自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

生きる・生きる意味とはなにか?『応用編』

ようこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”世界を理解し、『自分の人生』を歩み始める事" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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今回の定義
生きるとは?
【①存在   ②活動】
本質?
【破壊・創造・継承】(②の意味)
生きる意味?
  存在の意味?
【分かり得ない事であり、探すもの】
  活動の意味?
【見出すもの】
 

 

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今回のお題や定義について、
皆さんはいかがお考えでしょうか。
私の定義にしっくりくる方もいるでしょうか?
(応用編は”私”の定義の活用例ですので、参考程度にご覧ください。)
 
それでは今回の応用編の問答を始めます。
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問 生きることは暇つぶし?
 
解釈
①存在として考えた場合
 
この世に意味があり、
自分の存在にも意味があると信じれば、
暇つぶしではなく宿命のようなものがある事になる。(ただ生きて死ぬ事それ自体が宿命の可能性)
それは、宿題であり、すでに課された義務だ。
 
 
決して暇つぶしのために生まれたのではなく、使命・宿命等を全うする事があなたが存在する理由となる。
その他
創造主を信じる人等も人生を暇つぶしとは考えないだろう。
 
 
反対に
この世に意味はなく、
自分の存在にも意味がないと信じれば、
暇つぶしというのもうなずける。
 
『生きる意味などない。だが死ぬのは嫌だ。
だから生きる。ただで生きるのはつまらない。
暇つぶしと思えばどうだろう。
楽しく生きられるではないか。
せっかくだし、前向きに生きよう。』
といった思考回路かもしれない。
 
よって虚無主義者は暇つぶしと考えうる。
 
 
 
②活動として考えた場合
 
活動は暇つぶしかどうか?
それは個人による。当然の話だ。
 
 
使命感を持って活動をする者は、
活動を暇つぶしとは考えない。
 
しかし、
社会人だから。という浅薄な理由等で
とりあえずある程度の社会的な地位につき、
家族を養い、娯楽、趣味に没頭する人等にとって、活動全ては
暇つぶしとなるだろう。
 
 
以上軽く解釈しましたが、
『生きるとは暇つぶし』という言葉の真意は
①活動と捉えると一概には言えず
②存在に意味があると信じる者には当てはまりづらく
③存在に意味がないと信じる者に当てはまりやすい
 
本質的でなく、
偏った言葉だと解釈しました。
こういう言葉に惑わされると、面倒ですね。
 
 
問  生きる必要があるのか?
 
解釈
この問は、
生きる意味がないと信じる人等の問だろうと推測できる。
生きる意味があると信じる人は、問う必要もないと思う。使命があると信じているのだから。
 
 
②活動として捉えた場合は、 
その活動がいかに他者に貢献するのか?
その活動はなんであるべきか?
等の自問自答から必要性を考えることができる。
 
しかし、
①存在と捉えた場合、
生きる意味はないと考えるという事は、
存在する必要性がないという答えに繋がる。
 
私の言う"定義"とは?の記事を参照していただければお分かりになるかと思うが、
 
自分の定義通りに世界は存在している。
 
例えば、虚無の中でただ一人ポツンと映画を見ているような世界観の人は、そういう世界を彷徨っているわけで、私が認識してる世界とは全く別の世界を生きていると思う。
 
活動する意味を見出す以前に、
存在の意味がないと信ずる人は、
生きることに理念がない状態であり、
まさに今言ったような、虚無空間に生きる人だと思う。
 
 
このような世界観を持っていると仮定すると、
食事をする事には意味がない。
人の生理的機能の一つであり、喜びさえもただの作用の一つ。といった考え方をするかもしれない。
 
他人のしている事も無意味であり、
自分を助けてくれたレスキュー隊に対しても、無意味さや不必要性を感じているかもしれない。
 
さらに、基本的に世界の事なんてどうでも良いと考えている。
ただ、死にたくないから生きているだけ。
 
つまり、なにをしても、なにをされても、楽しもうと、楽しまないでいようとも、
先に待っている『虚しさ』を誤魔化すだけの人生を生きていると思うのだ。
 
 
 
私は別の記事などで、人は繋がりを普遍的に求めていると定義した。
 
繋がりとは『"本当"の自分の肯定』
その他存在を認識、さらに需要がある事等をいっている。
なにが言いたいかというと、
 
虚無空間に生きていて、存在に意味などないと信ずる事は、そもそも、人として、不快なはずなのだ。
人間は虚しさから逃れようと、生には意味があると信じようとした。だから現代においても、様々な宗教が重宝されている。
 
そんな中で、生に意味がないと決めつける事は恐ろしく不快を感じるはずで、哲学に興味があり、原理を知りたい者以外、踏み込まなくて良い領域、考え方なのではないかと思う。
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このように、
自分の定義を作成しておけば、
 
今回であれば『生きる』について、
時間をかけずとも、
自分はその対象をどう捉えているのかを把握したことにより、
瞬時にその他の解釈を生み出すことができます。
 
自問自答による『定義』というのは、
定義=数学の定理
のようなものであるのです。
 
以上
応用編を終えます。