自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

自問自答のすすめ

”思考力”を自分のものにする

このブログのテーマ

 
 

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 テーマ
自問自答を通して『思考力』を自分のものにする。
 
 
 
ローマ皇帝マルクス・アウレーリウス
『自己の内を見よ。君が絶えず掘り下げさえすればその泉は絶えず湧き出るであろう 』
 
『大切なのは、自問自答し続ける事である。』
 
経営の神様と言われた松下電機創業者 
松下幸之助は言います。
『お得意先からどれだけ喜ばれているか、たえず”自問自答すること”がよりよき明日の商売に結びつく。』
 
 
もっと名言等を詳しく知りたい方は、
管理人が感銘をうけたこのサイトへ
 
 
 
・・
 
多数の世の中で名を挙げた偉人たちが、
違う業界、違う職業、違う人種だとしても、共通して皆声を合わせて 
内省や思考、自問自答についての大切さを説いています。
 
私は、自問自答とは?
【自分との対話方法の1つ】だと捉えています。
 
内省や思考が大事。
そのうちの自問自答は大切だという事は過去の偉人たちの言葉よりわかった。
ただ自問自答とは読んで字のごとく自分に問いかけると言う事なのだろうけれど、
 
自分に問うとははて?何を問うのだろうか?
 
 
いろいろ質問形式を作ってみた。
○○とは何か?      =『定義』
なぜ〇〇か?       =『理念』
どうあるべきか?=『ビジョン』
誰が作るのか?   =『作成者』
何によるのか?   =『原因・要因』
なにから〇〇か?=『素材・材料』
 
 
しかし、これを問うたところで何の意味があるのだろう?
 
 私が
「会社は利益を上げるために存在する」 
と言ったところで、松下幸之助は 
「会社は人を育てるために存在する」 
と言うのかもしれない。
 
物事の『定義』を百科事典で調べる事は自問自答になるだろうか?
情報媒体(外側)への問は自分(内側)への問ではない気がする
 
しかし、物事の『定義』は百科事典や辞書にのっている事実 
これではダメなのか?
探せば定義はあるのに、
自分に問う必要があるのだろうか?
また、知識がない自分へ質問しても答えなんて返ってきはしないではないか?
布団を知らない人に布団とは何か?を問うても、
何か?という”定義”などわからないではないか? 
 
いったい何を問うのだろう?
そもそも「考える」とは一体なんだろうか?
『自問自答とはどうやって行うのだろうか?』
 
 
このブログは、
 
こうして自問自答そのものに、
教科書がない事に気付いた筆者が
 
『自問自答の方法』を確立し、
一歩一歩人生や世界を理解するため作成していくブログであり、
その過程を公開する事で、ご覧になった方々の
思考のヒントになる事を願い、作成していきます。
 
その始まりの第一歩が、私の自問自答による
"定義"であり、
今後理念、作成者、素材、原因編と考察を進めていきたいと思います。
 
 
 
後書き
 
私自身の『定義』というのは、
私の未熟さ故に、自身の経験や仮説が増えていくたびに、変化します。
世界の『定義』なども、時代や文化により、変化していきます。
なので日々新たな更新をするのは、
必然的な修繕でもあります。
 
しかし、定義は変化するとはいえ、
短期間の定義、また、長期間の定義であるとを問わず、
その段階で"自身にとっての世界はこうだ"という確信を持つことは、その間自身の人生を歩む為には有用であると私は考えます。
 
このブログをとおして、
読者の方の日々が、人生が、
より一層輝きを増し、独自の人生を歩んでいかれる事を切に願います。