自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

自問自答のすすめ

”思考力”を自分のものにする

強さ・本当の強さとはなにか?『考察編』

 
ようこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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今回の定義
強さとは?【"ある基準"の勝負に勝つ力】
勝負の基準?【無数にある】
本当の強さとは?【"目的"を諦めない力】
(PACAを継続する力・目的達成を信じ続ける力)

 

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私は以前の記事でこのように定義を作成していきましたが、
『考察編』では、定義作成までの流れをご紹介します。
 
お悩みの方などは、
『応用編』をご覧ください。
 
(『考察編』は、実際に
『自問自答』をご自身で行っていただき、
テーマの本質をあぶりだす流れを体験していただく事を目的としていますので、
私の自問自答につきましては、
参考としてご覧ください。)
 
自問自答の方法については、
私のブログの読み方 をご参考ください。
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❶辞書等、世の中の定義を集める

 
 
[形][文]つよ・し[ク]
 力や技がすぐれていて他に負けない。「腕力が―・い」「―・いチーム」⇔弱い
 健康である。心身が丈夫である。「―・い子に育つ」「胃腸が―・い」⇔弱い
 物事に屈しない精神力がある。少しのことでは参らない。ひるまない。「気の―・い人」「―・い信念」「見かけよりしんが―・い」⇔弱い
 環境や条件に屈しない。物事に耐える力がある。「熱に―・い材質」「不況に―・い業種」「兄は酒に―・い」⇔弱い
 程度や度合いが大きい、また、はなはだしい。「風が―・く吹く」「真夏の―・い日ざし」「―・い酒」「度の―・い眼鏡」「責任感が―・い」「関心が―・い」⇔弱い
 ゆるみがない。かたい。「ねじを―・く締める」「手を―・く握る」⇔弱い
 断固としている。きびしい。「―・い口調」「―・く叱る」⇔弱い
 はっきりしている。明確である。「―・い線の文字」「コントラストが―・い」⇔弱い
 得意とする。「数字に―・い」⇔弱い

 

 
要約すると、
【①他と比較した時に負けないor得意or明確or度合い大きい
②丈夫。揺らがない。固い。】
 
と言っていますね。
 
材料強度(きょうど)あるいは強さ(つよさ)とは、その材料が持つ、変形や破壊に対する抵抗力を指す[1][2]

 

 
【強度=強さであり、
   抵抗力の事】
 
と言っています。
 
私の定義は相変わらず、辞書に近いものとなりました。
参照していくにつれて分かってきましたが、辞書というのは、要約こそされていませんが、
しっかり考えられた上で、綿密に情報が詰め込んであるのだとわかりますね。
 
なんとなく世の中の定義が掴めたら次に進みます。
 
 
 

❷言葉の使用例等を集める

力の強弱
色の強弱
戦闘の強弱
強い人間は自分の運命を嘆かない
強い心
強さとは繊細であること
強さとは捨てること
強さとは受け入れる力の事
弱さを知って強くなる
強さとは、結局負けない事
守りたい者があると、強くなれる
意志で動くと強くなれる
人は強くなるために剣を振るよりも、
何かを守るために剣を振るほうが強くなれる
(恐怖の応用編と同じ趣旨)
本当の強さなんてものはない。
志を貫く強さ
我慢強い
苦境が人を強くする
どんな人にも強さと弱さがある
 
まとめる。
・強↔︎弱の関係
・強弱の基準は、比べられる者であれば良い
・比較であって、単独では成り立たない。
・繊細さ・ 物を持たない事・弱さを自覚する事で強さは増す。
・動機が自分のためではないほうが、
    強くなれる。
・勝った者は強い 負けた者は弱い
・比較するモノが異なれば、
   その対象物の強弱も異なる
 
 
ここでも、世間でどういった捉え方をしているのか、なんとなくイメージできたら次に進みます。
 
 
 
 
 

❸仮説を立ててみて、一つ一つ自問自答し確定させていく。

 
仮説①『不動である事・硬いこと』x
 
正しいだろうか?
精神が揺らがない事を心が強いと表現したり、芯が強いと表現したりする事があるため、正しいよう感じる。
 
しかし違和感がある。
 
動いたら強くないのだろうか?
精神に身を任せ、高揚感をも力にする者と、
反対にいつも、平常心でいる者。
 
どちらが強いかなど、わからない。
 
否、わかる時はある。
例えば、私が野球選手だとしよう。
選手としての強さを考えると、
ホームでは、高揚感に身を任せ、
アウェイでは、慎重になるのでは、
常に最善のプレーができるとは思えない。
 
ホームでもアウェイでも、
平常心でいる者は、土壇場でも、緊張し、ミスをする事も少ないかもしれない。
 
この場合、野球選手において
"強い選手(=好成績を継続して出し続けられる強さ)"というのは、精神が揺らがない人
であるため、"平常心を保つ選手が強い"
と言い切る事ができるかもしれない。
 
 
となると、確かに『硬い事・不動である事』は強いとされる場合が多い。
 
なぜなら、
"好成績を継続して出し続けられる強さ"
というのは、
全スポーツに当てはまるからだ。
 
 
まだ違和感を感じるため、この仮説は保留にする。
 
 
 
 
仮説②『比較して大きいほうが強い』x
 
正しいだろうか?
 
背の高さを基準として比較した時、
背が高いほうが強いとは言わない。
 
しかし、
背の高さで勝ち負け(例えば背が高いほうがAさんと付き合える勝負だとでもしよう。)を決定する場合、
背が高い者はこの勝負に強いといっていいと思う。
 
 
仮説③『戦いもせず強弱はきめられない』x
 
正しいだろうか?
…省略…
 
決められる場合
決められない場合がある。
 
 
例えば、ポケットモンスターのステータスの数値で、"戦闘における強さ"を考えてみよう。
 
ー"数値"の勝負等は一目瞭然だ。数字が大きいほうが強い。
(攻撃力や速さのデータ等)
しかし、
ー"総合した数値"の勝負で、数値も拮抗している場合、"戦闘における強さ"は、戦わせなければどちらが強いのか、わからない場合が多い。
 
また、拮抗していない場合も、
ゲームの世界ではありえないが、現実では
高い確率で"総合した数値"の大きいものが勝つが、数値の低い者が勝つ場合も低い確率だが確かにある。
 
その場合、
"継続的に勝ち続ける勝負"では、
前者が強いが、
 
万が一後者が勝った場合
"1回勝負"では、後者が強かったことになる。
 
 
(直感で自分の答えに気づいた場合は、一気にその仮説に飛んで大丈夫です。
この"直感"が最も大事です。)
 
仮説④『"勝負"が関係している』確定
→派生『単独ではなりたたない』確定
→派生『勝負に勝てば強い 』
 
…省略…
 
ここで疑問が湧く。
 
勝負に負けても実際負けた者の方が、強い場合は、勝者が強いわけではないのではないか?
 
これについては、こう考えると説明できる。
(先の例と応用だ。)
 
 
例えば
のび太ジャイアンが喧嘩したとしよう。
そしてのび太が勝った。
 
ジャイアンより、のび太のほうが"喧嘩"は強い事になる。強かったのは勝った方だ。
 
"数字"の勝負ではジャイアンが勝っている。
勝負する前からだ。
"総合した数値"も拮抗せずジャイアンのほうが圧倒的に高い数値を出している。
 
しかし、こと
"1回勝負の喧嘩"では、
のび太のほうが強かった。のだ。
それは、のび太の運の力のなのかもしれないし、ドラえもんの力なのかもしれない。
 
弱かったのび太でも、ジャイアンに様々な方法を駆使して勝利すれば、のび太のほうが強い。
 
ただし今後のび太が"継続的な喧嘩"をすると考えるとやはり、のび太は弱い。
 
という事になる。
 
 
 
 
漫画:ワンピースの懸賞金等、数値での勝負は比較により勝負ができるが、
 
数値の拮抗したものの果し合い等の強弱は、
実際に戦わせるほかない。
 
ワンピース等の場合はスポーツではないため、"1回勝負"において"相手を倒す事に長けた者"が"強い"とされるので、
 
常に平常心を保つことのできる
"一流のスポーツ選手のような敵"よりも、
 
一つの勝負に全人生をかけ、感情をぶつけ、
総合的な数値が負けていようとも相手に勝利する。
"ルフィ"のほうが、"命がけの1回勝負"には"強い"ことになる。
 
 
これが勝者の強さに対する違和感と、
負けた者の強さに対する違和感の正体だと思う。
 
"継続的な勝利"か"単発の勝利"なのかにより、求められる強さは異なる。
 
 
仮説④『強さの基準は無数にある』確定
 
…省略…
"〜の"強さ 
というが原則になる。
 
この仮説は正しいように思う。
正しい。しっくりくる。と思った時点で仮説を確定してok
(確定したら、仮説の横に確定と書くとわかりやすいです。
 
仮説⑤『本当の強さは、諦めない強さxつまり、
"忍耐力"の勝負強さ』x
 
正しいだろうか?
 
 
このままでは、違和感を感じる。
 
ー"本当"の意味ー
 偽りや見せかけでなく、実際にそうであること。また、そのさま。
   2 本物であること。正しい姿であること
   3 本来の筋道であること。もともとの状態であること。また、そのさま。
 

 

まず、"本当の"という言葉の揚げ足をとっておくと、どうやら、本来の"本当"という意味ではないようだ。
このような造語は世の中にたくさんあるため、こういう場合直感でしっくりくるものを探していけばいい。
 
こんな違和感もある。
 
いくらミスターサタンが修行したとしても、破壊神ビルスには勝てない。
"戦闘の勝ち負け"においては、だ。
寿命を捧げても勝つことはないだろう。
 
だが、"忍耐力の勝負"では、負けない事ができる。それは、諦めなければ良いだけだ。
さらに、諦めない限り、"力の勝負"においても、勝つ可能性は1%未満でも存在する。
 
確かに続ける事によって負けない。
だからこそ、本当の強さと言うのだろうか?
 
 
  本当の強さという言葉の本質は…
どんな基準の勝負にも負けてしまう弱者や凡人も、"粘り強さ"の土俵では、負けないというところにあるのだろうか?
 
仮説⑥『諦めなければ負けない。諦めた時その勝負(粘り強さの)に負ける』確定
先の例はこれを言っている。
 
 
正直なところ、
気休めにすぎない。
 
実際、勝たなければならない勝負に負けたら
それはその勝負において弱者なのだ。
 
だが、こういった粘り強さという強さがなければ、負けた時、諦めて終了である。
凡人はその時代に社会から求められる、全ての勝負において弱者という事がありうる。全ての勝負に負けるという事だ。
(社会が体のか弱さや、頭の悪い者を勝者とする事は滅多にない)
が、例えば死ぬまでオリンピック選手になろうとする粘り強さがあれば、死ぬまで私は粘り強さの勝負には負けない事ができる。…
 
だがもちろん、
老人がオリンピックを目指す場合
自分の人生において"目的を達成する"=成功する"という点においては、
確実に目的達成は果たせないだろう。
 
 
 
 
繰り返すが、
 
"粘り強さ"の勝負では、
辞めなければ一生負けない事ができる、
凡人が強くあり続けられる勝負だ,
1%でも可能性が残っているのなら、挑み続ける事で、一生勝負に勝てなくても、
’粘り強さ"の土俵では負けない。
だからこの段階で、本当の強さと呼ぶと仮定している。
 
 
これは、本当の強さだろうか?
粘り強いだけでは、辞める勇気のない、
"精神の弱さ"を感じる。
 
 
考えてみても、
諦める事が問題となるという事は、
他にメインの勝負があったはずだ。
そのメインの勝敗を度外視し、負け(自分の弱さ)を認められない。
負け(自分の弱さ)を認められないから自分を省みる事もためらう。
故にダラダラうじうじと挑み続ける事になる。
 
投資の世界では、ポジションをとって計画とは違う動きをしているのに損切りをせず、塩漬けにするのは、素人のする事だ。
 
また、
その段階では辞めること。すなわち諦める事も"目的達成"の勝負のうえでは強さになる。
よって、これは正確な定義とは言えないと感じる。
 
 
本来は、
計画
⬇︎
勝負し、
負け(この段階では諦めても良い)を認め、
(粘り強さはここでは不要)
⬇︎
さらに改善し
⬇︎
また計画をたて、挑む。
この行程を続ける(ここでは諦めてはダメ)ことが、
本当の強さなのではないだろうか?
 
目的の達成は逃しつつ、粘り強さでは負けてない。と言うのはメインの勝負において、弱さであり、目的達成を追い求め、目的達成を諦めない。と言うのは、メインの勝負においては、強さになりうる。鍛え続けるファイターのようなものだからだ。
 
つまり、本当の強さとは、
 
仮説⑧『"目的達成"の勝負に勝つため、適応化し続ける諦めない強さ』確定
の事であって、
 
仮説⑨『"粘り強さ"の勝負において、負けない事それ自体ではない。』確定
 
一言で言うと、
『"目的を"諦めない強さだ。
 
"諦めない強さ"という者がいるが、これでは語弊を生む。
私のように、ただ粘り強ければ良いのではないか?となるだろう。
 
目的達成のためには、
負けるたびに、何度も改善する必要がある。
目的達成の途中では、負ける事(失敗等)、
すなわちその都度"計画を一度諦める事"も、
目的達成の勝負に勝つための要素なのだ。
 
これは
"失敗"しないと"成功"はない。
などという名言に繋がる。
 
負ける事は勝つ行程の要素。
失敗は成功の要素だという事だ。
 
 
これが、本当の強さを分かりづらくさせている理由だと思う。
 
 

❹出た定義を覚えておく

 
 
ある程度仮説が固まったら定義を作ります。
どこかにメモしておくなどして、覚えておきましょう。
 
 
 
後書き
 
昨今では、
難しい本を読んで、難しい知識を得る事が、
素晴らしい事かのように錯覚しがちです。
 
分厚い哲学書などを読んで、
他人皆が納得せざるを得ない定義を探しても、あなたの人生には
対して役に立ちなどしないはずです。
 
自分で自問自答、哲学した上で、自分のだした答えのほうが、役に立っているはずです。
 
哲学書などは、これまでの偉人たちによる現代的な考え方に至るまでを学び
新たに自分で発想するための材料に過ぎないのです。
 
最も重要なのは、
自分で思考し、答えを出す事なのです。