自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

怒りとはなにか?『定義編』

ようこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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私たちは常日頃から、
イライラや怒りに遭遇しています。
 
それではそもそも怒りとはなんでしょうか?
なぜ人は怒るのでしょうか?
 
あなたにとっての、怒りとはなんでしょうか?
 
 
 
それでは、今回の定義を紹介します。
 
怒りとは?
不快感に対する反応
 
・ネガティブ(消極的)、受動的、反応的な感情
・その感情の目的については、知る必要もないので自問自答はしなかった。
(防衛反応なのか、たんなる反応なのか等)
これらは学問の話だ。不快な時に人は怒るとわかれば生活には充分生かせる。
 
今回の定義を言い換えると、
怒りとは?
ストレスそれ自体
不快感…ストレッサー
それに対する反応…ストレス
 
ストレスとはなにか?

 参照

 
私たちが使う『ストレス』というのは、
実は『ストレッサー』の事だそうだ。私はそれ自体が怒りだと推測し、しっくりきたため私の今回の定義とした。
正直なところ、感情というものについて、私自身あまりにも無知であり、恥ずかしい定義をしてしまっているのではないかと、モヤモヤする。
 
が、それも戒めとし、記述する事にする。
 
どんな出来事に人は怒るか?
限定されない
が、ある程度パターンが見つかったので後述する。
どんな時に人は怒るか?
不快だと思った時
つまり、人により怒る基準も、タイミングも異なり、
怒りやすい人とは?
不快だと感じやすい人
だといえる。
 
 
 
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《よく人が怒るパターン》
 
・期待やビジョンとの不一致
・思い通りに行かない時
・不当な扱いを受けた時
(人が不快だと感じやすい出来事であるから、実際まだまだ例はある)
 
 
よく怒るパターンを例に挙げたが、
このような出来事に対して"不快"だと強く感じる人ほどよく怒る。
先の例を参照すれば、例えば、こんな特徴のある人は怒りやすいといえる。
 
《怒りやすい人の特徴》
・傷つきやすい ネガティブ
・自己中心的
・反応的 受け身 
・世間知らず。 
・他力本願
・貧乏
・計画性がない
・ナルシスト
・傲慢
・わがまま
・悲劇のヒーロー・ヒロイン
・視野が狭い 瑣末主義
・理想、要求基準が高い
・被害者意識が強い
・正義感が強い
・自意識過剰
・短期的視点
…略…
 
具体的な事は応用編に述べた。
これは悪口ではない。パターンからわかる、怒りやすい人の特徴をただ、すらすらと並べただけだ。
 
相手の怒りに耳をすませば、相手がどんな人間かわかるという事でもあるので、怒っている人を見たら、何に怒っているのかよく聞いてみよう。
 
 
 
話が変わるが、
 
普段の生活においては、
人前で怒る人間というのは、大人としてはどうも、未熟さを感じる人が多いのではないだろうか。
 
快、不快はある程度は受ける程度を調整できるはずであるし、
怒りが反応だとしても、不快感の原因を辿れば、自らに非がある事が多い。
にもかかわらず、
よく怒る人というのは受動的、反応的で、
怒りを抑えるために、不快の原因を断とうとする積極性、理性的な面が見えない。
故に、怒っている人は自分の愚かさを棚上げして他に文句を言っている未熟者に見えるのだと思う。
 
 

では、

怒りという感情は、どんな場合にも未熟であると言え、抑えるべき感情なのだろうか?

 

 
筆者が唯一怒るべきだと思う事例がある。
 
それは人が怒るパターンの一つ
・攻撃を受けた時。(物理的 社会的)
などがそうだ。
 
自分の人権を侵害された場合などはそうだろう。どんなに対策をうとうが、
・期待やビジョンとの不一致
・思い通りに行かない時
・不当な扱いを受けた時
 
これらのパターンのように、
・攻撃を受けた時
については、心持ちだけの問題ではない。
 
 
例えば、
差別されたとしよう。(不当な扱い。)
それに対して、無知な相手や、愚かな相手を赦す心持ちを持つ事はできる。
 
事が思い通りにいかないとしよう。
それに対して、思いどおりにいかないのが常と思い、しょうがないから、やれる事はやろう開き直る事はできる。
 
攻撃を受けたとしよう。
これは心持ちではどうにもならない。
今、傷ついているからだ。守るためには怒らなければ、不快に感じるだけではなく、あなた自身が、大事な人が、壊れるだけだ。
 
むしろ、そのための怒りという反応なのではないかとも言える。
 
他者の攻撃をうけておいて、ニヤニヤと、
怒ってない私は素晴らしい。等というのは、その攻撃が痛くもかゆくもない、強者がそうした時カッコ良いのであって、
弱者がそれをしても、気持ち悪いだけだ。
 
平和が良いのだと言って、のび太がニヤニヤしながら、ジャイアンに殴り殺されたとして、のび太はなにが立派なのだろうか?
 
目的を達するために我慢が必要な時もある。
我慢こそ強さであり、素晴らしい行いである時もある。だが、それは怒るなということではないのだ。
 
誇りを。大事なものを守るためには怒らなければならない時もある。
 
そのため、
怒る事は未熟であると、一概に言い切る事はできないと私は思う。
愚かな怒る人と、愚かとは言えない怒る人の違い等については、応用編に述べた。
 
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そんな気もするが、違う気もする。
とお思いでしょうか?
 
大丈夫です。なぜならこれは、
"私"の『怒り』に対する"定義"だからです。
 
あなたが納得できなければ、
あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"
が作成できるはずです。
(私のブログの読み方 参照)
 
自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?
 
次回、定義の考察編をご覧ください