自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

自問自答のすすめ

”思考力”を自分のものにする

自由とはなにか?『考察編』

うこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
ーーーーーーー

f:id:shin-910710:20170911041112j:plain

今回の定義まとめ
自由とは?
【制約されない事】
制約の種類?
【①自然発生する制約②人工的な制約】
契約から完全に逃れられる?
【社会生活上不可能】
現代における自由人?
【一定の制約の範囲内で、自身を完全にコントロールする者】

 

ーーーーーーー
 
私は以前の記事でこのように定義を作成していきましたが、
『考察編』では、定義作成までの流れをご紹介します。
 
お悩みの方などは、
『応用編』をご覧ください。
 
(『考察編』は、実際に
『自問自答』をご自身で行っていただき、
テーマの本質をあぶりだす流れを体験していただく事を目的としていますので、
私の自問自答につきましては、
参考としてご覧ください。)
 
自問自答の方法については、
私のブログの読み方 をご参考ください。
ーーーーーーーーーーーーーー
❶辞書等、世の中の定義を集める
 
辞書
 自分の意のままに振る舞うことができること。また、そのさま。「自由な時間をもつ」「車を自由にあやつる」「自由の身」
 勝手気ままなこと。わがまま。
 freedom》哲学で、消極的には他から強制・拘束・妨害などを受けないことをいい、積極的には自主的、主体的に自己自身の本性に従うことをいう。つまり、「…からの自由」と「…への自由」をさす。
 法律の範囲内で許容される随意の行為。
 
自由(じゆう)とは、他のものから拘束・支配を受けないで、自己自身の本性に従うことをいう。哲学用語。
 

 

【まとめる】
・拘束・支配を受けない事。消極的
・自分の本性に従うこと。積極的
・わがまま 自分勝手
・法律内で、許される範囲の行為
・思い通りに振る舞える事
   
なんとなく世の中の定義が掴めたら次に進みます。
 
 
❷言葉の使用例等を集める
 
経済的自由
政治的自由
自由な時間
自由な人
自由な状態
個人の自由
自由研究
…省略…
 
 
まとめる。
・自由にも細かいカテゴリがある。
・人の目も制約の一部になる
・前提で守るルールがある。
・前提とする制約ありきで制約のないという意味の自由がある。
…省略…
 
 
世間のテーマへの解釈や、
偉人達の解釈がなんとなく掴めたら次に進みます。
 
❸仮説を立ててみて、一つ一つ自問自答し確定させていく。
 
 
仮説『自由は制約ごとに存在する』確定
 
正しいだろうか?
 
①例を出す。
刑法の範囲内での自由は、犯罪でなければ自由に振る舞える事になる。
だが、私は刑法内のルールのみを守って生活しているわけではない。
 
道端で急に大きな声で歌いながら走りだすのは犯罪ではないが、人の目を気にしてそのような事はしない。
 
飲食店で寝転ぶのは犯罪ではないし、
無茶な要求をするのも犯罪ではない。
しかし、お店の暗黙のルールを察してそのような事はしない。
 
 
この場合
・法律への自由と、法律からの自由
・他者への自由と、他者からの自由
・お店への自由と、お店からの自由
その他
・強者への自由と、強者からの自由等
(力とはなにか?の定義参照)
等が存在しているように思う。
 
さらに細分化していけば、
・刑法〇条への自由、刑法〇条からの自由
等無数に存在する。
 
この仮説は正しいように思う。
正しい。しっくりくる。と思った時点で仮説を確定してok
(確定したら、仮説の横に確定と書くとわかりやすいです。)
 
つまり、
『制約は無数に存在する。
それに対応する自由も無数に存在する』確定
 
 
仮説『自由は個体ごとに異なる』△
 
正しいだろうか?
①例を出す。
私の自由と他者の自由、
団体の自由や国の自由。
皆にとっての自由が存在する。
…省略…
 
②反対意見をだす。
個体ごとに存在しているわけではない。
自由とは一つの意味であり、
例え私と他者があっても、個体ごと自由を求めるわけではない。
…省略…
違和感があるが、それぞれ自由の意味が異なっているわけではない。
 
③修正する。
 
仮説『自由は個体ごとに存在する』確定
 
 
 
 
…省略…
危険だから外に出られない。
   危険から守るために鍛えなければならない
   
憲法 法律 条例 規則 条約 契約…
 
 
仮説『自由な者と不自由な者が存在する。』確定
 
①例を出す
力の定義でも参照したが、
力の強い者は弱い者を"思い通り"にできる。
 
つまり、力において弱者は不自由であり、
強者は自由という事になる。
力の定義ではそれ故、強者には責任がつきまとうと応用した。
 
簡単に作ったが、"力による制約"おいては、
このような図になる。
強国>弱国>企業>地域>団体>家族>個
左に行くほど自由。右に行くほど不自由だ。
 
国が国民に、〇〇をしてはダメだといえば
国民は〇〇をしてはならない。
(主にこれは法律)
 
すると、
〇〇への自由、〇〇からの自由といった、
〇〇という制約に対する自由という概念が新しく生まれる。
 
この場合他国の国民はその制約に縛られず、支配下にある国民のみがその自由という概念を共有する。
 
 
 
仮説『人は、②人工的なルール(制約)がないと、むしろ不自由になる』確定
 
正しいだろうか?
 
①例をだす
人々は全くの自由(法律がなく、約束もない)状態になると、それぞれが何をしても良い状態になる。
人を殺しても良いし強姦しても良い。
もちろん、それらから守るため相手を殺しても良い。となると、
殺されるのが嫌だから集団を作り、統制し、要塞を作るかもしれない。
これは無理やりそんな環境から作らざるをえなかったのであり、好き好んで要塞を作り、人を殺す訓練をしているわけではない。
もちろん、人を殺す事や奪う事に快楽を覚える狂人もなかにはいただろうが。。
 
そのような団体を作っても、
そこにルールがなければ、戦わなくても良いし逃げ出しても良い。となれば、要塞は破られるであろうし、奪い合いや憎しみ等は永遠に終わらないだろう。
全くの自由はむしろ、他者の自由に対して抵抗せざるをえないという不自由が、いたるところに発生する。
 
このような状態から、
奪い合いの勝者が他者の力を奪い、ルールをしき、その他の脅威に対する軍事力も高めながら、個の自由も制約の範囲内で認め、調整を図ったのが国であり、法律であるように思う。
 
…省略…
 
②反対意見をだす。
…省略…
 
 
人が作ったルールがなかろうと、
その他の暗黙のルールや制約が存在する事にもなる。そのため、ルールを人が作っていなくとも、暗黙のルールは存在し、不自由極まりない状態に陥る。
 
暗黙のルールや制約
例 強者からの要求という制約
   防衛のための訓練をせざるをえない制約等
   外を出歩けば殺されるかもしれない地域は、法律がなくとも外を自由に歩きまわれないという不自由が発生する。
 
 
仮説『制約の種類がある。
          ①自然発生する制約
          ②人工的に作った制約』確定
 
正しいだろうか
…省略…
 
人工的な制約の目的は次のようになる
・強者の自由のための制約(独裁制)
・個々(個人・社会)の自治等、自由の調整
 
自由の調整等のための制約はいわば、
・『強者による自由』と呼べる。
強者が制約を作る事で、その配下にある者は、力の強者による制約は受けざるを得ないが、そのかわりに"自然発生する制約からの自由"が強者により手に入る。
 
もちろん強者からの制約により、
強者からの自由・強者への自由は存在するが、強者による自由も存在する事になるという事だ。
 
これは日本国憲法自由権についての考え方等にもつながっていく。
『国家への自由・国家からの自由・国家による自由』についてだ。
 
 
仮説『制約や支配されている状態が不自由。
制約されず、支配されていない状態が自由』
確定
 
 
 
仮説『個々が完全な自由になる事は、社会生活を送る上では難しい』確定
 
①例をだす。
誰もいない野原で、誰の土地でもないのならば何をしても良い。
だが、そこに他者(動物含む)が存在する場合必ず制約が生まれる。暗黙のルールや制約が自然に生まれ、必ず不自由な状態になる。
また、ほとんどの場合力関係等から一方的にアンバランスな自由と不自由が生まれる。
不平等で、常に危険と隣り合わせの世界だ。
 
本当の意味での自由とは、
自己以外なにも存在しない事だと言えると思う。(災害も生物もなにもない状態でないと、自己への干渉が存在する時点で、制約が生まれる。)
しかしそれは、現代の社会生活を送っていくうえでは難しい。誰の協力なしに生きていくことも困難だ。
 
②反対意見をだす
…省略…
 
仮説『制約には、罰則があるものや、ないものとが存在する』確定
 
人目がある。という制約は、
人目を気にしない(制約を守らない)という信念を持つものを、人目を気にする人が見た時、"自由な人"というように表現される。
 
また、その制約を破っても罰則はなく、
たんに不利益の可能性があるだけだ。
(恐怖とは?の定義参照)
このような制約は、制約を守らない事により起こる事それ自体が罰則の役割を担う。
それ故、
 
仮説『現代においての自由人とは、
人工的な一定の制約の範囲内で、自身を完全にコントロールできる者だ。』確定
 
一定の制約の範囲内?
 
力関係において弱者である個人が、
力関係において強者である国の法律を破る事はかえって、刑が定められている事などからも、不自由を招く事は容易に想像できる。
まず、法律を守る事が必須となる。
また、世界の流れ(人種差別撤廃や女性の社会進出等)に逆らう事もまた、いずれ破綻を招く原則とも言え、そんな流れに従うことも必須となるだろう。
 
これは自然発生制約内の自由をとるか、
人工的な制約の範囲内の自由をとるか、といった話になるが、それを選択できるのは力関係の強い者だ。個人は結局弱者にかわりない。よって、前提として個人は、国の法律や、世界の大きな流れに従わざるを得ないのが実情だ。
 
 
 
 
自身を完全にコントロール
 
人は法律の範囲内においても、様々な自然発生する制約により、不自由となっている。
 
人の目(炎上や嫉妬)や、治安の悪い地域の外出や、恐怖による制約(恐怖とは?参照)や、マナー違反、自身の虚栄心や感情の揺れ動き等…
自身を様々な制約が縛り付けているはずだ。
 
外出先で急に叫んだり、海に急に飛び込んでみたり、飲食店で食器を鳴らして歌い始めたり、法律違反ではないが、
先の事を考えたり、恐怖があったり、様々な要因から普通の人は"出る杭"とはなっていないと思う。
 
これらの制約から自由になるためには、
これらの制約を気にしないという自身の中の制約が必要になる。
 
つまり、自己をコントロールするには、自身のなかに確たる意志や基準その他信念という制約を作っていく事が必要になる。
 
・人目は気にしない。
・恐怖は許容できる不利益なら気にしない
・マナーは過度に気をつけない。
・炎上への恐怖よりも、使命を貫く
・馬鹿にされてもいい。
・感情的にならない。
 
自身の決めたルールに従う事は自身による不自由ではあるが、結局人間は、
他者のルールに従うか、
強者のルールに従うか、
自然のルールに従うか、
自分のルールに従うか、
常に選択をせまられているという事だろうと思う。(完全な自由等は、そもそも条件が揃いづらく、社会生活を送る上では答えをだすことは不必要だとも思うので省略する。)
 
同じような人間があちこちに散見されるのは、自分の中に信念を持たず、様々な制約にがんじがらめにされているからだと取ることもできる。
 
 
私はこのブログで、【自分の人生を生きる】事をコンセプトとしているが、
もちろんここでの自分の人生を生きる事は、"自由人である事"を意味する。
 
自分の人生とは、強者の制約には従わざるをえないが、自分で築いた、基準や信念、意志に従って生きていく人生の事だ。
制約にがんじがらめにされた者が、自分の人生を生きているとは言えない。
 
人目を気にしすぎれば、他者の思う通り、望む通りの範囲内の人間であり、
恐怖に怯えれば、控えめで臆病なよくいる人間であり、
発言を常に気をつければ、よくいる可もなく不可もない、取るにならない人間であり、
馬鹿にされる事に恐怖すれば、何の挑戦もしないそのへんにいるおじさんやおばさんになる。
 
そんな人間は山ほどいて、
そんな人生は動物や虫と大差がない。
従うルールが虫や動物と違うだけだ。
 
人間はそんなに愚かな存在じゃないはずだ。
人間は自分を制約することのできる、唯一の存在のはずだ。
 
❹出た定義を覚えておく
 
ある程度仮説が固まったら定義を作ります。
どこかにメモしておくなどして、覚えておきましょう。
 
 
 
後書き
 
昨今では、
難しい本を読んで、難しい知識を得る事が、
素晴らしい事かのように錯覚しがちです。
 
分厚い哲学書などを読んで、
他人皆が納得せざるを得ない定義を探しても、あなたの人生には
対して役に立ちなどしないはずです。
 
自分で自問自答、哲学した上で、自分のだした答えのほうが、役に立っているはずです。
 
哲学書などは、これまでの偉人たちによる現代的な考え方に至るまでを学び
新たに自分で発想するための材料に過ぎないのです。
 
偉人たちは、一致してこう説いています。
 
最も重要なのは、
自分で思考し、答えを出す事なのだ。
と。