自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

自問自答のすすめ

”思考力”を自分のものにする

幸せとはなにか?『応用編』

 
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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今回の定義
幸福とは? 【継続的満足】
幸せとは? 【満足 】
幸福になるには?【満足基準を満たす】
手っ取り早く幸せになるには?【満足基準を下げる】
 
 
 

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くどいようですが、
定義というのは、"ブログ管理人自身の定義"です。
"私(筆者自身)"が幸福になるには『私が継続的に満足すればよい』
ということになります。 
となると、私は"なにに満足するのか"を考えればよいという事になりますね。
満足する事を考えていきます。
 
・地位を手にする
・お金を手にする
・夢を叶える
・美味しいものをたべる。
自己実現をする。
・夜はお風呂に入る 歯磨きをする
・・・・・
突き詰めると、
これら欲求を満たす事により、私は満足を得てるんだなーという事がわかってきました。
 
自分でまとめて要約すると
○物質欲 (地位 金 物 食 名誉 ステータス)
○創造欲   (物作り 子作り 芸術 技術)
○快楽欲   (マッサージ ご飯 酒  H)
 
つまり私の場合の幸せつまり”満足”は、欲求に関係する。と解釈します。
 
 
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”私”の幸せとはなにか?
 
解釈
欲求の達成=満足=幸せ】
これで、幸せにはなれる。
 
つまり幸せになるには、
自分の満足基準(欲求)を把握して、それを手に入れればよいのねす。
 
まぁ、ここまでは考えてみれば当たり前の話ですね。
皆そうやって幸せを自然と目指してます。
 
 
では次に
問 幸福になるにはどうすればよいのでしょうか?
 
解釈
先ほどの例と定義をもとに解釈すると、
継続的に欲求達成=継続的満足=幸福】となります。
お気づきでしょうか?
これは一筋縄ではいきません。
 
例えば、
私の欲しいものが、結婚による安定だとしましょう。
そして、結婚の次は子供 
子供の次は一軒家
一軒家の次は老後の貯蓄・・・
 
考えただけで、
それを100%、継続的に手にする保証はあるのしょうか?
当然そんな保証はありません。
 
しかし、手にできない可能性があるという事は、
私の人生は幸福ではない可能性があるという事であり、
手にできなければ、幸福を逃すという事が確定するという事です。
1度しかない人生が、
幸福ではない一生になってしまう。。
  
ではどうすれば良いか?考えていきます。
 
 
問 幸福でない人生を避けるにはどうすればよいか?
 
解釈
欲求を持たない
欲求の基準を下げる。
欲求の達成を行えるよう自分を磨く。
と言う方法が思いつきました。
 
 
①は無理がある。
②か③になるでしょう。 
③は素晴らしいですが、
先の例で、もし叶わなければ幸福とはなれない人生が待っている場合ですね。
であれば②をどうにかするのが最後の手段となりますね。
 
この欲求の基準を下げる手法については様々な方法が世にあります。
 
例えば
❶全てに感謝する方法
日々の生活で、感謝するポイントを探し続ける。
→身の回りの事が当然ではないと気づく→満足基準が下がり、
例えば家族が元気なだけでも、満足感を得られるようになる→満足を継続できる
 
 
自己啓発などでも、よく言っていますよね。
『感謝』を効用の『リセットボタン』として使用した良い例だと思います。
法則*限界効用の逓減で検索
 
❷自分よりレベルの低い人を見る
 
これは間接的に、自分が褒められていると感じ、ポジティブになります。
人は自分より下だと感じる人間を見て生活する方が、精神的に良いそうです。
自分は求めすぎなんだな。と感じ、欲求が萎える。
よって満足基準が下がる→幸福になりやすくなる。と言う構図です。
 
❸苦しい方を選択する 
水が飲みたいから、喉がカラカラになるまで我慢する。
お金持ちになりたいから、貧乏を選ぶ。
友達が欲しいから、孤独に向かう
・・・
苦しい方へ進めば
水・お金・友達が少なくとも幸福を感じる基準は下がります。
多いと大喜びです。
 
反対に楽な方へ進めば
水・お金・友達が多く必要になりますが、幸福感は同じです。
少ない時、惨めで詫びしい感情を抱く人生となります。

簡素に生きる
数々の偉人、宗教家が実践しています。

❺他者貢献に生きる
数々の偉人が実践しています。

他にも様々な方法があるようです。
 
 

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イメージ
『枠=満足基準』と考えてください。
右のゲージ …元々の満足基準(膨張し続ける)
左のゲージ …満足基準を下げた場合
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満足基準(枠)を左のゲージへと移したため、
幸福感を感じるようになった。という例えです。
 
 
 
 
問 『世界全体が幸福にならない内は個人の幸福はあり得ない』宮沢賢治
 
 
これが今回の応用編で、最も重要な問です。
私は先に、
幸福は幸福の基準を下げる事で簡単に達成できると述べました。
 
先ほどの画像を見ると、
個人は確かに幸福となりますね。
『足るを知るは富む』という教えにもうなずけます。
 
しかし、個人として、
幸福について考えた場合はこれで良いかもしれませんが、世界の幸福と考えるとどうでしょうか?
 
 
 
解釈
 
私は
『幸福の本質について』
述べているのだと解釈しました。 

先ほどの例で、満足基準を下げる方法を用いた場合、以下のデメリットと呼べる問題が生じます。

❶視野を狭め、
   欲求の達成が難しい事に目を瞑る事になる
 
  例①
  助けたい・役に立ちたい等も欲求の一つ,
  世界の全員は助けられない為、 実質助けられる側の人がいる以上一生その欲求は満たせない。

満足基準を下げるという事は、
大多数を助けたいという欲求等も
身内を助けられれば満足。といった形で

大多数を無視する事になる。
 
  例②
  『健康であれば幸せなのに。』
  というように、人は無い物込みで幸福をイメージする。よって、 本当の意味で満たされる事はない。
なくても幸せだ。と言い聞かせても、
人は根源の欲求に欠乏欲求がある為、
自己暗示にすぎない。
 
つまりその本当の欲求も、無視する事になる。
 

よって、満足基準を下げる方法での幸福は、
本当の意味での幸福とはいえない。
(自分に嘘をついているため)

満足基準を下げないで、個人が幸福になろうとすれば、世界の全員が助けられる側ではなく、
幸福であり、満たされていなければならず、
個人が一向に満たされる事はない。

つまり、
見て見ぬ振りをしている人間以外
現段階の人類が個人として幸福となる事はあり得ないという事。
 
 
自分や身内への執着を生む
自分達だけ満足できれば良い。といった人間を生む。
 
あなたは
道端のホームレスにご飯をあげた事はあるだろうか?

世界70億人のうち50億人は貧困。もしくは貧困予備軍だと言う。
米国でも2人に1人が貧困もしくは貧困予備軍だそうだ。

あなたは、
毎月給料の一部を寄付に回しているだろうか?

ただ日本に生まれただけで、良き教育を受けさせてもらい、考える事ができ、美味しい食事を食べられるにもかかわらず、

今の生活に不満を抱き、外のことは関係がないという態度ではないだろうか?

 
これらは行うことができる行動の一つだが、
なぜそういった行動をとらないのか?
 
それは、見て見ぬ振りをし、自分達の満足を優先しているからに他ならない。
これが満足基準を下げると言った行動でもあらからだ。
 
 
さらに、『愛とはなにか?』の記事で参照したが、【執着→愛→憎しみ→争い】の構図を生む事にも繋がる。
 
個人や身内だけの幸福を追求する人間ばかりだと、戦争は無くならないともいえる。
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幸福の問題をまとめておきます。
 
①人々が幸福であるべきだと人々は願う
しかし、人々が個人の幸福を追求すると、世界の幸福追及が疎かになる。
 
②根源の欲求に自己愛・自我等があるため
個人の幸福追及が優先されやすい。
そしていざ、
個人が幸福になろうとすると
視野が狭く、声もあげず、
苦しむ人は見て見ぬふりをするといった人間
が完成する。
 
 
こう考えた時に
私自身がまさにそのような存在であったと反省した。
どうしても世界より、
自分の身内の幸福を願ってしまうからだ。
これは明らかに、人として正当とは言えず、
私は善人であるとは到底いう事はできない。
 
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世間では
幸福を追求する事が善き人生であるかのように諭されている。
果たして自分達"だけ"の幸福を追及する事が善なのだろうか?
 
幸福に"なるべき"なのだろうか?
幸福に"すべき"なのだろうか?

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