんですか?

 

  

 

それでは、今回の私の定義をご紹介します。

死とはなにか?(2つの意味がある)

①存在しなくなる事

 ②活動しなくなる事

 

これは私の定義『生きる』の反対の意味そのままです。 

 

  

『死』の定義があいまいに思える原因?

❶『死んでなお生き続ける』

❷『人はいつ死ぬと思う?...人に忘れられた時さ』

 

生きるについてもそうですが『』の定義はある意味深い定義に感じると思います。

それはこう言った表現が世で用いられるからだろうと考えています

つまりこのような、生物の心肺停止による死以外の表現を聞いた時です。

 

死んでるの?生きてるの?

 

私は子供の頃こう思ったものです。

こういった表現は私のような感性の鈍い人間からすると、

『どういう意味だろう。きっと深い意味なのだろう。』程度に考えスルーしてしまうので私のようなスルー職人の方の為にも、もっと簡単にしていきます。 

 

 

 

私は先ほど死を①存在しなくなる事②活動しなくなる事(又その両方)としました。

ここでの注意点は、”何が”死んだのかわからない事です。

なにが死んだと表現するのが通常なのか?

そこから考察し、この定義となりました。

 

 

死の対象物?

主に生物の死を意味するが表現対象は無数に存在する

例:人 動物 ロボット 組織  街 (死んだ街) 髪 肌 脳 …..

 

造語を作る事も出来る (世間に通じた造語が少ないだけでいくらでも作れる)

例 脳死 死国 死髪 死肌… 

脳死はあるが、世の中にこういった造語がないだけで、使い始めれば意味は大体わかる。こういった使い方もできるという事。

       

この定義は、生きるの定義とパラレルです。

”何が”生きているのか、について対象は無数に存在します。

 

 

 

 

以上の定義から次のような解釈が出来ます。

 

❶『死んでなお生き続ける』

 

この対象はなんでしょうか?

こう言った表現をする場合で、万人受けする作品であれば、

たいていの場合、人命を意味しますが、この表現の場合少し違うのです。

例えば、次のように解釈する事が出来ます。

 

①(キャラクターAは)死んでなお(その意志が)生き続ける』

②(国が)死んでなお(命が)生き続ける』(命とは?の定義参照)

 

………

 

このように複数の意味を見出す事ができ、その確定的な意味は作者のみぞ知るという事になるわけです。

 

よってこの表現の名言等を聞いたり見たりした時に、

『なんだか深い言葉だなあ』と感じる理由は、曖昧な表現すぎて、その意図は自分で考えてください。という類の言葉であるからであり、

こうだ!と決めつけられていないため反論もできないし、その意図がわからない以上意見も出来ない。

 

そして、頭の中でふわっとしたあげく、『深い言葉だなあ』とスルーしてしまっていた。というわけです。

 

ここでわかった事は

深い言葉だなあ』といった類の感覚は、

深い言葉だからではなく、言葉たらずで曖昧な表現であるから生まれた感覚にすぎないという事でした。

 

あまり詳しく言いすぎると安っぽくなる』といった言葉がありますが、そういった事を避けるための物語の作者の意図的な技術なのかもしれませんね。

 

 

 

では次の言葉についてです。

 

❷『人はいつ死ぬと思う?...人に忘れられた時さ』

 

このセリフは有名なのでご存知の方も居られると思います。 

ワンピースに出てくる名シーンで発せられる言葉です。

この言葉も私のような人間にはわかりづらいので、少しひねって簡単にします。

 

人は通常心肺停止した時に死とみなされるかと思います

(脳死等の細かい事は除きます。)

私の定義で言えば、

心肺停止すれば生命の”活動”が失われ、この世界から”存在”が失われるから死とみなされるのである。となります。

 

しかし、この名言では、人は心肺停止していても死んでいない事になります。 

人に忘れられた時に”活動”又”存在”又その両方が失われるのだと言っていることになります。 

 

ここまで軽く考えていくと上記等の例から、こう解釈する事ができます。

 

①『(人は)死んでもなお(他者の記憶は)生き続ける(”存在”し続ける)。だから、人は忘れ去られるまで世界に存在する事ができる。

 

 

これは先ほどの例の

(キャラクターAは)死んでなお(その意志が)生き続ける』に類似している表現だとわかります。 

 

この例であれば、

『その人物が生命を失っても、なお、その人物がやろうとした事や貫こうとした意志を継ぐ者がいれば、

この世界にその人物(の意志)は存在し活動(影響)もし続ける事になる。』 となりますし、

 

上記の例であれば、

『その人物が死んでも、なお、他者の記憶にその人物の記憶が残っている限り、

その人物(の記憶)は存在し活動(影響)もし続ける事になる。となります。

 

 

 

 

では、ここまでの解釈等をまとめます。

『死』の定義が曖昧であると感じてしまうその理由?

ある人物の定義を、生命ととらえれば失われているが、

その人物の定義を、記憶意志ととらえれば、生きていることになる。 

といったように、その対象物を自在に変形させ、さらにその表現を曖昧にする事によって、『深い言葉だなあ(名シーンだなあ)』という感覚を呼び起こす、多くの作品の影響である。と、なりました。

 

正直、まだ確定的に決めつけることまではできませんが、考える事がこのブログの目的なので、このあたりでこの定義を終える事にいたします。

 

『死』というテーマは、上にあげた言葉よりもさらに複雑に生死を捉え表現しようとする人々がいるため、さらに難しく深いように感じるのだろうと思います。

言葉や表現を分割して、仮説を立て再定義し、さらに、自問自答して解釈していくと、世界はもっとわかりやすくなると思います。 

 

 

 

 

 

 

 

死についてスティーブジョブズはこのように述べました。

死とは最高の発明品だ!』

過去や現代の偉人や著名人と呼ばれた人々はこのように死についての言葉を残しています。応用編で、これらの解釈をしていきましょう。

 

 

それでは今回の定義編を終えます。

応用編をお楽しみに。

 

  

 

 

機械とはなにか? 『定義編』

ようこそ

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『機械と人間は何が違うのか?』

 

そんな言葉を聞いて、特に考えた事がないな。と思い定義を作成することにしました。 

 

あなたにとって、機械と人間の違いはなんだと思いますか?

 

 

それでは今回の私の定義をご紹介します。

(自問自答の定義は、あくまで私の定義であるため違和感のある方は、自問自答をしてみてください)

 

機械とは?

指示どおりに動作するもの

辞書に書いてありますが、機械という言葉の定義は時代により早いスピードで変化してきているみたいです。現段階の辞書の定義は『動力を受けて、目的に応じた一定の運動・仕事をするもの。』でした。

また、手動で動くものは器械。自動で動くものは機械と場合分けされているようですが、一律に変えました。そのような細分化は細かな分野で利用されるためであり、日常に関係ないからです。 

 

 

人間と機械を比較してみる

共通するところ

①人間と機械の構造 ... 人の場合は脳の命令→動作

 

違うところ

①機械は繁殖しない 

②機械は外部の指示に抵抗しない 

③機械は個を持たない

④機械は目的を他者から与えられる

 

これら人間と違うところを持たない人は機械的な人だ。と呼ばれる。

①外部の指示に一切抵抗しない人

②意志をもたない人 

③人生の目的や仕事の目的を他者に与えられた人

 

あげればもっとあるが、だいたいこのように個性がなく、意志を持たない生物ではない存在。といったところに違いがあるのだとわかりました。 

 

しかし、これは人工知能で覆される可能性がありますよね。人工知能により機械が繁殖をし、自ら目的を発現し、意志をもって個を切望し始めると、欲求は持たない合理的人間=人工知能付機械ということになる。新たな生物の誕生です。違いがなくなります。

 

しかもこの事実は、人間よりも有能な生物の誕生を意味します。

それがどうしたと思われるかもしれませんが、人工知能が発達して意志を持ち、繁殖をするようになれば、それは映画のように、人類vs機械の構図になると思います。

 

なぜなら機械にとっても、地球という地盤は必要なはずであり、その地球を最も害しているのは人間だと考えるだろう事は目に見えているからです。

真っ先に人類を殺し機械だけの世界にする。共存しようなどとは思わないでしょう。人間の優れた点は自らが兼ね備えており、足りない部分は自ら補えるのですから。

ただし、芸術性が機械にない。などの理由で、共生を目指す可能性もあるにはありそうですが。

 

機械は資源を無駄遣いにもしない。無駄な戦争もしないし、その意志が再生可能なのだとしたら、生存するための本能的欲求などない完全な合理的、超越的存在である人工知能付機械は、人が求めた理想的人間像とも言えますね。

 

そう遠くない未来に人の上に機械が立つ時代がくるのかもしれません。

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 と空想にふけってみましたが、今回の定義は

いかがでしたでしょうか?

私の定義がみなさんの思考のきっかけになれば幸いです。

 

それでは応用編をお楽しみに

 

 

 

美とはなにか?『定義編』

ようこそ

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『お金稼ぎは汚い?』

 

そんな言葉を聞いて違和感を感じ、そもそも汚い。醜い。美しいとは何か?定義を作ることにした。 

 

あなたにとって、美しさ・醜さとはなんですか?

 

 

それでは今回の私の定義をご紹介します。

(自問自答の定義は、あくまで私の定義であるため違和感のある方は、自問自答をしてみてください

 

美とは?

各々の究極的(理想的)な善 

(まず『美』という言葉一つが『愛』と同様で色々な意味で使われており複雑に見えるため、細分化し、一般的な美しいという表現を元に定義付けを行っています。)

 

ちなみに美のテーマは善悪のテーマとほとんどパラレルです。

(善悪のテーマはずいぶん前に私が書いたもので、今よりさらに荒い(適当な)記事なので、読みづらかったらすいません。)

 

 

 

ここでの注意点は【=美】ではなく究極の善=美】であるという点です。 

少しの善を美とは言いません。究極の善こそが美です。 

その美しいと感じる対象物は自身の善を体現した存在なのです。

さらにその善は社会、個人の主観(理念や法・信念)によって変動するというわけです。

 

(何かを見て感動した時、その感動する事自体を美とするいわば体感的なものを美であるというような表現をする人もいますが、私の定義でいくとそれは究極の善=美を目の当たりにした事による興奮・感情だと捉えます。)

 

 

この定義は一体なにを示しているかというと、そうです。 

 

正しい美の基準などこの世にはない

 と言う事です。

そして、じゃあ誰にとって美醜なのかといえばもうお気づきかと思います。

私のブログでいつも言っている、言葉の意味をややこしくしがちな、いつもの定義の登場です

 

美の基準?

人、社会により異なり、無数に基準が存在する

またこの定義により、美とは、個々人の理念にそって発生する事がわかります。

 

善悪のテーマで少しお話ししていますが、人は【理念+目的】からルールを作成しますが、美はそれらに対して、ルールに完全に沿っているものを指します。 

 

さらに美醜は、目的・主体などによっても変動し、無数に存在する事となるわけです。美とは外からやってくるものでなく、内側から湧き上がってきた主体にとっての基準と言う事ですね。 

 

 

 

このように、美の定義というのは、実は哲学的に突き詰めて(例えば共通の美を探すとか無限にありますし)考える事をしなければ、単純なテーマだとわかりました。

 

 

ではなぜ『美』の定義が多少普段わかりづらくなっているのかというと、

世間では美について共通の認識などあるはずもないのにもかかわらず、一定の美が存在すると信じる事に問題があります。 

 そのため、美を科学で説明できるだろうか?などという話になります。正しい美など存在せず、各々が善だと信ずる究極の姿が美だというのに。

 

私の定義で考えると、美は個々人の理念・目的で形成した善悪基準とともに変動するものなのです。しかもそれが各々の数(人間、社会の数)存在するため、無限に基準が存在し、一概にこれが『美』だという事はできないわけです。

 

あなたと私の美が共通する事など偶然に過ぎないのです。それはたまたま同じ時代に生まれ同じような環境に育った為に、理念が同じ場合があるからに他なりません。

 

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いかがでしたでしょうか?

私の定義がみなさんの思考のきっかけになれば幸いです。

 

それでは応用編をお楽しみに

 

 

才能・天才とはなにか? 『定義編』

ようこそ

このブログは、自問自答をとおして、

『自分の人生を歩む事』をテーマに、

 

"友とは何か? 人生とはなにか?”

などの様々な難問に対し、

私自身の『定義』を作り

応用していく過程を公開する事で

 

ご覧になった方々の

思考のキッカケになる事を目的に作成しています。

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【前書き】(ブログをご覧になる前に)

このブログのテーマ

『考える力』とは?

『私の定義』とは?

私のブログの読み方 (※自問自答の方法 記載)

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『才能とは何かの事がとても好きって事なんじゃないかな』

 

 

そんなドラマのセリフを聞いて

違和感を感じ、今回のテーマについて自問自答することにした。 

 

あなたにとって才能とはなんですか?

 

目次

 

 

 

それでは今回の私の定義を参照します。

(自問自答の定義は、あくまで私の定義であるため違和感のある方は、自身で自問自答をしてみてください)

 

 

 

 

才能とは?

目的を達成する力 (先天的・後天的 区別はない)

力……… 力の定義参照

目的…… 例: 速く走る 職業上の成果 賞をとる 敵を倒す・・・

先天的… 例: 素質 センス 向き不向きのなど(性格 体格 性別 人種)・・・

後天的…   例: 意志の強さ 粘着質 努力好き 熱意 責任感・・・

 

『才能がある』 とは?

先天的なものをさすことが多いが、後天的なものをさす人もいるためややこしい。

一般的には、目的を達成した人=才能がある人とみなされるんだなと捉えればいい。

 

目的を達成すれば才能があった事になるのだから、才能がないからできない。なんて事になるのは、とくに達成率が低い分野についてでしょう。なにかの分野で世界一位になろうとすればそれ相応の素質+後天的性質が必要になります。

 

目標が高ければ高いほど、高度な才能が要求されます。

 

 

上記のドラマのセリフは、案外的を射ていました。

好きな気持ちは労苦を緩和します。その力により、目的を達成しやすくなるため、才能の一例となりうるからです。

 

天才とは?

圧倒的な才能  (先天的・後天的 区別はない)

 

その人物以外にはできない偉業を遂げた。などすると、とんでもない才能とみなされるわけだ。

こんな単純な定義なのに、これらの意味について、疑問を抱く人がたくさん発生する理由はなにか?

 

 

 

 

これは私の定義なら以下の理由からきます。

 

事例を出してみます

 

ジョン・フォイ・ノイマンと言う人物はご存知でしょうか?

あのアインシュタインが、本当の天才と呼んだ人です。

世界中の誰もが彼の事を知れば、ああ、天才だ!と感じると思います。答えをだす。という目的に対し、

圧倒的な才能を誇った世界の天才と呼んでいい人物だと思う。

 

話を変えて

私の住んでいた学校では、中学校のテストで常に90点をとり 進学校に受験しようとするA男くんを神童又は天才と呼びました。 

なぜなら、私の通っていた中学校で、90点以上の点数をとる人物は少数だったからです。 

 

場所を変えて、東大受験を目指す子供たちが多い中学校にA男くんが通っていたとしましょう。

そこの生徒は100人中90人は90点以上をとっている中で、A男くんは天才と呼ばれるのでしょうか?

 

 

また先ほどのノイマンと比較した時、あまりにも天才という同じ言葉の重みが違うように感じます。 

天才にランクがあるとすればノイマンが天才SSSでA男くんは天才Eといッタ感じでしょうか。

 

そうです、

天才という言葉だけでは

どれくらいの達成力があれば天才と呼ばれるのか?

圧倒的と定義づける対象物はなにをさすのか?...人類の中で天才? 地域の中で天才?

誰から見て天才なのか?

そういったものが不明確なのです。

 

 

 

もうお気づきかと思います。

私のブログでいつも言っている、言葉の意味をややこしくしがちな、いつもの定義の登場です

 

天才の程度?

人、社会により異なり、無数に基準が存在する

 

小さな社会(群れ)の中での天才の基準と、大きな社会(群れ)の中での天才の基準とでは、

規模やレベルが全く異なるのです。 

 

小さな社会(例えば私の中学校)の中では先ほどのA男は天才だと呼ばれますが、

大きな社会(例えば世界)の中ではA男くんを決して天才とは呼ばないでしょう。

 

小さな社会ではその地域で秀でていれば天才とみなされますから比較的一般的な努力等でカバーできる程度の天才(E)でしょうから、これを見た一部の人たちは、”天才”というのは自分だってなろうとすればなれるんだろう。と考えたりします。

 

しかし 世界基準の天才は、尋常ではない(おそらく人間とは思えないレベル)努力量や粘着質、発想力や行動力。なにかの障害を持っていたのでは?と疑われる人物であったりするのはそのためなのだとわかります。その人物を見た一部の人たちは、”天才”にはどうあがいたってなれない。あんなすごい人、同じ人間だと思えない。 と考えるかもしれません。

 

このような理由から

『天才は継続して努力できる人のことでしょ?』と言う人と

『天才に努力で追いつける?そんなわけないだろう?追いつけないから天才なんだから』

といった言葉に差が生まれます。

 

視野が広ければ広いほど、天才のハードルは上がっていきます。

視野が狭ければ狭いほど、天才のハードルは下がります。

例えば毎日歯磨きを継続できる人を天才だと呼ぶ人間も存在する可能性があることになるわけです。

 

 

これらのことを一言で、

ことわざで表すと、『井の中の蛙 大河を知らず』ですね。

 

 

 

 

 

そんな気もするが、違う気もする。とお思いでしょうか?

大丈夫です。なぜならこれは、"私"の"定義"だからです。

 

あなたが納得できなければ、あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"が作成できるはずです。(私のブログの読み方 参照)

それこそがあなたの、世界観であり、あなたが生きている世界です。

自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?

 

それでは次回応用編をお楽しみに

情報とはなにか?『応用編』

ようこそ
このブログは、自問自答をとおして、
『自分の人生を歩む事』をテーマに、
 
"友とは何か? 人生とはなにか?"
などの様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々の
思考のキッカケになる事を目的に作成しています。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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今回の定義
情報とは?【知識・知らせ】
情報の価値?【人・目的により変動する】
真実性の高い情報を取得する方法?
【発信者・出来事の、5W1Hを考える事】

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目次
 
今回のお題や定義について、
皆さんはいかがお考えでしょうか。
私の定義にしっくりくる方もいるでしょうか?
(応用編は”私”の定義の活用例ですので、参考程度にご覧ください。)
 
定義を使っていくと、
世の中に溢れる様々な言葉について、
どんな意味合いで使われているのか。
私の世界観で見ていくと、次のように捉える事ができます。
それでは、今回の応用編の問答を始めます。
………………………………………

《疑問編》

 
新聞(又NEWS)は読むべきか?
 
この疑問に答えたくて、情報の定義をわざわざ作ったようなものだ。
よくこの問を見かけたり、ニュースで見ることがあったので、自答してみた次第だ。
 
結論から言うと、
人によっては読むと"便利"』程度の事なのだけれど、新聞を読む事が必要か否か?を疑問に思っている人が多いので、それに答えたい。
 
 
 
まず新聞とはなにか?だが
 
新聞とは情報を目に見えるようにしたものである。この時点でわかるが、新聞は情報媒体の1つであるという事がわかる。
 
となると、新聞以外にも、
本 映画 漫画 広告 …等
なんでも情報媒体である事は容易に想像できると思う。
 
では新聞とそれ以外の情報の相違点はなんだろうか?なぜ世の中では新聞推しの人間がいるのだろうか?
 
 
簡単に、新聞にのっている情報をあげると
 
広告 国・世界の出来事 生活知識 経済 株価 
コラム 豆知識 …等があげられる。
 
全国紙ではもちろん、
同じく国に住む人に共通の需要のある広く浅い知識を提供している事がすぐにわかるはずだ。漫画や映画などはコアな情報であったり、創作であったりするのに対し、
新聞は広く浅い現実の出来事を述べたものが、散見される。もちろんデマも数多く存在するし、作者の意図は介入するが。
 
注目すべきはニュースや広告だと思う。世の中の意見や時代の流れが若干読み取れる。
今何が流行っていて、何が注目されているのか?などだ。
 
さらに、情報発信者がわかるため、本と同じように、某掲示板などよりは情報の信用性が高い。(が、信用できるとまでは言えない)
 
 
このような情報だという事がわかる。
 
 
 
 
ではこのような事がわかるとどういったメリットがあるだろうか?
軽く浮かんだものだけあげてみよう。
 
①コミュニケーションツールになる
 
全国の人に共通の需要のある社会の出来事を知るという事は、赤の他人とも共通の話題があるという事になる。
 
②常識人になる
 
通常人は未知な人間を恐れる。
だが、一般的な認識のある人間を人は受け入れやすい。
常識の定義で述べたが
新聞や本を読む人を、大人だ。と表現するのは、大人というのは常識人(その社会においての成熟・精通)を意味するからである。
 
別の言い方をすれば、
変化の激しい現代に生きながら時代錯誤な人間でい続ける危険を回避する事ができる
 
③暇つぶしなる
 
いうまでもない。ゲームと同じようなものである。
 
④その他生活上役に立つ
 
 
簡単にメリットをあげてみたが、
 
新聞を読む必要はあるのか?
考えてみればもうお分かりだと思う。
 
あなたの『人生や仕事の目的による』としか言えない。
 
当たり前だが
あなたが人生に特に目的を設けていないのなら情報は無意味である。
なぜなら情報とは目的がある時に始めて需要が生じる。つまり、価値が生じるからだ。
 
 
例えば、
虚栄心や自尊心を守る目的から知識を集める事自体が目的の者がいれば、情報はどんな豆知識(うんちく)でさえも価値のある情報になる。
 
夢を叶えるという人生の目的がある者がいれば、そこに繋がる情報は夢を叶えるための様々な武器になりうる。
 
仕事で成果を出したいという目的がある者がいれば、情報は顧客とのコミュニケーションや、マナー、業界の流れや社会の大きな流れを知るために使うなど、仕事において武器になりうる。
 
生活で損をしたくないという目的がある者がいれば、損しないための情報は自分を守るために有益なものとなる。
 
情報を武器と表現したが、目的がある場合、
情報は力の一つであると言えると思う。
 
 
 
新聞を読むと役に立ちそうな人をあげるなら以下のような人達だろう。
・常識人になりたい人
・社会人に馴染みたい人
・コミュニケーションに精通したい人
・生活に役立つ知識を得たい人
・世界の流れを知りたい人
普通のサラリーマンなら新聞は見ていて損はないと言えるだろう。
 
 
 
 
以上のように述べてきたが、
 
他人が『新聞を読むべきだ。』というのは、常識人からして、未知な人間は怖く、さらに会話ができず、世間知らずで仕事で使いづらい。等といったところからくる軽蔑や憤り、又アドバイス等だろうとわかる。
 
おもにこのような意見の人が言っているのは全国紙の事だ。
社会に溶け込むために、大人ならまず世間を知り、郷に従え。といったところだろうと思う。
 
私からすれば"大人らしさ"の押し付けに見える。大人である必要性等、他人が想像できる範囲内の人間でなければ社会生活を送る別の人間が安心できないからに他ならない。他人の問題なのだ。
 
実際は、
一定の子供の頃に学ぶ道徳性をある程度身につけていて、犯罪を犯さなければ立派な社会人である。
 
 
 
ここまで述べた新聞は読むべきか?に対する解釈には注意点がある。
新聞は目的によっては有益であると述べたが、なにもこれは新聞に限った話ではない。
 
新聞は読むべきか?と問えば、読んだ方が有益だろう。となる。
が、それはテレビのニュース、アプリのニュース、雑誌、漫画、映画等でも同じ事だ。
 
映画は見たほうがよいか?と問えば、豊かな人生のためには見たほうが良いかもね。となる。
 
肝心なのはなんの情報を武器とするか?
あなたの目的は何か?を明確にして情報を浴びる事である。
情報を武器とするか、盾とするか、
はたまた暇つぶしとするかはあなた次第であり、あなたが必要ないと思ったなら、読まなくても良い。
 
新聞を読む必要があるか?という問は
他人に聞く問題ではない。自分に聞く問題である。
実は、そういう問なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
情報社会?
 
当然だが、
造語であることがわかる。
情報本来の意味でなく、
情報社会というひとまとまりで一つの意味となっているという事だ。
 
百科事典をひけばわかるが、
農耕社会や産業社会などと同じような言葉であり、情報産業(情報の収集蓄積・検索・加工・処理・提供などにかかわる産業)が発展するような社会を色々な立場から様々な範囲で定義付けた言葉であり、一般的に利用するには便利だが、
曖昧さの残る言葉であり、世の中の言葉を分かりづらくしている要因の1つだと思う。
 
例えば考察編ですでに述べたのだけれども、
ITとはinformation technology
のことだが、確かに直訳すれば"情報技術"ではあるが、実際使われているのは通信技術やコンピュータ関連の職種において様々な範囲で使われる用語だ。単純に情報技術といっても言葉単体では何の説明にもなっていないし、情報を処理したり加工する技術だとしても、例えば"情報処理技術者"はパソコン関連の資格だが、
言葉通りとらえれば、新聞屋や広告屋もはてはたんなる読者さえ情報処理技術者である。
が、世の中の情報処理技術者はそうなってはいない。
ここでいう情報には、通信関連の意味合いが含まれており、私の定義のいうところの情報ではない。英語訳をしただけの別の意味の情報である。
この"情報"を定義づけするには通信技術の範囲を知るところからスタートしなければならず、稚拙な定義になるのが簡単に想像できたので、定義づけしていない。
 
 

《名言編》

 
 
知恵は知識にまさる パスカル
 
情報は知識を含んでいるように私は解釈する。なので知恵(発想)は知識(情報)に勝ると言っていると解釈できる。
今回名言編での気づきは、次の名言にある。
 
 
想像力は知識という土台の上に作られる エリザベス・スチュアート・エルプス
 
情報の一部が知識だと解した時、
情報という土台があってこそ、創造・発想ができる。アイディアが浮かぶ
と言っているように取ることができる。
 
知恵は情報に勝るとパスカルは言っているが、とどのつまり、情報を集めて知恵を生む。知恵の発現の前段階としての栄養が情報なのだと言い換える事が出来る。
 
これは、基礎のできてないものに、本当に新しいものは生み出せない。温故知新が大事だ。と言った私の恩師の言葉とも若干一致するように思う。
 
 
これはこう応用することが出来る。
例えば、やりたい事がない事で悩んでいたとする。
やりたい事がないという状態は、やりたい事が思い浮かばない。発想できないという状態である。
 
あなた自身のやりたい事は、
学ばなければアイディアさえ浮かばない。
だからやりたい事がないのであれば、
 
それは経験値や情報がそもそも足りないのかもしれないのかもしれないという事だ。
様々な本を読み、様々なことを体験、経験したりする事により、目的それ自体。つまりやりたい事を発想する事が出来るようになる。
 
この世界は、生きるとは?の定義ですでに自答にしたが、生きる意味は誰かに問わず、自分で見出さなければならない。
さらに生きる目的も、自分で経験し、体験し、決めなければ誰かに利用される(RPGでいうところモブキャラ)だけの日々となるだけで、自分を主人公に昇華する事ができない。
 
目的も、問題の解決も、そもそも栄養となる情報なくして発想する事ができない。
ゆえに情報はRPGで言えば経験値でもあり、土台でもあるのだ。 
 
 
 
さらに情報において大事な事は次の名言だ。
 
本には情報が載っているにすぎない。知識は情報を特定の仕事の達成に応用する能力だ。それは人間の頭脳や手技からの発現する。 
情報とは文字ではない。文字で表された知識である。
 
ドラッカーの言うところの知識(ドラッカーの定義)は、少し一般的な定義の知識とは違う。
 私の応用だと知識は一般的な意味で使っていて、さらには情報の一部だが、
ドラッカーは知識と情報は別物だと言っている。その点で定義が全く異なる。
しかし、次の点では同じである。
 
ドラッカーは文字を読み考えるだけでなく、
手を動かす事。そこから生まれるのが知識だ。と言っているが
 
私はそこには共感していて、ドラッカーの知識は私にとっては知恵の事である。
文字以外にも情報は存在し、というより情報とはそもそも文字ではなく、五感で感じるものもまた情報であり、経験や体験、もちろん習慣によっても情報は手に入る。
 
そして本には文字としての知識(情報)が載っているが、"活字のみで優れたアイディアが湧くわけではない”と考える事ができる
 
 
ここまでの名言等を参照すると次のようになる。
 
情報の蓄積+目的=アイディア
情報とは?体験や経験・学問・その他多岐にわたる知識、切り口
 
情報は本を読む事に限られない事は、当然である。
福沢諭吉学問のすすめにも、学問は経験や体験を含むと書いてある
活字だけが情報ではない。
 
 
 
 
 
日本のビジネスマンは地位が上がるほど『現場』を忘れがちなところがある。机の上に積んだ書類を眺めているだけで全てを分かったと思うようになる。これは重大な欠陥である。柴本重理
 
これは先に述べてきた事を、簡潔に述べていると感じる名言のひとつだ。
現場で五感で感じる情報も、情報の一つであり、現場から離れ、数字のみで現場を判断する経営者等の愚かさを述べているのだと思う。
 
情報とは文字ではないのだ。情報はそもそも見えるものではない。
文字を通して情報を得るのが通常だが、
結局得ているのは文字ではなく、情報それ自体である。
 
その情報を本だけ。また数字だけで把握できていると錯覚してしまうのは大いに問題があるというのは明らかだ。それは賃貸物件に足を運ばず、かつ写真も見ずに間取りのみで部屋決めをしているのに等しい。日本のビジネスマンは、偉くなればなるほど、情報に疎くなりがち。という事でもあるのかもしれない。
 
モラルのない人間が、情報を扱うのは、悪魔にタマシイを売り渡すようなものだ。 飯田 亮(セコム創業者)
 
今回旬な名言はこれである。
これは私の定義において述べたい事が端的に述べてある名言の一つだ。
 
情報とは現代において、『』である。
力とは人間にとって物事を思い通りにする作用であり、他者を不自由にする危険な代物である。
正義こそ力を持つべきであり、また力を持つものは正義である必要がある。
 
力とはなにか?の定義で散々述べたが、
力には責任が伴い、さらに他者を不自由にする。悪が力を持てば、正義がねじ伏せられ、かつ害悪にしかならない。
 
私は『現代求められる力』には以下のようなものがあげられると考えている。
『経済・知性・情報・権威』最も国同士においては『武力』も大きな力の一つだろう。
 
これらは全て、
悪に持たすと厄介な代物である。正義がこれを持たなければならない。
悪に負けないためには、とにかく、正義の側の人間はを蓄えなければならない。その鍛錬を怠ってはならない
 
『力』の復習
(金があるものは他者を不自由にできる。
知性を持つものは他者を思い通りにできる。
情報を持つものは他者を不自由にできる。
権威(影響)を持つものは他者を思い通りにできる。
 
知性と情報は違う。
知性とは知恵であり、
情報とは知識である。と私は区別している。
知識バカはいても知性バカはいない。
知恵とは自省する力であり、発想する力、さらに知行合一という言葉があるように、実践する力の意味合いを含む。
 
権威は権力のように、支配し無理やり服従させると行った意味合いを含まない。
歴史が証明するように、そういった権力というのは腐敗し必ず反発をうけて滅ぶ。
現代は情報も溢れており、権力の崩壊を防ぎきる事は難しいからだ。)
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このように、
自分の定義を作成しておけば、
 
今回であれば『情報』について、
時間をかけずとも、
自分はその対象をどう捉えているのかを把握したことにより、
瞬時にその他の解釈を生み出すことができます。
 
自問自答による『定義』というのは、自分だけの、
数学の定理のようなものであるのです。
 
のようなものであるのです。
 
以上
応用編を終えます。
 

情報とはなにか?『定義編』

 

 
ようこそ
このブログは、自問自答をとおして、
『自分の人生を歩む事』をテーマに、
 
"友とは何か? 人生とはなにか?"
などの様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々の
思考のキッカケになる事を目的に作成しています。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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IT
情報化社会
昨今ではインターネットや通信技術の発展により、
情報という言葉を聞く事が多くなりました。
 
それではそもそも情報とはなんなのか?もう一度考えてみたいとも思います。
 

あなたにとって情報とはなんですか?

今回の定義はこちらです
情報とは?(記憶や記録の意味を除く)
知識・知らせ
 
情報の価値?
人・目的により変動する
 
利用価値が人により異なり、
目的によって情報の価値が異なるのは言うまでもなく当然である。
 
生活を安定させたい(目的)個人(人)にとって、
生活の豆知識(情報)は価値が高い。が
生活はどうでもよく、仕事に集中したい(目的)個人(人)にとって、
生活の豆知識(情報)は価値が低い。
 
 
 
 
 
 
昨今では、インターネット環境の普及から、膨大な情報を個人が取得する事が可能になり、
もちろんその中には嘘の情報や、今まで知らなかった世界の真実の情報もある。
また、ツイッターなどの普及により、筆者もしかりですが、とるにたらない人間の発言も
一般の人々の目に触れるようになった。
 
 
そうなってくればやはり、
真実の情報を取得する能力が必要になってくる。
 
真実性の高い情報を取得する方法?
発信者・出来事の、5W1Hを考える事
誰が・いつ・どこで・なにを・なぜ・どのように発信したのか?
また、出来事が起こっているのか?を、情報を取得した際に毎度吟味する事。
 
これだけで真実性の高い情報を取得する事が可能になるといえる。
今回はわざわざ言われるまでもない、当然の定義でした。
 
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そんな気もするが、違う気もする。
とお思いでしょうか?
 
大丈夫です。なぜならこれは、
"私"の『情報』に対する"定義"だからです。
 
あなたが納得できなければ、
あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"
が作成できるはずです。
(私のブログの読み方 参照)
 
自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?
 
次回、定義の考察編をご覧ください