自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

自問自答のすすめ

”思考力”を自分のものにする

【自分の人生を歩むための1つ目の鍵】『総合編』

ようこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (※自問自答の方法 記載)
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定義・考察・応用編をご覧になってみて、

みなさんはどのようにお考えでしょうか?

そんなはずはない。

 

定義などとはけしからん

こんなものは稚拙だ。

などと、思う方もいらっしゃるでしょう。

 

わかるわかる、こんなかんじだよね。

とお思いの方もいらっしゃると思います。 

 

それらの意見はどれも正解であり、

どれも不正解でもあります。

 

ここまで私自身が見ているその対象物に対する定義に、

このような定義が複数見受けられるのにお気づきでしょうか?

 

【立場により異なる】

【明確な基準はない】

 

 

これらに対するテーマ

善・悪の基準

成熟の基準

価値があるとみなされる基準

友達とみなされる基準

幸福の基準

・・・

さらに、思い浮かべていこうと思えばいくらでもだせます。

 

勇者である基準

優秀である基準

美しさの基準

偉人の基準

明るい基準

不幸の基準

悩みの基準

常識の基準

 

 

まだテーマとして書き記してはいませんが、

これら全て

【立場により異なる】

【明確な基準はない】

 

といった定義となることでしょう。

 

 

世の中の真理とされているものは、

あやふやで、不確かなものであり、

そして、変化していくものでもある。

 

という事の証明であり、

それを私自身が確認したという記述部分です。

 

 

社会的な真実は複数あり、

それが共存しているのが社会なのだ。

真実というものは極めて気まぐれで、

うさん臭いものなのである。

参考文献:『媚びない人生』  ジョン・キム

john kim

 

 

 

 

 

これは、いったいどういう事かというと、

 

自分自身で変化に対応し、基準を決定づけていかなければ常に世の中には振り回されるということでもあります。

 

 

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①善悪があやふや?

②美人は共通して皆が美人と認めているではないか?

③大人と子供っぽさは共通しているんじゃないか? 

とお考えになったとしても、私の解釈はこうなります。

 

解釈

①あやふやです。

多数派が良いとされたものが単に善とされています。

長年の歴史から、どういった行いが人間にとって正しいか?は基準が出来てきているように思いますが、それはお互いの関係性を尊重し、調整するルールとしての善であり、

生き方としての善悪や

行いとしての善悪は常に変化しています。

 

 

②共通していません。

内面の美しさを美人とする人、

スタイルが悪い人を美しいと言う人等

時代や国や文化により異なります。

 

モデルは、その国(とくに視聴者)で綺麗だと思う人が多いだけの人であり、

お笑い芸人は、その国の人(とくに視聴者)が面白いと思う人が多いだけの人であるといえます。

 

③大人っぽい。子供っぽい。

大人とはそもそも、その社会での成熟とみなされる型であり、

子供とは、その型にはまっていく過程の人間の姿を言います。

 

であれば、社会ごとに型は違い、またその型は時代によっても変化していきます。

 

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このように、

明確にこうあるべき、これが正しい。

とするものはなく、その時代に多数派が思っている事がそのままその社会の基準となっています。

 

 

そしてその多数派の元である

社会』それ自体も

家族の中での多数派

団体の中での多数派

地域の中での多数派

国家の中での多数派

世界の中での多数派

と区分けされ、さらに複雑になります。

 

 

いかに社会人となり、社会を知ったところで、

視野が狭ければ

"家族"や"地域"の

善悪・幸福・常識などに振り回される事になるでしょう。

(村八分  新興宗教 謎の風習 慣習 癒着等 )

 

視野を広めて

"国家"や"世界"の

善悪・幸福・常識などに広めていくと、

大きな世界の流れを知る事ができます。

(奴隷制廃止 差別禁止 戦争反対 民主 グローバル化 核兵器減少 動物問題 環境問題の改善 女性の社会参加 IT 大きな政府)

 

 

しかし、その大きな流れさえも、

刻々とゆっくり変化していきます。

 

 

原則としては、小さな流れよりも、

世界の大きな流れを知ることは、

必要だというよりは、義務とさえいえます。

 

(国家に保護される国民が、国家も従う世界の流れに背くのは道理にかなわない為。)

例ー

国家が奴隷制をやめたのに、

国家の中でコソコソと

奴隷売買を続ける"地域"

子供の売買を続ける"家族"をみてどう思うだろうか?

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しかし、その大きな流れに従う事が原則だとしたうえで、

個性さえも失ってしまっては、

私のブログのテーマの一つの要素である

自分の人生を生きる

とはいえません。

 

 

故に

世界の流れを前提としたうえで、

自分の中での絶対的に明確な基準を設ける事が独立した自分となるうえで欠かせない過程になるのです。

 

あなたの幸福とする基準はなんでしょうか?

あなたの善の基準とはなんですか?

あなたが価値があるとみなすものはどんなもので、美しいと感じるものはなんでしょうか?

 

自分の人生を歩むための一つ目の重要な鍵

自分自身だけの、明確な基準を作る