自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

仲間・同盟とはなにか? 『定義編』

 

 
ようこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”世界を理解し、『自分の人生』を歩み始める事" 
それらを目的に作成します。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
ーーーーーーー
f:id:shin-910710:20170820113601j:plain
 
 
『仲間をなんだと思ってるんだ!!』
そんな漫画の名シーンを見て、いや、仲間ってなんだろう?と思い
定義する事にしました。
Wikipediaにはこうあります。
 ある物事を一緒になってする者。または同じ種類に属するもの。友情も参照。
 

この定義であなたは納得ができますか?

 

あなたにとって『仲間』とはなんですか?

 
 
それでは、今回の
私の定義を紹介します。
 
 

仲間・同盟とは?

"目的"のための"協力"関係
①各々の目的
②仲間全体の目的…がある。
・ 約束(暗黙でも可)
・ お互いが協力関係を認識している(狭義)
・片面的な認識でもよい。(広義)
    相手が自分を認識してないとしても、
    幇助された側にとっては、
    目的のため協力してくれる者であり、
    仲間と捉えられる。
 
 
 
どんな関係なのか例えてみましょう。
 
『車のタイヤ』
通常の仲間・同盟

f:id:shin-910710:20170820113831j:plain

4輪のタイヤは仲間関係といえるでしょう。これらの全体(集った)の目的は
"目的地への到達"
それぞれに意思があるならば、そのうち1輪のタイヤがこのような目的を持っているとしましょう。
例えば、"世界の景色を見てまわる事"。
 
これらのビジョンのために、タイヤ同士で協力しあう関係性。
これが仲間です。
 
4輪タイヤのうち、一つが傷ついてもそれぞれ協力して補助をしあえば、
一つのタイヤで目的地を目指すよりも、辿り着ける可能性も高まる。
 
しかし、損傷がひどく、足を引っ張るようであれば捨て置き、
スペアにでも交換し、背負うか捨て置くほうが、"全体の目的"の達成はしやすくなる。
そんな関係性でもありますね。
 
仲間に足手まといがいては困るのが道理です。
 
 
しかし、
某漫画雑誌の仲間がこれとは少し違うように見えました。
強固な協力関係に見えまる。
 一つタイヤの損傷の回復に、あまりにもリスクをとりすぎているし、
"仲間関係が逆に負担になっていても"仲間を助けようとし、背負おうとしています。
 
 
単純にこの関係性は危険だと思いました。なぜなら、
 
仲間が1人増えるごとに"目的地への到達"の可能性が低くなる可能性があるからです。
本来見捨ててスペアを取り入れたほうが、"全体の目的"は達成しやすいですから。
 
それではなぜ、この関係性が仲間として描かれる事に違和感を感じなかったのでしょうか?
 
 
 
……………………
目的に"仲間全員の充実"が含まれると考えると納得できないでしょうか?
目的が"①目的地への到達 + ②仲間全員の充実"だから、仲間が傷ついたら助けるという事です。手段の目的化というよりは、もともと目的がそこにあったという事です。
 
しかし、この場合もちろんですが、先のタイヤの目的である
"世界の全てを見てまわる事"という目的も、この仲間関係では、可能性が低くなります。 そう、1人仲間が増えるごとに。
この一味において仲間を増やすには慎重にならなくてはならないですね。
 
 f:id:shin-910710:20170820114755j:plain
ーーーーーーーーーーーーーーー0
こう考えると、仲間の関係性の考え方は例として、以下のように別れると思います。
 
①目的のためには犠牲は避けられない。
   損傷すれば使い捨てる。
   犠牲はいとわない突進派
   (ブラック会社等は仲間とは雇用関係という点で異なるが、これに近い)
 
②目的を追うが、犠牲には注意する。
   損傷すれば捨てる。
   犠牲を極力避ける慎重派
  (ホワイト企業等は仲間とは雇用関係という点で異なるが、これに近い。)
 
③目的が"仲間の充実"の慎重派
   (地元仲間等)
 
④仲間は見捨てない。目的も諦めない。
   犠牲も避ける。
  目的も仲間も大事にする理想派
  (ワンピース)
…etc 
  
細かく考えると複雑になりがちなので、大きく考えてみようと思います。
 
 
 
 
国家"を一つの民族による仲間だと考えてみる。国家の目的はなんでしょう。
 
国家のビジョン『世界平和』だとします。
 
先の例に当てはめると、
このビジョンの国家は、世界平和のため、
①国民の犠牲は放っておけ。
②極力犠牲は減らせ。一部は見捨てろ。
③世界平和より国民の充実を考えよ。
④世界平和も国民の充実も達成せよ。
 
 
このようにどうあるべきか?という意見は様々に別れます。
 
では、どれが正しいのか?
どれが受け売りなどではない、あなた自身の意見でしょうか?
考えをまとめる場合に自問自答による、『定義』が役に立つのでこうも長々としゃべりました。
 
ここで、自分に意見がない方はこのテーマを自問自答してみてください。
こんな意見なんてすぐにでてきます。というよりあなたはすでに意見をもっています。
その意見の言語化ができるようになると思います。
 
・社会とはなにか?
・国家とはなにか?
 
この二つだけで自分の意見がわかってくると思います。
 
私の場合、社会とはなにか?の定義の応用で、
"社会は人のためにあるのであって、社会のために人があるわけではない。"
と考えます。すると①はありえない。
 
また、自分を犠牲にし他の充実を図る事は長続きしない。よって、自分も充実させつつ他に影響すべきだ。と考えているので、目的それ自体に"国民の充実"が含まれるべきだと考えます。
 
すると、国家は、
『"世界"のため国民が少数でも犠牲になるのでは、『世界平和』という目的は、国家の目的として間違っている。国家の目的としては、本末転倒であり、他者貢献を理念やビジョンとすべきではない。『国民の充実』を理念に含めるべきだ。
 
世界平和になったから、国民が充実するのではない。国民が充実するから、世界平和に強く貢献できるのだ。』という感じになります。 雑に作成したので抜けがあるかもしれませんが...
 
…国家を会社に言い換えれば、
会社の理念やビジョンには『社員の充実』が含まれるべきだ。という感じになって、さらに小さな仲間関係で考えて....といった感じで小さくしていきます。
 
 
 
以上のように考えていくと、④とほぼ一致。
国家の目的は仲間の充実。その結果世界平和も諦めない方向性でいくべきだ。という私の意見が見いだせるというわけです。
 
このように定義を応用すると、自分の内心に秘めた意見を言語化する事ができます。
 
ーーーーーーーーーーーー0
 
こんなところで今回の定義を終えたいと思います。
 
応用編をお楽しみに。