自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

友達・親友・本当の友達とはなにか?『定義編』

 

ようこそ
 
 このブログは、自問自答をとおして、
『自分の人生を歩む事』をテーマに、
 
"友とは何か? 人生とはなにか?"
などの様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々の
思考のキッカケになる事を目的に作成しています。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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『友達が少ないとは寂しいやつだ』
そんな言葉を聞いて、そうか?友達なんて1人2人いたら十分だろうと感じ、この定義について考えてみる事にしました。

辞書にはこのように定義されています。

 

互いに心を許し合って、対等に交わっている人。一緒に遊んだりしゃべったりする親しい人。友人。朋友 (ほうゆう) 。友。「友達になる」「遊び友達」「飲み友達」 

 

この定義であなたは納得ができますか? 

 

あなたにとって『友人』とはなんですか?

 
  

それでは、私の"定義"をご紹介します。

 

 
友達とは?
友情市場価値の交換相手
友達というのは、交換契約のお客さんのようなもの商品は自分である。
 
ちなみに友情市場価値とは...友人に求める価値基準の事です
(例)人格の良さや悪さ・金持 貧乏 ……
 
 
つまり、自分が友達に提供できる価値を友達が提供している価値と交換するという事です。例を出しておきます。
 Aさんの需要『性格の良い友達が欲しい』供給『一般人』
 Bさんの供給『Aにとって性格がいい』 需要『有名人の友達が欲しい』
 
この場合、
AさんにとってBさんは友達に値する価値があるけど、
BにとってAは一般人だから友達になる価値がない。
よって別の需要をBさんがAに感じなければ、交換が成り立たないため、友人関係に発展しないということです。

 

契約というのは双方が合意する事によって成立する。黙示の友情契約という事で、
私たちは無意識のうちに相手と合意のうえで契約をしているという事になります。
 
先に言ってしまうと、
友達というのは金で買える本当の友達は金では買えない。となります。
こういった違いがあるので、以下をご覧ください
 
親友とは?
気の知れた交換相手
 
親友というのは親しいだけ。つまり、気を使わないだけ。
仲のいいお客さんといったところで、お客さんである事にかわりはありません。
お客さんであるから当然、『親しい仲にも礼儀あり』という諺があるのだ。
という事になります。
 
ちなみに、
親友=私の定義の本当の友達と定義する者がいたり、
仲間=私の定義の親友と定義している人がいたり、
とにかくこのあたり、人により言葉の定義がバラバラでわかりづらいので、
世間では、そもそも友達ってなんだっけ?みたいな状況になっています。
 
あの人にとって友達は親友レベルの事。
あの人にとって友達は仲間レベルの事。
あの人にとって友達は家族レベルの事。
 
といった感じで、AさんはBさんを友達だと言っていたけど
Bさんはただの知り合いだって言ってた。というようなぐちゃぐちゃな事態に陥っています。
 
なので、自分にとっての友達と、人にとっての友達は全く別物である(定義は人によって異なる)という事を意識しなければ、曖昧なまま言葉を理解できなくなってしまうので気をつけましょう。

 

 

 

 

本当の友達とは?
本人自体”に価値を置く交換相手
 
本人自体の価値…
   ・ありのままの本人
    (ありのままのくだらない自分を知った上で価値を感じてくれている等)
 
それ以外の友情価値
    ・金持ちだから友達
    ・有名だから友達
    ・肩書きがあるから友達
    ・本人の外面(仮面・虚栄)
 
家柄がいいから友達。金を持っているから友達。というのは
金やその地位と友達になっているようなものだ。と表現する者もいる。
 
この定義のポイント(面白いところ)は、本当の友達は人間に限らないという事です。。例えば、飼い犬(愛情を返してくれるタイプのペット)は高い確率で本当の友達となりえます。
 
『犬が私の本当の友達だ。』と口にする人がいる時、
その人を寂しいやつだと小馬鹿にする人がたまにいますが、私の定義に当てはめると、言葉の意味というか友達の本質がわかってないその人の方が恥ずかしいという理屈です。
 
 
結局のところ
友情の本質とは?
利害関係
 
本当の友達の場合も利害関係であるところに変わりはない。
友情とはただの利害関係なのですね。
 
お互いメリットがあるから付き合っているのです。
 
  
とはいえ皆さんは、本当の友達関係に暖かみのようなものを感じないでしょうか?
ほっこりするというか、居場所がある感覚といいますか。
これは、人が普遍的に求めているものだと私は定義しているもので、いずれ定義としてあげたいと思います。
 
 
本当の友達の本質?
存在の肯定(繋がり)
 
人は本来例外なく"繋がり"を求める。
これを人は普遍的に『』を求めていると表現する人もいます。
 
一旦つながりを断ち切り、”ぬるま湯”と呼び、自身にストレスをかける事で、成長しようとする人もいたりします。
 
この定義はいずれ作成していきますが、
私の考えでは、
人は皆、本当の自分で愛したいし、愛されたいという欲求が根元にある
だから、本当の友達や家族等に温かみを感じる。
この温かみは欲求の達成による充実感(幸福感)から起こる。と考えています。
 
 
 
納得いかない人もいると思うので、
一応理想的な真の友達というのを作ってみたので、紹介しておこうと思います。
の友達とは?
家族関係にある友達
 
家族の定義で紹介しましたが、
一般的イメージの家族とは、強固(切れない)な仲間関係の事です。
 
家族関係では血の繋がりが縁となっているが、友人の場合血の繋がりがない。なのにその縁がきれないという(切れない物理的理由はないが、どうしても縁が繋がってしまう。腐れ縁)ような友人を、真の友人と定義しました。
 
この関係性は、
支え合いの関係にあるため、自分がいないところでも、お互いの世間体や名誉をフォローしあったりする。なおかつ、切っても切ることのできない絆で結ばれた友人といったところでしょうが、正直こんな人間は滅多にいないだろうというのが結論です。
 
切ろうとしても切れない友人等いると思いますか?
 
散々相手を否定し、快楽に溺れ、犯罪者になり、人に迷惑をかけ、相手の家族を犯罪に巻き込んだりするなどして、一生懸命切ろうとしたとしても、切れない。
そういった関係が友人の間に通常生まれるでしょうか?
 
血の繋がりがあるわけではない。戸籍が同じわけでもない。
なので、合意で成り立った、『解除できない契約関係』を結んでいるわけです。
 
こんなハイリスクな契約を結ぶ仲の人間等、現れるものなのでしょうか?
疑念は残りますけど、
そういう美しい友情もあると信じるほうが、明るく生きられそうな気がしますね。
 
 
まとめ
 
 
以上『友達』について述べましたが、そもそも、世間では(特に若い頃は)友達という関係を過剰に崇拝しすぎなのだという事が結論付けられると思いました。
 
友達とは。本当の友達以外は、ただ人を利用したい者たちの集まりなのですね。
 
皆が仮面をかぶって安定を維持している社会に生きる我々現代人にとって
本当の友達というのはもちろん作りづらく、また、本当の友達以外の友達というのはたんなるツール(道具)にすぎないのです。
 
 
 
こうして、冒頭の私が感じた違和感
『友達が少ないとは寂しいやつだ』
そんな言葉を聞いて、そうか?友達なんて1人2人いたら十分だろうと感じた理由は、
 
友達=本当の友達(繋がり)の事を言っているのだとしたら多い少ないは関係ないと感じたからであるし、
友達=ツール(道具)の事を言っているのだとしたら道具が少ないから寂しいというのは人それぞれだろうと感じたからであるし、
 
どちらにせよ違和感を感じた理由はそこにあり、
世間一般の”友達の量”で人の良し悪しを判断するという意味不明な客観基準(世間の常識には、よくこのような意味不明な判断基準が存在する)に踊らされている哀れな人を見かけた。という感覚を抱いたのだ。という事がわかりました。
 
 
友達とは、助け合う関係。という人もいますが、
それについて、私は”仲間”と定義したので、そちらを参照してほしいと思います。