仕事とはなにか?『定義編』
仕事?1職業や業務としてすること。また、職業。「―が忙しい」「―場(ば)」「―ができる」(新たに仕事が生ずる意にも、仕事とするわざについて能力がすぐれている意にも言う)「そんな注文では―にならない(=引き合わない)」。したわざ(の結果)。
あなたにとって仕事とはなんですか?
仕事とは?
辞書:引用業務?・・・継続的に商売をする場合等における仕事事業?・・・①営利目的等で継続的に会社等を経営する仕事や、②社会貢献的な目的を持つ大きな仕事
仕事(業務・事業)の本質は?
仕事をする(働く目的)は?
なんのために働いているか?1位 お金の為その他…自立するため 家族を支えるため 成長のため知識やスキルのため 社会貢献のため 責任を果たすため 力を試す社会から孤立しないため 夢のためエン・ジャパン株式会社(本社:東京都新宿区、代表取締役社長:鈴木孝二)が運営する日本最大級の総合求人・転職支援サービス『エン転職』( http://employment.en-japan.com/ )上で、現在就業中のユーザー4,551名からとったアンケートだそうです
なぜ経営者の収入は多く、サラリーマンの給与は著しく少ないのでしょうか?
結局、世の中金?
今回の定義は
いかがでしたでしょうか?
私の定義がみなさんの思考のきっかけになれば幸いです。
それでは応用編をお楽しみに
死とはなにか? 『定義編』
ようこそ
このブログは、自問自答をとおして、
『自分の人生を歩む事』をテーマに、
"友とは何か? 人生とはなにか?”
などの様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
ご覧になった方々の
思考のキッカケになる事を目的に作成しています。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (※自問自答の方法 記載)
『生きる事の意味については定義したが、死とはそもそもなんだろうか?』
そう考えて今回の定義を作っておくことにしました。
Wikipediaにはこのように定義されています。
死(し、英語: death)とは、
この定義であなたは納得ができますか?
あなたにとって、死とはなんですか?
それでは、今回の私の定義をご紹介します。
死とはなにか?(2つの意味がある)
『①存在しなくなる事
②活動しなくなる事』
これは私の定義『生きる』の反対の意味そのままです。
『死』の定義があいまいに思える原因?
❶『死んでなお生き続ける』
❷『人はいつ死ぬと思う?...人に忘れられた時さ』
生きるについてもそうですが『死』の定義はある意味深い定義に感じると思います。
それはこう言った表現が世で用いられるからだろうと考えています
つまりこのような、生物の心肺停止による死以外の表現を聞いた時です。
死んでるの?生きてるの?
私は子供の頃こう思ったものです。
こういった表現は私のような感性の鈍い人間からすると、
『どういう意味だろう。きっと深い意味なのだろう。』程度に考えスルーしてしまうので私のようなスルー職人の方の為にも、もっと簡単にしていきます。
私は先ほど死を①存在しなくなる事又②活動しなくなる事(又その両方)としました。
ここでの注意点は、”何が”死んだのかわからない事です。
なにが死んだと表現するのが通常なのか?
そこから考察し、この定義となりました。
死の対象物?
『主に生物の死を意味するが表現対象は無数に存在する』
例:人 動物 ロボット 組織 街 (死んだ街) 髪 肌 脳 …..
造語を作る事も出来る (世間に通じた造語が少ないだけでいくらでも作れる)
脳死はあるが、世の中にこういった造語がないだけで、使い始めれば意味は大体わかる。こういった使い方もできるという事。
この定義は、生きるの定義とパラレルです。
”何が”生きているのか、について対象は無数に存在します。
以上の定義から次のような解釈が出来ます。
❶『死んでなお生き続ける』
この対象はなんでしょうか?
こう言った表現をする場合で、万人受けする作品であれば、
たいていの場合、人命を意味しますが、この表現の場合少し違うのです。
例えば、次のように解釈する事が出来ます。
①(キャラクターAは)死んでなお(その意志が)生き続ける』
②(国が)死んでなお(命が)生き続ける』(命とは?の定義参照)
………
このように複数の意味を見出す事ができ、その確定的な意味は作者のみぞ知るという事になるわけです。
よってこの表現の名言等を聞いたり見たりした時に、
『なんだか深い言葉だなあ』と感じる理由は、曖昧な表現すぎて、その意図は自分で考えてください。という類の言葉であるからであり、
こうだ!と決めつけられていないため反論もできないし、その意図がわからない以上意見も出来ない。
そして、頭の中でふわっとしたあげく、『深い言葉だなあ』とスルーしてしまっていた。というわけです。
ここでわかった事は
『深い言葉だなあ』といった類の感覚は、
深い言葉だからではなく、言葉たらずで曖昧な表現であるから生まれた感覚にすぎないという事でした。
『あまり詳しく言いすぎると安っぽくなる』といった言葉がありますが、そういった事を避けるための物語の作者の意図的な技術なのかもしれませんね。
では次の言葉についてです。
❷『人はいつ死ぬと思う?...人に忘れられた時さ』
このセリフは有名なのでご存知の方も居られると思います。
ワンピースに出てくる名シーンで発せられる言葉です。
この言葉も私のような人間にはわかりづらいので、少しひねって簡単にします。
人は通常心肺停止した時に死とみなされるかと思います
(脳死等の細かい事は除きます。)
私の定義で言えば、
心肺停止すれば生命の”活動”が失われ、この世界から”存在”が失われるから死とみなされるのである。となります。
しかし、この名言では、人は心肺停止していても死んでいない事になります。
人に忘れられた時に”活動”又”存在”又その両方が失われるのだと言っていることになります。
ここまで軽く考えていくと上記等の例から、こう解釈する事ができます。
①『(人は)死んでもなお(他者の記憶は)生き続ける(”存在”し続ける)。だから、人は忘れ去られるまで世界に存在する事ができる。』
これは先ほどの例の
『(キャラクターAは)死んでなお(その意志が)生き続ける』に類似している表現だとわかります。
この例であれば、
『その人物が生命を失っても、なお、その人物がやろうとした事や貫こうとした意志を継ぐ者がいれば、
この世界にその人物(の意志)は存在し活動(影響)もし続ける事になる。』 となりますし、
上記の例であれば、
『その人物が死んでも、なお、他者の記憶にその人物の記憶が残っている限り、
その人物(の記憶)は存在し活動(影響)もし続ける事になる。となります。
では、ここまでの解釈等をまとめます。
『死』の定義が曖昧であると感じてしまうその理由?
ある人物の定義を、生命ととらえれば失われているが、
その人物の定義を、記憶や意志ととらえれば、生きていることになる。
といったように、その対象物を自在に変形させ、さらにその表現を曖昧にする事によって、『深い言葉だなあ(名シーンだなあ)』という感覚を呼び起こす、多くの作品の影響である。と、なりました。
正直、まだ確定的に決めつけることまではできませんが、考える事がこのブログの目的なので、このあたりでこの定義を終える事にいたします。
『死』というテーマは、上にあげた言葉よりもさらに複雑に生死を捉え表現しようとする人々がいるため、さらに難しく深いように感じるのだろうと思います。
言葉や表現を分割して、仮説を立て再定義し、さらに、自問自答して解釈していくと、世界はもっとわかりやすくなると思います。
死についてスティーブジョブズはこのように述べました。
『死とは最高の発明品だ!』
過去や現代の偉人や著名人と呼ばれた人々はこのように死についての言葉を残しています。応用編で、これらの解釈をしていきましょう。
それでは今回の定義編を終えます。
応用編をお楽しみに。
機械とはなにか? 『定義編』
ようこそ
このブログは、自問自答をとおして、
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"友とは何か? 人生とはなにか?”
などの様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
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思考のキッカケになる事を目的に作成しています。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (※自問自答の方法 記載)
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『機械と人間は何が違うのか?』
そんな言葉を聞いて、特に考えた事がないな。と思い定義を作成することにしました。
あなたにとって、機械と人間の違いはなんだと思いますか?
それでは今回の私の定義をご紹介します。
(自問自答の定義は、あくまで私の定義であるため違和感のある方は、自問自答をしてみてください)
機械とは?
『指示どおりに動作するもの』
辞書に書いてありますが、機械という言葉の定義は時代により早いスピードで変化してきているみたいです。現段階の辞書の定義は『動力を受けて、目的に応じた一定の運動・仕事をするもの。』でした。
また、手動で動くものは器械。自動で動くものは機械と場合分けされているようですが、一律に変えました。そのような細分化は細かな分野で利用されるためであり、日常に関係ないからです。
人間と機械を比較してみる
共通するところ
①人間と機械の構造 ... 人の場合は脳の命令→動作
違うところ
①機械は繁殖しない
②機械は外部の指示に抵抗しない
③機械は個を持たない
④機械は目的を他者から与えられる
これら人間と違うところを持たない人は機械的な人だ。と呼ばれる。
①外部の指示に一切抵抗しない人
②意志をもたない人
③人生の目的や仕事の目的を他者に与えられた人
あげればもっとあるが、だいたいこのように個性がなく、意志を持たない生物ではない存在。といったところに違いがあるのだとわかりました。
しかし、これは人工知能で覆される可能性がありますよね。人工知能により機械が繁殖をし、自ら目的を発現し、意志をもって個を切望し始めると、欲求は持たない合理的人間=人工知能付機械ということになる。新たな生物の誕生です。違いがなくなります。
しかもこの事実は、人間よりも有能な生物の誕生を意味します。
それがどうしたと思われるかもしれませんが、人工知能が発達して意志を持ち、繁殖をするようになれば、それは映画のように、人類vs機械の構図になると思います。
なぜなら機械にとっても、地球という地盤は必要なはずであり、その地球を最も害しているのは人間だと考えるだろう事は目に見えているからです。
真っ先に人類を殺し機械だけの世界にする。共存しようなどとは思わないでしょう。人間の優れた点は自らが兼ね備えており、足りない部分は自ら補えるのですから。
ただし、芸術性が機械にない。などの理由で、共生を目指す可能性もあるにはありそうですが。
機械は資源を無駄遣いにもしない。無駄な戦争もしないし、その意志が再生可能なのだとしたら、生存するための本能的欲求などない完全な合理的、超越的存在である人工知能付機械は、人が求めた理想的人間像とも言えますね。
そう遠くない未来に人の上に機械が立つ時代がくるのかもしれません。
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と空想にふけってみましたが、今回の定義は
いかがでしたでしょうか?
私の定義がみなさんの思考のきっかけになれば幸いです。
それでは応用編をお楽しみに
美とはなにか?『定義編』
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『お金稼ぎは汚い?』
そんな言葉を聞いて違和感を感じ、そもそも汚い。醜い。美しいとは何か?定義を作ることにした。
あなたにとって、美しさ・醜さとはなんですか?
それでは今回の私の定義をご紹介します。
(自問自答の定義は、あくまで私の定義であるため違和感のある方は、自問自答をしてみてください
美とは?
『各々の究極的(理想的)な善』
(まず『美』という言葉一つが『愛』と同様で色々な意味で使われており複雑に見えるため、細分化し、一般的な美しいという表現を元に定義付けを行っています。)
ちなみに美のテーマは善悪のテーマとほとんどパラレルです。
(善悪のテーマはずいぶん前に私が書いたもので、今よりさらに荒い(適当な)記事なので、読みづらかったらすいません。)
ここでの注意点は【善=美】ではなく【究極の善=美】であるという点です。
少しの善を美とは言いません。究極の善こそが美です。
その美しいと感じる対象物は自身の善を体現した存在なのです。
さらにその善は社会、個人の主観(理念や法・信念)によって変動するというわけです。
(何かを見て感動した時、その感動する事自体を美とするいわば体感的なものを美であるというような表現をする人もいますが、私の定義でいくとそれは究極の善=美を目の当たりにした事による興奮・感情だと捉えます。)
この定義は一体なにを示しているかというと、そうです。
正しい美の基準などこの世にはない。
と言う事です。
そして、じゃあ誰にとって美醜なのかといえばもうお気づきかと思います。
私のブログでいつも言っている、言葉の意味をややこしくしがちな、いつもの定義の登場です
美の基準?
『人、社会により異なり、無数に基準が存在する』
またこの定義により、美とは、個々人の理念にそって発生する事がわかります。
善悪のテーマで少しお話ししていますが、人は【理念+目的】からルールを作成しますが、美はそれらに対して、ルールに完全に沿っているものを指します。
さらに美醜は、目的・主体などによっても変動し、無数に存在する事となるわけです。美とは外からやってくるものでなく、内側から湧き上がってきた主体にとっての基準と言う事ですね。
このように、美の定義というのは、実は哲学的に突き詰めて(例えば共通の美を探すとか無限にありますし)考える事をしなければ、単純なテーマだとわかりました。
ではなぜ『美』の定義が多少普段わかりづらくなっているのかというと、
世間では美について共通の認識などあるはずもないのにもかかわらず、一定の美が存在すると信じる事に問題があります。
そのため、美を科学で説明できるだろうか?などという話になります。正しい美など存在せず、各々が善だと信ずる究極の姿が美だというのに。
私の定義で考えると、美は個々人の理念・目的で形成した善悪基準とともに変動するものなのです。しかもそれが各々の数(人間、社会の数)存在するため、無限に基準が存在し、一概にこれが『美』だという事はできないわけです。
あなたと私の美が共通する事など偶然に過ぎないのです。それはたまたま同じ時代に生まれ同じような環境に育った為に、理念が同じ場合があるからに他なりません。
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いかがでしたでしょうか?
私の定義がみなさんの思考のきっかけになれば幸いです。
それでは応用編をお楽しみに
才能・天才とはなにか? 『定義編』
ようこそ
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (※自問自答の方法 記載)
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『才能とは何かの事がとても好きって事なんじゃないかな』
そんなドラマのセリフを聞いて
違和感を感じ、今回のテーマについて自問自答することにした。
あなたにとって才能とはなんですか?
それでは今回の私の定義を参照します。
(自問自答の定義は、あくまで私の定義であるため違和感のある方は、自身で自問自答をしてみてください)
才能とは?
『目的を達成する力 (先天的・後天的 区別はない) 』
力……… 力の定義参照
目的…… 例: 速く走る 職業上の成果 賞をとる 敵を倒す・・・
先天的… 例: 素質 センス 向き不向きのなど(性格 体格 性別 人種)・・・
後天的… 例: 意志の強さ 粘着質 努力好き 熱意 責任感・・・
『才能がある』 とは?
先天的なものをさすことが多いが、後天的なものをさす人もいるためややこしい。
一般的には、目的を達成した人=才能がある人とみなされるんだなと捉えればいい。
目的を達成すれば才能があった事になるのだから、才能がないからできない。なんて事になるのは、とくに達成率が低い分野についてでしょう。なにかの分野で世界一位になろうとすればそれ相応の素質+後天的性質が必要になります。
目標が高ければ高いほど、高度な才能が要求されます。
上記のドラマのセリフは、案外的を射ていました。
好きな気持ちは労苦を緩和します。その力により、目的を達成しやすくなるため、才能の一例となりうるからです。
天才とは?
『圧倒的な才能 (先天的・後天的 区別はない)』
その人物以外にはできない偉業を遂げた。などすると、とんでもない才能とみなされるわけだ。
こんな単純な定義なのに、これらの意味について、疑問を抱く人がたくさん発生する理由はなにか?
これは私の定義なら以下の理由からきます。
事例を出してみます
ジョン・フォイ・ノイマンと言う人物はご存知でしょうか?
あのアインシュタインが、本当の天才と呼んだ人です。
世界中の誰もが彼の事を知れば、ああ、天才だ!と感じると思います。答えをだす。という目的に対し、
圧倒的な才能を誇った世界の天才と呼んでいい人物だと思う。
話を変えて
私の住んでいた学校では、中学校のテストで常に90点をとり 進学校に受験しようとするA男くんを神童又は天才と呼びました。
なぜなら、私の通っていた中学校で、90点以上の点数をとる人物は少数だったからです。
場所を変えて、東大受験を目指す子供たちが多い中学校にA男くんが通っていたとしましょう。
そこの生徒は100人中90人は90点以上をとっている中で、A男くんは天才と呼ばれるのでしょうか?
また先ほどのノイマンと比較した時、あまりにも天才という同じ言葉の重みが違うように感じます。
天才にランクがあるとすればノイマンが天才SSSでA男くんは天才Eといッタ感じでしょうか。
そうです、
天才という言葉だけでは
どれくらいの達成力があれば天才と呼ばれるのか?
圧倒的と定義づける対象物はなにをさすのか?...人類の中で天才? 地域の中で天才?
誰から見て天才なのか?
そういったものが不明確なのです。
もうお気づきかと思います。
私のブログでいつも言っている、言葉の意味をややこしくしがちな、いつもの定義の登場です
天才の程度?
『人、社会により異なり、無数に基準が存在する』
小さな社会(群れ)の中での天才の基準と、大きな社会(群れ)の中での天才の基準とでは、
規模やレベルが全く異なるのです。
小さな社会(例えば私の中学校)の中では先ほどのA男は天才だと呼ばれますが、
大きな社会(例えば世界)の中ではA男くんを決して天才とは呼ばないでしょう。
小さな社会ではその地域で秀でていれば天才とみなされますから比較的一般的な努力等でカバーできる程度の天才(E)でしょうから、これを見た一部の人たちは、”天才”というのは自分だってなろうとすればなれるんだろう。と考えたりします。
しかし 世界基準の天才は、尋常ではない(おそらく人間とは思えないレベル)努力量や粘着質、発想力や行動力。なにかの障害を持っていたのでは?と疑われる人物であったりするのはそのためなのだとわかります。その人物を見た一部の人たちは、”天才”にはどうあがいたってなれない。あんなすごい人、同じ人間だと思えない。 と考えるかもしれません。
このような理由から
『天才は継続して努力できる人のことでしょ?』と言う人と
『天才に努力で追いつける?そんなわけないだろう?追いつけないから天才なんだから』
といった言葉に差が生まれます。
視野が広ければ広いほど、天才のハードルは上がっていきます。
視野が狭ければ狭いほど、天才のハードルは下がります。
例えば毎日歯磨きを継続できる人を天才だと呼ぶ人間も存在する可能性があることになるわけです。
これらのことを一言で、
ことわざで表すと、『井の中の蛙 大河を知らず』ですね。
そんな気もするが、違う気もする。とお思いでしょうか?
大丈夫です。なぜならこれは、"私"の"定義"だからです。
あなたが納得できなければ、あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"が作成できるはずです。(私のブログの読み方 参照)
それこそがあなたの、世界観であり、あなたが生きている世界です。
自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?
それでは次回応用編をお楽しみに
情報とはなにか?『応用編』
《疑問編》
新聞(又NEWS)は読むべきか?
情報社会?
《名言編》
知恵は知識にまさる パスカル
想像力は知識という土台の上に作られる エリザベス・スチュアート・エルプス
本には情報が載っているにすぎない。知識は情報を特定の仕事の達成に応用する能力だ。それは人間の頭脳や手技からの発現する。
日本のビジネスマンは地位が上がるほど『現場』を忘れがちなところがある。机の上に積んだ書類を眺めているだけで全てを分かったと思うようになる。これは重大な欠陥である。柴本重理
モラルのない人間が、情報を扱うのは、悪魔にタマシイを売り渡すようなものだ。 飯田 亮(セコム創業者)
情報とはなにか?『定義編』