自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

自問自答のすすめ

”思考力”を自分のものにする

仲間・同盟とはなにか? 『定義編』

 

 
ようこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (※自問自答の方法 記載)
 

 f:id:shin-910710:20170820113601j:plain

地元仲間
趣味仲間
サークル仲間
本当の仲間
仲間は大切にする。
仲間をないがしろにする。
仲間と切磋琢磨する。
 
ごく自然に私たちは
『仲間』という言葉を使っているのではないかと思います。
 
ではそもそも、
仲間とはなんでしょうか?
どんな関係を仲間というのでしょうか?
 
 
それでは、今回の
私の定義を紹介します。
 
 
仲間・同盟とは?
"目的"のための"協力"関係
①各々の目的
②仲間全体の目的…がある。
・ 約束(暗黙でも可)
・ お互いが協力関係を認識している(狭義)
・片面的な認識でもよい。(広義)
    相手が自分を認識してないとしても、
    幇助された側にとっては、
    目的のため協力してくれる者であり、
    仲間と捉えられる。
 
 
 
どんな関係なのか例えてみる。
 
『車のタイヤ』
通常の仲間・同盟

f:id:shin-910710:20170820113831j:plain

4輪のタイヤは仲間関係といえる。
これらの全体(集った)の目的は
"目的地への到達"
それぞれに意思があるならば、そのうち1輪のタイヤがこのような目的を持っているとしよう。
"世界の景色を見てまわる事"。
 
これらのビジョンのために、
タイヤ同士で協力しあう関係性。
これが仲間だ。
 
4輪タイヤのうち、一つが傷ついても
それぞれ協力して補助をしあえば、
一つのタイヤで目的地を目指すよりも、
辿り着ける可能性も高まる。
 
しかし、損傷がひどく、
足を引っ張るようであれば捨て置き、
スペアにでも交換し、背負うか捨て置くほうが、"全体の目的"の達成はしやすくなる。
そんな関係性でもある。
 
仲間に足手まといがいては困るのが道理だ。
 
 
 
しかし、
某漫画雑誌の仲間がこれとは少し違うように見える。強固な協力関係に見える
 
一つタイヤの損傷の回復に、あまりにもリスクをとりすぎている、
"仲間関係が逆に負担になっていても"
仲間を助けようとし、背負おうとする。
 
この関係性には、危険がはらんでいる。おわかりだろうか?
 
仲間が1人増えるごとに、先の例で、
"目的地への到達"から遠ざかる事だ。
本来見捨ててスペアを取り入れたほうが、
"全体の目的"は達成しやすい。
 
 
それではなぜ、この関係性が仲間として描かれる事に違和感を感じないのだろうか?
 
 
 
 
……………………
目的に"仲間全員の充実"が含まれると考えると納得できないだろうか?
目的が
"①目的地への到達 + ②仲間全員の充実"
だから、仲間が傷ついたら助けるという事だ。
 
しかし、この場合もちろんだが、
先のタイヤの目的である
"世界の全てを見てまわる事"という目的も、
この仲間関係では、可能性が低くなる。 
 
そう、1人仲間が増えるごとにだ。
仲間を増やすには慎重にならなくてはならない。
 
 
 f:id:shin-910710:20170820114755j:plain
ーーーーーーーーーーーーーーー0
こう考えると、仲間の関係性の考え方は例として、以下のように別れると思う。
 
①目的のためには犠牲は避けられない。
   損傷すれば使い捨てる。
   犠牲はいとわない突進派
   (ブラック会社等は仲間とは雇用関係という点で異なるが、これに近い)
 
②目的を追うが、犠牲には注意する。
   損傷すれば捨てる。
   犠牲を極力避ける慎重派
  (ホワイト企業等は仲間とは雇用関係という点で異なるが、これに近い。)
 
③目的が"仲間の充実"の慎重派
   (地元仲間等)
 
④仲間は見捨てない。目的も諦めない。
   犠牲も避ける。
  目的も仲間も大事にする理想派
  (ワンピース)
…etc 
  
細かく考えると複雑になりがちなので、大きく考えてみよう。
 
 
 
 
 
 
国家"を一つの民族による仲間だと考えてみる。国家の目的はなんだろうか?
 
国家のビジョン
世界平和(他者貢献)』だとする。
(企業等の理念やビジョンはなぜか他者への貢献についてである。"理念"とは本来自分のための理由になるはずだ。
(この疑問については、『組織とはなにか?』で述べる)
 
先の例に当てはめると、
このビジョンの国家は、世界平和のため、
①国民の犠牲は放っておけ。
②極力犠牲は減らせ。一部は見捨てろ。
③世界平和より国民の充実を考えよ。
④世界平和も国民の充実も達成せよ。
 
 
このようにどうあるべきか?
という意見は様々に別れる。
 
では、
どれが正しいのか?
どれが受け売りなどではない、あなた自身のの意見だろうか?
考えをまとめる場合に
自問自答による、『定義』が役に立つのでこうも長々とのべた。
 
自分に意見がない方はこのテーマを自問自答してみてほしい。
 
・社会とはなにか?
・国家とはなにか?
 
これだけでも意見が固まってくると思う。
 
私の場合、社会とはなにか?の
定義の応用で、
"社会は人のためにあるのであって、
社会のために人があるわけではない。"
と考える。
すると①はありえない。
 
また、私個人の話だが、
"インサイド・アウトであるべきであり、
アウトサイド・インではダメだ"という事を肝に命じている。

よって、
目的それ自体が"国民の充実"(インサイド)であるべきだ。
となる。
 
つまり、
国家は、
『"世界"のため国民が少数でも犠牲になるのでは、『世界平和』という目的は、国家の目的として間違っている。
国家の目的としては、本末転倒であり、他者貢献を理念やビジョンとすべきではない。
『国民の充実』を理念とすべきだ。
 
世界平和になったから、国民が充実するのではない。国民が充実するから、世界平和に強く貢献できるのだ。』となる。
 
…国家を会社に言い換えれば、
会社の理念やビジョンは『社員の充実』等とすべきだ。となる。
(よって私の意見では、世の中の会社はほぼ、本末転倒な理念を掲げている事になる。…世界を豊かにするといいながら、社員を豊かにしない組織の矛盾等)
 
よって、
④とほぼ一致。
国家の理念は仲間の充実。
その結果世界平和も諦めない方向性でいくべきだ。という私の意見が見いだせる。

このように定義を応用すると、
確固たる自分の意見が作成できる。

 
ーーーーーーーーーーーー0
いかがでしたか?
そんな気もするが、違う気もする。
とお思いでしょうか?
 
大丈夫です。なぜならこれは、
"私"の『仲間』に対する"定義"だからです。
 
あなたが納得できなければ、
あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"
が作成できるはずです。
(私のブログの読み方 参照)
 
自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?
 
次回、定義の応用編をご覧ください