自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

家族となにか?『応用編』

ようこそ
 
 このブログは、自問自答をとおして、
『自分の人生を歩む事』をテーマに、
 
"友とは何か? 人生とはなにか?"
などの様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々の
思考のキッカケになる事を目的に作成しています。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
ーーーーーーー

f:id:shin-910710:20171009112543j:plain

今回の定義
本来の家族の定義 
【一般的に核家族をさし、家族自体に本来意味はない】
親族とは?
…省略…

 

 

ーーーーーーー
目次
 
今回のお題や定義について、
皆さんはいかがお考えでしょうか。
私の定義にしっくりくる方もいるでしょうか?
(応用編は”私”の定義の活用例ですので、参考程度にご覧ください。)
 
 
定義を使っていくと、
世の中に溢れる様々な言葉について、
どんな意味合いで使われているのか。
私の世界観で見ていくと、次のように捉える事ができます。
それでは、今回の応用編の問答を始めます。
………………………………………

《悩み編》

 
家族は支え合うのが当然か?
 
当然ではない。
 
家族は自分の都合の良い道具とみなす人間がこの世にはたくさん存在する。
家族の存在意義に決まりはないのだから。
 
支え合うのが当然と思う人は、良い人で、恵まれた人なのだろうという印象がある。
素敵な人だ。このような人ばかりならこの世界は素晴らしい世界なのだろう。
そんな人ばかりの家族はさぞ、幸福だろう。
 
反面このような人達は、都合のいいように利用されやすい人にも見える。テレビの感動番組や、広告の宣伝文句に騙されてしまう人などに多いようにも思う。そんな危うさがある。
 
だが、それを考慮しても
愛ある家族の素晴らしさには光るものがある
。話が逸れてしまったので、次の問に進む。
 
 
家族と縁を切りたい
 
家族との関係は切れない。無理だ。
切れないから家族というのだから。
 
親から見た配偶者としての家族なら離婚すれば良いが、親子関係は切れない。
 
関係を切れるなら仲間である。家族ではない。事実上の縁の切り方の方法はあるが、それは今は述べない。
 
 
家族が嫌い。私はおかしいのか?
 
私の定義から考えれば、
おかしいわけがない。
家族は良いものにも、悪いものにもなる。
捨てられない仲間であり、鎖のようなものでもある。よって、そもそもこの悩みの前提がおかしい。
 
家族が好きなのは当然なのだろうか?
家族が好きなのは、家族がたまたま自分にあっていたからにすぎないはずだ。
嫌いな家族も、恨んでいる家族がいてもおかしくはない。
 
問題なのは、恨んでいても嫌っていても
血縁は切れない事だ。さらに家族を捨てられない。この国では法律で、扶養する義務さえある。
家庭の問題に国が口を出す。故に現段階で個人は、どんな家族との縁も事実上しか切ることができない。
 
だから、通常の人は家族だけは支え合い協力する道を選ぶ。自身にとってもメリットが大きいし、誰しもが求める繋がりも手に入るからだ。
 
しかし、このような鎖で繋がれた関係なのにも関わらず、家族を蔑ろにするようなタイプの人間がよくいるのも確かだ。
 
そうなると、支えようとする者と、支えられようとする者。つまり、一方的に苦労させる側と、苦労させられる側に別れるなどして、家族のトラブルが生まれたりする。
 
こういった空気の読めない者を、嫌わず好きになれ。というのは酷ではないかと思う。
 
 
 
不倫している家族(主に親)がいて辛い。
 
 
一般的にこのような悩みを持つ子供は、かわいそうにみえるらしい。
が、私から見ると、以下に述べるタイプの子供の場合は、滑稽な親子である。
親と同じレベルの子供である。
 
 
この問題には一見複雑に見えるような問題が絡んでいる事が多い。
(辛いとはそもそも、
思い通りにいかない事を言う。苦しいという意味に近い。)
 
 
よくあるパターンを書いていこう。
 
よくあるパターンには、
①隠す事による辛さ
②親に同情する事による辛さ
等があるが、①隠す事による辛さを紹介する。その他は今後機会があれば述べたい。
 
 
不倫とは結婚契約の債務不履行である。
つまり、不倫とは裏切りである。
 
ある日子供は親の不倫に気づいた。
だが、子供はそれを配偶者に伝えられない。なぜならそんな家族だとしても、全員同じ屋根の下で暮らしたいという気持ちがあったりするものだからだ。
よって次のような順をたどって不倫する親に苦しむ子供は生まれる。
 
 
①当事者一方の裏切り(不倫)があると、
   通常は当事者がそれを知れば、
   債務不履行によって、
   相手は離婚 又 慰謝料請求
   という選択ができる事になる。
②だが子供は契約を破棄させたくはないし、家族が揉める姿を見たくない。
③以上の理由から不倫の事実を隠蔽するという選択をする。
④内心 裏切りを伝えたいが、
   外面  裏切りを隠す
⑤内心と外面の不一致から、子供には、
罪悪感というものが発生する。
人は自分の罪悪感に不快を感じるため、正当化する術を探し始める。
⑥この隠蔽の原因は元々自分にはない。
   その親のせいで罪を背負ったと思い始めるのがよくあるパターン
⑦やがて、その親を恨み始める。
   不倫する親のせいで辛い。と言い始める。
  (この場合の"辛い"=罪悪感
内心と行動が思い通り一致しないという事)
 
もし子供がこのようなパターンで、親に憎しみや怒りを抱いているのならば、落ち着いて考えるべきなのだ。
怒りの定義で述べたが、怒りとは
自分に媚を売る感情である。
そのため、その親に怒る子供は不倫した親を一方的に責めてしまう。
 
子供は自分から同じ罪を背負ったというのに。だ。
 
不倫をした親の罪が『裏切り』にあるという自分ルールを、子供が持っているのなら、
それを"隠蔽"した子供も共犯のはずなのである。
 
にもかかわらず、罪悪感に対する不快に感情が反応し、怒り、自分を擁護するに至っているというわけだ。
 
 
このパターンにおいて、
親が不倫をして辛い原因は、実は悩んでいる
子供自身が、『裏切りはしてはならない』という自分ルールを自分で破った事にあるというが通常である。
 
親の問題ではなく、自分の信念に反する行いを、損得感情によって犯したから起こっている、子供自身の問題なのだ。
子供はそれが悪いとわかっていながら、しているのと同じ事であり、親を責める資格はない。
どちらも同じようなレベルである。
『元々の原因を作ったのは親のほうだ!』と喚いても、同罪かつ同類蛙の子は蛙である。
 
 
 
つらつらと、王道パターンを述べたが、
隠す事で悩みを抱えているのなら、解決策は簡単である。
 
①信念と損得の優先順位を決める
②行動としては、
    信念優先なら告げ口すればよい。
    損得優先なら隠し通せばよい。
③心持ちとしては、
   信念優先の生き方をしたいなら、
   リスクを恐れない覚悟を決める。
   意地をはって生きると決める。
 
   損得優先の生き方をするなら、
   いっそ信念ごと変える(開き直る)
   悪い事を悪いと思わないようにすれば良い
 
   (先の例なら、『裏切る事は時には仕方ない』という信念に変える等)となる。
世間では、開き直る事を皮肉って、正当化する。というが、べつに悪い事ではない。誰だってやっている事だ。
心を開いて辛くない自分ルールに作り直す事は、自分を守る事でもあるからだ。とはいっても、常に開き開き直る生き方は、
基本的に小物であり、クズの生き方である。自分を省みて、偉そうに上から目線で人を責めない事をついでにお願いしたいものである。)
 
 
 
 

《名言編》

(名言編は、名言ひとつひとつについての、私独自の解釈を定義に沿って述べたものであるので、参考程度にご覧ください。)
 
人はそれぞれの家族を持ち、それぞれが法を持つ
 
私の定義で言っていることそのままである。
ジョン・カルボニエが誰かは知らないが、驚いた。
家族も法も『立場により無数にある』という事だ。
 
 
家庭とは、人がありのままを示す事ができる場所である。
 
これは私の定義にあてると、
家庭というのは『繋がり・愛』を得られる場所。という事になる。
 
これは、そうとも言い切れない。
家の中ですら本当の自分をださなければ、それは愛のない関係。繋がりとは違う関係であるからだ。
 
 
 
今回、重要な名言はこれらである。
 
幸せとは暖かく、愛に溢れた大家族を持つ事である。 
愛は家庭に住まうものなんですよ。子供を愛し、家庭を愛していれば、何を持っていなくても幸せになれるのです。
 
私の定義では、幸せとは通常は欲求の達成であり、
繋がり=愛というのは、私の定義では、普遍的な人間の欲求の一つであるため、愛のある家庭であれば、もうそれで皆幸せだろう。
継続的に繋がりの欲求を達成できるし、繋がりの欲求は人にとってポイントが高い。
愛のある家族を知る者からすれば、それは説明するまでもないだろう。
 
ここでのポイントは、愛に溢れた家族があるという事は、
当然といえば当然だが、愛のない最低な家族も存在する事だ。
 
例えば、
全員にとって家族の存在意義が『支えあい、助けあいや絆』にあるのなら
それだけでその家族は幸福になり得るが、
全員また一部にとってその存在意義が『邪魔、鎖、私利私欲ための道具』となるのなら
トラブルや不幸を無限に生み始める危険がある存在でもある。
 
愛のある家族を作りたいのなら、
理念の明確化と、その共有。つまり多少の努力が必要となるのだ。
家族というのは実際、
支え合いや、愛のある絶対的な存在ではなく、じつに不安定な存在と言えると思う。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
このように、
自分の定義を作成しておけば、
 
今回であれば『家族』について、
時間をかけずとも、
自分はその対象をどう捉えているのかを把握したことにより、
瞬時にその他の解釈を生み出すことができます。
 
自問自答による『定義』というのは、自分だけの
数学の定理のようなものであるのです。
 
以上
応用編を終えます。