自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

喜び・悲しみとはなにか?『定義編』

 
ようこそ
このブログは、自問自答をとおして、
『自分の人生を歩む事』をテーマに、
 
"友とは何か? 人生とはなにか?"
などの様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々の
思考のキッカケになる事を目的に作成しています。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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人生には
なんだか心にぽっかりと穴が空いたような日があれば、
充実して喜びはが絶えない日もありますね。
ではそもそも喜ぶ。悲しむ。とはなんでしょうか?
 
あなたにとって喜び・悲しみとはなんですか?
 
 
私の定義をご紹介します。
 
喜び・悲しみとは?
欲求の対象の充填・喪失により起こる反応(又感情)
 
欲求の種類については学がなく、浮かばなかったので、マズローの5段階説を参照したりしました。仏教なども取り入れれば煩悩・貪瞋痴もまた、喜びや悲しみの根源といっていい事になります。
 
考察において、心・精神には、欲求のバッテリーのようなものが存在するのだと仮説を立てました。さらにそのバッテリーは欲求の段階によって、その”電気”が異なり、喪失した時に悲しみが。充填した時に喜びの反応が起こると定義しました。
 

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幸せと、喜びの違い?
幸福=充足した状態
   喜び=充填時に起こる反応
 
喜びや幸せと感じる事は100%幸福基準が満たされていなくても起こる。欲求を達成するたびに起こり、さらに、枯渇している時ほどその喜びは大きくなる。欲求不満であればあるほど、突如満たされた時、喜びは大きいという事です。
悲しみはその反対と言う事ですね。
 
 
以上喜び・悲しみと言う言葉についての定義を述べましたが簡単な定義だったので、付け加えていきます。 
私の定義では感情とは=反応であり、喜びと悲しみとは、
コントロールできるもの
という事になります。幸せの定義で紹介したましたが、
欲求の枠組みは内面の信念を変化させる事や習慣によって大きくも小さくもする事ができ、常時悲しみに関係する、喪失感、虚無感を感じる事も、常時喜びに関係する、満足感を感じる事も可能です。心の持ち方ひとつで、今日この日が喜ばしくも悲しくもなります。それはみなさん経験済みの事かと思います。
 
喜びの原因に影響する事も、喜びの原因それ自体を変える事もできるからですね。
 
ではどんな行いをすると人は喜びや悲しみを感じるのか?についてですが、
これはもう私の世界観に似ている方で鋭い方ならお判りの事かと思います。
 
 
喜びと悲しみの対象は?
共通しない。人により異なるし無数にある
 
欲求の種類は皆同じ(お腹が空く・眠い等)ですが、その程度や段階、求め方は人により異なります。
 
例えば行動の動機となった欲求が嫉妬の場合を考えましょう。その欲求を達成するため、他者の悪口を言う。他者の足を引っ張る。他者を下に見る...
など行動は無限にあるわけです。そして、人はその欲求の達成に喜びを感じます。 
私は精錬潔白です。などといいながら、人を馬鹿にする事が喜びだったりするのが人間なのです。
 
そしてこの定義をとおして見えてくる事は、
喜びや悲しみなどない。と言う人は自身の欲求を知らない又見ようとしない、気づいていないだけだという事にもなります。
また、喜びの原因となる欲求がわからないと言う人の中には、
自らの欲求の存在を自分にも隠している場合があるので注意が必要です。
そんな人は自問自答してみて、本当の自分に気づき、自身の醜さに気づき、自分を許してあげて欲しいと思います。
 
 
例を一つ出すと、例えば嫉妬によってこの行動をとったのではなく、別の理由付けによって私はこれを行ったのだと信じようとする事があるのです。
 
わかりやすい例を少しご紹介しておきます。(実際にあった話です)

 

ずっとお互い独身だった男の親友にある日彼女ができました。
するとその男は突然、彼女は絶対に魔性の女であり、親友を守るために彼らを別れさせなければならないのだ。という発言をしだしたのです。その男はその発言をしてからというもの、親友カップルにちょっかいを出し続け、とうとう友情さえも破綻してしましました。しかし男はそこで止まりません。これは俺の正義感からの行いなんだ!とカップルにそれ以後もちょっかいを出し続け、しまいにはストーカーとして警察に通報されてしましました。
 

 

簡単な例ですが、私の定義をあてはめると
彼の欲求は嫉妬。そしてその喜びは両者の差を埋める事にあります。 
となれば、彼と自身との差をうめるために相手を別れさせるか、それとも自分が彼女を作るか?という行動が思い浮かびますが、彼の場合は彼を別れさせる事だったわけです。本当に彼女が魔性の女だったとしても、元来友人を助けたいという自己実現欲求の段階の友人であれば友人に断られた段階で忠告をしただけで止めているでしょうから
そこについては考慮していません。
これらの事実だけならまだ良いのですが、彼のやっかいな点はそうですね、自身は正義感から行っているのだ。私は正しい事を行う素晴らしい存在なのだ。と思い込んでいるところですね。
 
彼は嫉妬からそうした行動をとる事を認めたくないのです。(ダサいから)
そして、その差を埋めるため自身を磨く努力をしたくもない。(面倒だから)
さらに、人に批判されたくもない。(人に認められたいから)
 
要約すると、彼を生み出した原因は、
社会的な欲求と嫉妬の欲求の矛盾だということです。 
嫉妬(差をうめたい) ⇆ 社会的(馬鹿にされたくはない) 
以上から彼はこんな行動をとりました。
嫉妬による行動 + 社会的な批判を免れるため自身を正当化した発言
+自分の行動は正義感からなのだと自分に嘘をつく
 
自分に嘘をついて生きていく事は本来辛いと思います。本当の自分がわからなくなり、虚無感に襲われているはずです。
こういった人物があなたのすぐそばにいると思います。なぜなら
本来、心理学者さんがいうように、欲求というのは決まっているのだとすれば、
私の定義と照らし合わせれば愉悦とは一定の欲求から発生するため、人間みな愉悦は方法は色々ありますが、根本は共通している事になるからです。
同じ社会に生きているのなら、すぐそばに同じ人が存在するという理屈です。
 
そしてここでの面白い教訓は、人物の発言を無視して、その人の行動だけ見ていればその人が本当に欲しがっているものは何かわかるようになっているという事です。本人がそれに気づいていなくてもです。
 
 
これらは、よく社会の教科書にも出てくる話です。
これまで人間はたんに闘争の欲求や嫉妬や貪欲等からくる行動であるにもかかわらず、それを正義だの革命だの聖戦だのといい、人を殺し、強姦、略奪し、文化を焼いてきた歴史があります。その本質はただ、殺したい、排除したい、強姦したいだけなのにです。
 
身近なものでもこのような例は存在します。わかりやすい例では、
たんに闘争の欲求や社会的欲求や嫉妬による行動であるのにもかかわらず、
それを自己成長だの魂の成長だのコミュニケーションだの世界のためだのと言い、スポーツをし、経済競争・経済成長し、物質主義的な夢を追いかけたりする人がいます。
その本質はたんに、争いたい、褒められたい、差を埋めたいだけなのにです。
(自己実現欲求の人は除きますが少数派でしょう。)
 
こう見ていくとこれらは一概に善悪は言えませんね。 
歴史は明らかに人類の希望とはかけ離れた悲惨なものですが、
これらが本能に備わっていると言う事は、それら嫉妬等が生存するために必要だったと言う事なのかもしれません。しかし、簡単に考えれば人類の問題に何が最善かは一目瞭然です。
 
出し抜こうとしない事。
開発なら持続可能で永続的なものを目指すこと。
競争はしてもいい場合があるが公平性を重んじる事。敗者にチャンスを与える事。
原則は争って競いあうのではなく、協力し会う事。
奪うのではなく無償で与えあう事。思いやりを持つ事。
他者の自由を侵害しない事。
馬鹿にしあうのではなく大切に思いあうこと事
 
 
あげればキリがないですが、全て人間の欲求に反するルールですね。
人間が聖人となれる日は、まだまだ先の事なのかもしれません。
 
 
そんな気もするが、違う気もする。
とお思いでしょうか?
 
大丈夫です。なぜならこれは、
"私"の『喜び・悲しみ』に対する"定義"だからです。
 
あなたが納得できなければ、
あなた自身で自問自答をすれば、別の"定義"が作成できるはずです。
(私のブログの読み方 参照)
 
自問自答の定義の意味が、ご理解いただけましたでしょうか?
 

 

次回、定義の応用編をご覧ください