自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

『定義』とはなにか?

 

 ようこそ

 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『定義』を掘り起こし、
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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『私の定義』とはなにか?
私にとっての対象物の定義とその本質】の事
 
私にとっての対象物の存在意義=定義と捉えていただいても、間違いではないかもしれません。
 
本質とは?
 
例えば、あなたから見たコーヒーは、苦い濁り水に過ぎないかもしれません。
しかし、私から見たコーヒーは、休息の象徴であり、回復薬のようなものです。
 
私から見たらブランド物の財布は、虚栄心の象徴ですが、
あなたから見たブランド物の財布は、努力の証なのかもしれません。
 
つまり、定義や本質はもちろん、個々人によって、別物になるものであり、私自身の世界観のごく一部ということになります。
 
 
(対象物に対する定義や本質は、人により異なるので、概括的な言葉の意味だと誤解をされないために『私の(から見た)定義』と呼んでいます)
 
 
普段このような自身にとっての定義に人は気づいていません。
派手なブランド物を持ち歩いている人になぜ、そのようなものに大金を払うのか
問うたとしても、その本人もなぜ、それに惹かれているのかわかってない事が多いのです。
 
その本質や定義をあぶり出す方法として、私は自問自答を利用しています。
 
 
なぜ?本質を知る必要があるのか?
 
先の話でお分かりかと思います。
私の定義に納得できないのが通常なのです。
 
私の定義を見たり、百科事典を見ても、
自分の世界において、自分の人生の答えは、自分しか知らない
というのが、事実です。
答えは外にはないのです。あなたの内心にあるのです。
 
しかし、『自問自答しろ!』
といっても、どのように定義づけをし、思考していくのか、そのようなことは
どこにも書いてありません。

ですから、思考方法の例として、
このブログは、自分自身に問いを投げかけ、内省をするというキッカケになるために。そして、ブログをご覧になった皆さんが、本当の意味で、自分の人生を生きていただく事をビジョンとして、存在しています。
 
 
 
 
例えば ”善とはなにか?"
というテーマに対する本質を考える時に、
 
哲学書を読んで、
 
そういうものから引用しても、
そうとしか言いえない原理は知る事ができても、
あなたの主観で捉えた世界観というのは全く違うはずです。
 
そして、あなたの主観で捉えた世界こそあなたの目にうつっている世界の筈です。
 
 
例えていうと、
動物によっては、世界はカラフルではありませんね。
けど私たち人間にとっては、カラフルです。
 
人間に紫外線・赤外線は見えません。が、見える動物もいます。
人間に超音波は聞こえませんが、聞こえる生物がいます。
 
子供にとって、モスキートーンは聞こえない音ではありませんが、
大人には聞こえません。
 
 
世界はカラフルなのか?単色なのか?眩しいのか? 騒がしいのか?静かなのか?
 
世界とはなにか?
どれが”本当”(客観)なのか?
それは、はっきりわかりません。
 
 
しかし、あなたの"対象物に対する印象や違和感等…あなた自身が抱くその対象物に対する本質" であれば、確かに知っているはずです。
 
今、実際にあなたの見ている世界がそうです。
あなたの見ている世界は、あなたの世界観(レンズ)を通して見ている世界です。
 
 
”外”からいくら情報(哲学書 学問書等)を得ても、私の定義をご覧になったとしても、
その定義に納得ができていなければ、あなたの世界観は私とは違います。
 
 
しかし、納得ししっくりきているようであれば、その対象物に対する見ている世界が私と近いという事でもあります。
 
 
あなたの思うように。あなたが定義づけるように世界は存在し、
あなたが思うように、あなたは悩みを抱えたり、喜んだりします。
 
 
故にあなた自身の『本質や定義』をあぶり出す事は、あなた自身が見ている世界観(レンズ)を知ることにつながり、
 
あなた自身の世界観を知る事は、
あなたの生きる世界を理解する事に繋がるのです。 
 
 
なんだか、書いていて壮大なお話に見えますが、とても、単純な話です。
 
(『自分の主観で捉えた世界を知って、世界を理解するなどおかしいじゃないか。』
 
世界を知ろうと本を読んだり、旅をするから世界を理解できるのではないか?とお思いにはなりませんか?
これについては、以下をご覧ください。
 
あなたは読んでいる冊子を"本"と呼び、百科事典で調べると、
それは情報が書かれた紙の事なのだと知ります。
 
世の中にある物を"物質"と呼び、
それは、物理学において定義されているのだと知ります。
 
目の前にあるりんごを"1個"と呼びますが、
それは、数学において、また日本語において"いっこ"と呼ぶのだと知ります。
 
それらを定義したのは誰でしょうか?
 
 
また、
目の前のリンゴが実は、生物にしか個体に見えない可能性はありませんか?
私たちにはリンゴに見えても、本当はりんごは私たちが頭でイメージして存在しているように思っているだけの可能性はありませんか?
 (先のモスキートーンや動物と人間の世界の色の認識の違いの例を思いだしてください。)
 
 
よく考え見て欲しいのです。
 
全てこれらの『定義』づけをしたのは人間です。
人間の主観で世界(擬似客観)を作り出し、理解しているのが人間なのです。)
 
自問自答をし、そこであぶりだした
あなたがテーマに対して抱いている『本質や定義』を覚えておけば、
なにかそのテーマが絡んだ問題などが出た時に
 
どういった意味か?
どう解釈すべきか?
どう次にいかせるか?
どんな問を投げかけても、
 
それらに対し、すんなり
”解釈”を出す事ができます。
 
 
いまいち、まだご理解いただけていない方のために、もう少し説明を付け加えます  
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【「カーテン」とは何か?】 
なんの変哲もない、部屋の窓にあるあの「カーテン」です。
Wikipediaにはこうあります
『室内の空間・窓・壁などにつるす布』
しかし、本当に皆そう思っているのでしょうか? 
そのカーテンを自分でどう定義するかは本来自由なはずです。
 
『カーテンは地面に敷くもの』 と定義していてもいいわけです。
 その使い方はまちがっている!という必要はありません。
その人にとって『カーテンは地面に敷くもの』なのですから。
一般大衆にカーテンってなにか? をわかりやすく伝えるために、
 
あぁ!壁にかけてあるアレの事か
 
とわかるよう工夫されている説明や定義はあっても、
”あなた”にとってカーテンがなにか?という答えはネットには載っていません。
 
それが以前お話しした”外”に答えを求める事は”内”に答えを聞いてる事にはならない(自問自答)という根本的理由です。
  
なぜなら、
”あなた”の事は”あなた”しか知らないからです
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私の言っている『定義』とは?
あなたにとっての、あなたのためその対象物に対する定義や本質なのです。
 
まことに人生において出逢う一つ一つのものについて、組織的に誠実に検討しうることほど心を偉大にするものはない。
引用:ローマ皇帝 マルクス・アウレーリウス