自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

自問自答のすすめ

”思考力”を自分のものにする

怒りとはなにか?『応用編』

 
うこそ
 
このブログでは、
”人生とはなにか?生きている意味?”等
様々な難問に対し、
私自身の『答え=定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々が
”悩みを解決"
"幸せになる"
"強くなる"
”『自分の人生』を歩む"
”世界を理解する"
 
その他様々な場面で必要になる
 
"『考える力』を養う" 
それらを目的に作成します。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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今回の定義
怒りとは?【不快感に対する反応】
(ストレスそれ自体)
人はなにに怒るか?【限定されない】
どんな時怒るか?【不快と、思った時】
怒りやすい人とは?【不快と感じやすい人】

 

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目次
今回のお題や定義について、
皆さんはいかがお考えでしょうか。
私の定義にしっくりくる方もいるでしょうか?
 
 
(応用編は”私”の定義の活用例ですので、参考程度にご覧ください。)
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この定義を使っていくと、
世の中に溢れる様々な言葉について、
どんな意味合いで使われているのか。
 
私の世界観で見ていくと、次のように捉える事ができます。
それでは今回の応用編の問答を始めます。
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《悩み編》

 
問 腹がたつ人が職場にいて困る。
    イライラしやすいのを治したい。
 
あなたが怒っているのは、その人の"なにか"が不快だからだ。
そんな当然の事を言うな。と言われそうだが、これは重要なのだ。
 
その"なにか"を探ってみてほしい。
これが簡単ではないから、問題なのだ。
 
例をだしてみよう。
①あなたが、仕事を雑にする同僚に、ムカついているとしよう。
 
②なぜ不快なのか?考える。
仕事は真面目にするのが普通であり、
丁寧にすべきだと思っているとする。
 
③さらに、なぜそう思うか?
お客さんや、関係者が迷惑する。故意に迷
惑をかける事は、ダメだと考えているとする。
 
この③が、具体的な不快原因だと人は勘違いする。
この場合、『他人に迷惑をかける事』に不快を感じていると思い、その不満をぶちまけるのが通常だということだ。
 
これが、本当に自身の怒りの原因なら、
その不快原因を不快と感じないよう、環境を変えるか、自分の内心を変えればいい。
 
例えば
・人は人に常に迷惑をかけているものだという内心を持ったり、相手を理解しようとしたり、自分を省みて改善するための教訓を得たと思うようにしたりする。
・同僚に業務をきちんと行うよう、権力等を利用して圧力をかけたりする。
(このように、他人を変えるのは労力を要するので、通常は、自分を変える事をすすめる。)
 
人が通常思い浮かべる不快原因が本当の不快原因であれば、
これだけで、解決する問題なのだ。
 
しかし、これでは解消に向かわないのが通常だろうと思う。
 
あなたが本当に不快を感じているのは、『他人に迷惑をかける事』ではないのだ。
事実、その同僚以外の者が雑に業務をこなしていても、怒りが湧いたり湧かなかったりするのではないだろうか。
 
 
これは、理性で怒りの原因。すなわち不快の原因を突き止めるのは通常は困難であるということを示している。
あなた自身、なにが不快だったのか頭ではわかっていないのである。
 
"反応"が怒りであり、
筋道を辿って反応しているわけではないから、頭で原因を探っても分かりづらいのだ。
例えていえば、怒りは病気の症状のようなものだ。
病気の症状の原因は、お医者さんか、自身の生活を省みたりする事によってしかわからない。案外、他人のほうがあなたの怒っている原因をわかっていたりする不思議はここにある。
 
では、どうすれば"本当の不快の原因"を知る事ができるのか?
 
次にあなたが怒った時、自身をじっくり、観察してみてほしい。
 
怒りが湧き上がってきた時
呼吸はどうなり、鼓動はどうなり、
どんな言葉に胸のあたりが熱くなり、
どんな行動にどんなタイミングで、
なにをしたくなったのかをだ。
 
すると、だんだん見えてくるはずだ。
自分がなにに不快を感じているのかを。
 
本当は
同僚が早々と出世していく事にたいする嫉妬であったり、
同僚と自身を重ねた同族嫌悪であったり、
同僚が自分と仲良くしてくれない事からくる、間接的な自身の否定であったり、
本当は褒めてほしいだけであったりだ。
 
不快原因などは、正直人に言えるようなものでなかったりするが、それで良いのだ。
自分の問題なのだから。
 
 
部下を持った事のあるものであれば、これはおわかりではないだろうか?
ごちゃごちゃと自身に対しての小言を言う部下に『頼りにしてるよ』と言って、3日に1回ほどコーヒーを1杯奢ってやれば、その部下は自身に対しての様々な文句は言わなくなるものだ。
この場合の部下の主張は、
公正であるべきだの、私の業務態度が〜だの、バリエーションに富む。
しかし、彼の本当の怒りの原因は、
自分を認めてくれない間接的な否定に対する不快等からきていたという事だ。
 
一言で言えば、彼は褒めて欲しかっただけなのだ。
 
 
問 常に怒っている人は自信がない?
 
常に怒っている人には、何パターンかある。
まず、大別して2つ。
①故意に怒っている人
②偶発的に怒っている人
 
そして、その怒っている対象が、
a:自分 
b:その他
などの違いから、怒り方が全く異なる。
 
つまり、結論を言うと、
怒りっぽい人=自信がない。とは言いきれない。どんな怒り方をしているかにより、異なってくるのだ。
 
そもそも、自信家も怒りやすい人の特徴にあてはまるため、怒りと自信は結びつきにくい。やはり自信がないとは言い切れない。
 
自信の定義さえ世間ではあいまいだ。
 
 
 
 
 
①故意に怒っている人とは?
 
びっくりするかもしれないが、
わざと怒っている人が多く存在する。
怒りやすく、常に周りが気を使わなければならないような人(仕事以外のプライベート含め)は、
 
よくよく観察してみるとわかると思うが、
不快な出来事に偶然遭遇して怒っているのではなく、
不快になろうとして、自ら不快を感じるようなものに目を向けて、怒っていることがわかる。
 
 
では、なんのため、怒るのだろうか?
 
怒ると周りの人はどうなるだろう。
恐怖し、または面倒だと感じ、助言や苦言を呈すものは周りにいなくなる。
つまり、その当人の悪口を言うものはいなくなる。(じつは本人に聞こえないだけだが)
 
怒るという行動はすなわち、他者に制約をかし、自らが自由になる事だ。
 
常に怒る事による威圧によって、
・人に足を引っ張られる
・人に攻撃される。
・自分に利益のない事をやらされる。
・利用される
・自らの行動に口を出される
……
等、ようはなんらかの目的のため、人を近寄らせないようにしている場合がある。
 
怒りを利用しているのだ。
不快に怒ってはいるが、不快をやわらげるためではなく、怒る事そのものが手段なのである。
 
怒りを利用している例は他にもある。
怒りをエネルギー、原動力にする者もいる。
高い理想を掲げ、それとのギャップに怒り、
自らを鼓舞し、高い理想に怒りを利用して近づこうとする。
業界のプロフェッショナルに、仕事中だけやけに怒りやすい人を見たことがあると思う。
 
怒りは付き合い方を工夫すれば、強い武器にもなるのだ。
 
 
 
②偶発的に怒っている人?
 
これは通常の怒っている人と考えてもらっていい"偶然"不快を感じ、怒っている。という事だ。
 
 
 
怒りの対象について
 
a:自分への怒り
 
自分に対する怒りから、
常に殺気立っている者がいる。
 
こういった者は、
自分自身の"なにか"に対し、不快感を感じ、イライラしている。
なんだかよくわからないけど、イライラするといった状態だ。
 
そして、周りに当り散らしたりする、迷惑極まりない存在でもある。
 
 
こういった者は、案外
それを解消したいと思っている。
誰だってイライラしてばかりは嫌だ。
 
だが、怒るだけではもちろん、
自身の"なにか"に変化はないため、また"なにか"に漠然とイライラし、同じ怒りを繰り返す無限ループにはまっている。
 
こんな人の人生はまさに、
怒りという感情に支配された人生となるだろう。
 
 
怒りというのは不快に対する反応であり、
不快の原因を解決するわけではないから、"怒っても問題は解決しない。"のは当然の事だ。
 
自分から発する不快の原因を取り除くには、
不快の原因となっている自分の"なにか"と向き合い、改善し、自分を変えいかなくてはならない。
不快を取り除くには多少の理性と、努力が必要なのだ。
 
受動的、反応的に生き、自省を怠れば、延々と続く、漠然としたイライラに蝕まれ、『自分の人生』を歩む事などは到底できなくなる。
 
 
なぜか、普段からイライラする人等は、
自問自答や内省をぜひ、してみてほしい。実は、あなたが一番許せないのは、自分自身かもしれないのだ。
 
 
 
②他への怒り
 
業界のプロフェッショナルで、ずっと怒っている人を見かけた事があると思う。
理想と、現実に対する怒り等を、原動力とする者がいるのは、先に述べたが、その一例だ。
 
この業界のプロの取り巻きは大変だと思う。常に高い水準を求められ、それに見合わなければ罵倒されだろう。
これが他への怒りの例だ。
 
 
 
人々に軽蔑されているタイプのよく怒る人は、
怒りを利用しているわけではなく、
偶然出会った不快感に対し、よくカッとなって怒る人。
つまり
②偶発的に怒っている人たちだ。
 
確かに怒るとスッキリする。
不快が和らぐ。しかし、原因改善はしない
また同じ不快が訪れるかもしれない。
 
不快の原因は自分で制御できることが多い。
一言つけくわえたり、
事前に調べて置いたり、方法はいくらでもある。
 
それにもかかわらず、
よく怒るという事はつまり、
対処をなにもしてない。という事の表れである。
 
だから、他者からの評価は下がっていく。
受動的でネガティブかつ、知恵のない人だと思われ、自分自身も後悔だけが残る。
 
 
偶然的によく怒ってしまう人は、そもそも、自分ができることはなかったのか?考えてみてほしい。
むしろ、全ては自分に責任があるのだと、肝に銘じるくらいがいいだろう。
 
 
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《名言編》

(名言編は独自に名言を解釈していき、定義を応用していく)
 
問 血の気の怒りはあるべからず、理義の怒りはなかるべからず。
 
この言葉はさきにのべた。
①偶発的に怒るものと、
②故意に怒るもの
の事を言っていると解釈する。
偶発的に怒るな。
理性によって怒る事は必要だ。
と言っているのだと思う。
 
 
 
問 怒りは奇妙な用法を有する武器である。
他の全ての武器は、人間がこれを用いるものだが、この武器は我々を用いる。
 
(自由の定義参照)
怒りというのは反応。とすれば、反応がでてしまえば、その制約に縛られ、自由が効かなくなる。怒りに自負自身がコントロールされることになる。
であれば、怒りが出る前に、そもそもの怒りの原因を突き止め、消す努力をしなければならない。そうしなければ、怒りに支配される事になる。
 
怒る事は『怒りの奴隷』になる事だ。
 
 
問 怒るのは自分の知恵の足らなさを認めるようなものです。  孫正義
怒を敵と思え   徳川家康
怒ってばかりいると、人生がだめになる。
 
もし君が怒って破裂したところで
彼らは少しも遠慮せずに
同じ事をやり続けるであろう。
 
先の悩み編で大抵のことは述べた
怒る事は反応であり、不快感の原因に対処していない。
つまり合理的な解決策ではもちろんない。
 
 
 
『俺は過ちを犯してない』とか
『俺は何もしていない』とか
我々の憤りの多くはそのような文句で始まる。こんな文句を真に受けるべきではない。
ルキウス・アンナエウス・セネカ
 
 
怒っている人はしばしば、不快の原因を人のせいにする。
不快の原因に対して、自分の準備不足を責めない。
 
人のせいにしても状況は変わらない。
怒っている当人が影響できるのは、自分自身や身近な他人くらいなものだ。
影響できないところに怒っていても何も解決しない。
 
だからこそ、同じような問題に再び怒るといった事を繰り返し、知恵のない人だと思われる。
 
不快に対して怒ると同時に、
自分に責任があると思う事も不快だから、それに対して反応的に人のせいにする。
 
無意識によく怒る人がなぜ未熟と言われるのか。明らかだ。
 
 
 
問 理性は公平な判断を下すことを望むが、
怒りは下した判断が公平に見えることを望む
 
同じか、近い本質観だと判断できる。
 
私は応用編全般からわかるように、
怒りは自分の不快を和らげるための反応だと推測した。
 
とすれば、公平さよりむしろ、自分都合の結果を望む事になる。
不快じゃなければ、他のことはどうでも良い。そういった事を望む事。それが怒りだ。
 
 
怒っているものは、もっともらしい事を口にする。『公平であるべきだ。正しくあるべきだ。』と。
 
よく耳をすませてほしい。
そしてその怒っているものを取り巻く環境に目を向けてほしい。
 
まともな事を言っているようで、
実は自分自身が気持よければそれで良い。というのが大半だ。正義や公平さなどを、望んでるわけではないのだ。
 
クレーマー等そんな愚者達の意見等、放っておけば良い。
が、そんな中にある正論には耳をすまし、自身を省みても良いのかもしれない。
 
 
怒りは自分に悦び、へつらう感情である
 
怒りとは、
自分が不快を感じないように、
自分に媚を売っているといっていい。
 
不快の原因が自身にあるかどうかなど、関係ないからだ。そしてしばしば怒る人は不快を人のせいにする。
 
つまり、怒っているうちは、
自分自身が裸の王様。怒りはその家臣。
すなわち、怒っているあなた自身は、
自分に真実を告げず、YESマンをやっているのと同じだ。
 
王様が不快を感じたら、王様が例え愚かで、知恵遅れだとしても、
王様に不快をもたせたものを攻撃し、王様を擁護する。
 
王様の改善をするのではなく、
他を改善しようとする。もちろん王様が変わらないのだから、その王様の不快は再発する。
 
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このように、
自分の定義を作成しておけば、
 
今回であれば『』について、
時間をかけずとも、
自分はその対象をどう捉えているのかを把握したことにより、
瞬時にその他の解釈を生み出すことができます。
 
自問自答による『定義』というのは、
定義=数学の定理
のようなものであるのです。
 
以上
応用編を終えます。