自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

生きる・生きる意味とはなにか?『定義編』

 

 

この記事を読むには1分程かかります。

 

ようこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
 
”自問自答をとおして自分を知り、
世界を理解し、『自分の人生』を歩む" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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誰もが1度は考えた事がある事…
 
 
『いったい、
なんのために生きているのだろう?』
 
学校、仕事、恋人、結婚、運動、宗教
お金、健康、障害、家族、子供、娯楽、
戦い、平和、怨憎、愉悦、悲劇、喜劇、
貧困、贅沢
どんな事があったとしても
何を経験しても、
 
最期は死ぬ。例外はない。
 
今している事、
それは1週間後に命が尽きるとしても行う事なのだろうか?
 
子供を育てた。だからなんだ?
仕事を国のためにした?だからなんだ?
美味しいものを食べた?だからなんだ?
 
『それになんの意味がある?』
 
ふと、考え始めると、
答えなどないと感じ、または、答えはあるはずだと感じ、
迷い、思考を辞めてしまう。
 
 
そもそも『生きる』とはなんだろうか。

あなたにとって『生きる』とはなんですか?

 
 
 
 
それでは今回の、私の定義をご紹介します。
 
"生きる"とは?
①存在   ②活動
2つの意味がある。
 
①存在
『〜ため、息をする』
 
②活動
『〜という答え  理念に基づき〜 意志を貫いて〜』
 
 
"生きる(②活動)"の本質?
①破壊 ②創造 ③継承
 
"生きる"事は、破壊・創造・継承をする事だ。
②を通し、人を感動させるものを芸術という。
 
 
生きる意味?
【①存在の意味
  知り得ない事であり
  探すもの
   ②活動の意味
  見出すもの
 
 
 
⑴存在の意味の場合
 
生きる意味を超えて、
そもそも世界がなぜ存在するのか?
といった問になり、そもそも答えなど誰もわかるはずもない。人類の永遠のテーマでもあり、私自身もなにもわからないままここに存在している。
 
きっと答えはあるのだろう。
だが、それを定義づけるにはあまりにも世界に対して私は無知である。
よって、『知り得ない事だ。』としました。
(神がいる.いないの話にもなってくる)
 
つまり、
自問自答では答えがだせない。
 
 
意味があるのだ
と信じて天命.天職を探してもよし。
神仏を信じてもよし。
 
意味などないのだ
と信じてニヒリストとなってもよし。
というテーマだとわかる。
 
私自身は天命が人にはあると信じているが、創造主の存在を信じてはいない。
だがいてもおかしくはない、と考えています。
 
 
 
⑵活動の意味の場合
 
自身の活動に対する意味づけができるのは、当然の話ですね。
(会社を作る時にも、理念ビジョンを描きますよね。)
 
生きていく上では、こちらの方が重要
生きる意味は、子供を立派にそだてるため。
生きる意味は、カレーの魅力を伝えるため。
生きる意味は、皆に認めてもらうため。
生きる意味は、世界を味わい尽くすため。
生きる意味は、人類に貢献するため。
…なんでも良い。
 
 
ここに、注意点がある
活動の意味は見出すもの
 
であるという事。
 
 
つまり、生きる意味というのは、
自分で決める事であるという事であり、
 
なんのために生きているのだろうか?と誰に問うても答えなど返ってくるはずもなく、
そもそも、
あなた自身が問われているのです。
 
あなたはなんのために生きているのか?と。

 

 
 
 
 
では、他人にこれを問うとどうなるのでしょうか?例を出してみましょう。
 
あなたの生きる意味は
"子供を立派に育てる事"と見出したとしましょう。
 しばらくして、不運にも
"子供が病に倒れてしまった"
  
するとどうでしょう。
あなたは生きる意味を見失う事になる。
 
 そんな時にあなたが他人に生きる意味を問うた時、
こう決めつけられたらどうなるのでしょうか?
 
『これからはあなたは、我々の神に尽くせ。
あなたがこれから活動し、存在するのは我々の神のためである。』
 すると
あなたはその神の奴隷となる事がお分かりでしょうか?
 あなたの決意した志に沿った人生などではなく、他人の作った活動理由(理念)を守るために生きる事になるのです。
 
 
 
《 人生の虚しさ》
 
心にぽっかりと穴が空いた様な感覚は、生きる意味を見失っている時に起こる。
人は存在の否定にストレスを感じ、存在の肯定(繋がり)を求める。
 
自分にとっての自分の存在意義と
他人にとっての自分の存在意義が曖昧ではっきりしていない時、人は自らの存在の価値を疑い、充実した時を思い出し悲しみ、虚無感を覚える。
 
先にいったように、
この虚無感の原因となる生きる意味は、自ら見出さなければならず、他者に聞くことはできない。
 
聞いても、あなたを利用したい人にいいように支配されるだけだ。
 
 
 
人生の目的地・人生のルールというのは、
自由に決定できるのが人生というものだ。
 
それにあわせて戦うべき敵と、仲間が現れる。
それらがなければ敵も味方もいない人生がスタートするのだ。
他者に利用されているだけの人生である。
 
考えてみてほしい。ゴールがないマラソンにあなたは魅力を感じるだろうか?
反則のないスポーツにあなたは魅力を感じるだろうか?
 
立ち止まって良いのだ。
立ち止まって自省すべきタイミングなのだ。
 
【迷いは休め】である。
 
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思考を放棄してはならないとは、こういった事を言うのではないのでしょうか?
 
自問自答や内省というのは放棄してはならないのです。
なぜならそれは、
自分の人生を放棄する事と同義だからです。
 
 
あなたは自分の人生を生きているだろうか?
最も貴重なあなたの時間を、
唯一無二の人生の意味を他人に求めてはいないだろうか?

 

 
 
 
 
そんな気もするが、違う気もする。
とお思いでしょうか?
 
大丈夫です。なぜならこれは、
"私"の『生きる』に対する"定義"だからです。
 
あなたが納得できなければ、
あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"
が作成できるはずです。
(私のブログの読み方 参照)
 
自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?
 
ご覧いただきありがとうございました。