自問自答のすすめ

『人生が変わる。自分を変える。』

喜び・悲しみとはなにか?『考察編』

ようこそ
このブログは、自問自答をとおして、
『自分の人生を歩む事』をテーマに、
 
"友とは何か? 人生とはなにか?"
などの様々な難問に対し、
私自身の『定義』を作り
応用していく過程を公開する事で
 
ご覧になった方々の
思考のキッカケになる事を目的に作成しています。
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【前書き】(ブログをご覧になる前に)
私のブログの読み方 (自問自答の方法 記載)
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今回の定義
喜び・悲しみとは?
欲求の対象の充填・喪失により起こる反応(感情)】
喜びと幸せの違い?
【幸せ…充足した状態 
 喜び…充填した時に起こる反応】

 

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私は以前の記事でこのように定義を作成していきましたが、
『考察編』では、定義作成までの流れをご紹介します。
 
お悩みの方などは、
『応用編』をご覧ください。
 
(『考察編』は、実際に
『自問自答』をご自身で行っていただき、
テーマの本質をあぶりだす流れを体験していただく事を目的としていますので、
私の自問自答につきましては、
参考としてご覧ください。)
 
自問自答の方法については、
私のブログの読み方 をご参考ください。
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❶辞書等、世の中の定義を集める
なんとなく世の中の定義が掴めたら次に進みます。
 
喜びとは?
 よろこぶこと。うれしく思うこと。⇔悲しみ
 祝いごと。おめでた。慶事。
 祝うこと。祝いの言葉。
 与えられた慶事や好意に対するお礼。また、その謝辞。
 
 
悲しみとは?
 1 悲しむこと。悲しい気持ちや心。悲嘆。
 2 (愛しみ)いとおしむこと。情愛。
 

 

 
 辞書では、なんと
 悲しむ事とは、悲しい事である。
 喜ぶ事とは、喜ぶ事である。
 という説明がなされている。
 感情を言葉で説明しようと思っても、難しいといったところなのだろうか? 
とりあえず、ある程度世の中の定義がわかったら、次に進む。
 
 
❷言葉の使用例等を集める
 
苦労の分喜びが大きい
受賞の喜び
喜びが続く
悲しみとは喪失感
悲しみとは虚無感 やりきれない気持ち 虚しさ
失恋の悲しみ
失敗による悲しみ
裏切りによる悲しみ
軽蔑による悲しみ
嫌われる事による悲しみ
他者との比較による悲しみ
死者に対する悲しみ
悲しみに暮れる
悲しみの色を浮かべる
… 
 
まとめる 
悲しみ、喜びは続くということは、止む
悲しみ=喪失 虚無 やりきれない虚しさ等、『心が空っぽ』という表現と繋がる印象を受ける。
喜び=満たされ、嬉しいという感情、ウキウキするような感情が起き、『心が満たされる』という
表現と繋がる印象を受ける。 
世間一般で嫌な事=悲しみ
いい事、ありがたいこと=喜び
 
世間のテーマへの解釈や、
偉人達の解釈がなんとなく掴めたら次に進みます。
 
違和感から仮説を立てていきます。
違和感がなければ、定義確定です。
違和感こそが、あなたが見ている世界の対象物の本質への鍵です。)
ん?そんな使い方するか?
と感じたと言う事です。
そうして、 次の手順に進みます。
 
 
❸仮説を立ててみて、一つ一つ自問自答し確定させていく。
 
仮説『悲しい・嬉しい。といった、感情の一つ』確定
 
…省略…
 
辞書で説明できないのは、悲しみや喜びというのは、その言葉に意味があるのではなく、
反応それ自体だからだ。
 
『椅子』といえばどういったものか説明のしようがあるが、
『喜び』といった場合、どんな表情で、どんな反応が体に起こり、どんな気持ち。などというのは辞書では説明しづらい。ある種学問じみてくる。
 
 
この仮説は正しいように思う。
正しい。しっくりくる。と思った時点で仮説を確定してok
(確定したら、仮説の横に確定と書くとわかりやすいです。)
 
 
 
私の定義では、
『感情=反応』(怒りの定義参照)であるため、喜びとは反応であるという事になる。
 
 
 
反応であると定義づけたのなら、
①なにが原因で反応し
②どんな結果を生むのか? 
がわかれば、喜びや悲しみの全容があらわになると判断できる。 
 
 
仮説『①原因は喪失と充填』△
 
正しいだろうか?
①例を出す。(実際に世の中の事案や定義にあてはめていく)
喜び…説明は省略するが、主に満たされた時に起こる感情であると容易に想像できる。その前提を覆す必要はないと感じたので省略した。 
悲しみ…主に喜びの対義であると辞書にある。そのため喪失による感情だと判断した。このあたりについては深く考えていない。
思いついた喜びと悲しみの関係性は、このような関係性という事だ。
 
 
②反対意見をだす。(批判)
物を失った時喜ぶ事はあるだろうか?と問えば、もちろんある。よって当てはまらないはずだ。
失いたかった物を失った時や、捨てたいものを捨てられた時、
嬉しいではないか。
 
悲しみもそうだ。
なにかを得た時悲しい事はあるだろうか?と問えば、もちろんある。
愛してない異性を抱いた時などがそうだろう。
これも当てはまらない筈だ。
 
③第三の意見を出す。
例えば喪失の対象物について、失いたい時があり得る。
しかし、その時でさえ失いたいと願った心は満たされている。
つまり、充足の対象は内面であり、外面ではない。と仮定すれば納得がいく。外面の物質的充足と、感情において、内面の充足は異なる事もる。という事だ。
 
内面が充足していれば人は喜ぶ。
外面が貧しく、大切な物を失い、何も後に残っていないとしてもだ。
 
仮説『原因は内面の充填と喪失』
 
ここからこのようなことも導き出せる。
『なんらかの悲しみと喜びを図る基準となるような、枠が存在する。』
充填と喪失があり、
その枠が満たされると満足し、
枠が枯渇すると悲しみが続く。
 
さらにその枠は人ごとに異なるのだろう。
でなければ、人ごとに悲しみが異なる理由が説明できない。
 
このような図が思いつく
 
【喜び  充填 ⇆ 喪失 悲しみ】

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バッテリーの画像で例えると、
私たちが心と表現するこの枠組みの中の”電気”となるなにかが
満たされると喜び・喪失すると悲しみが起こるように人間は作られているのではないだろうか。と判断した
 
このバッテリーの”電気”はなんだろうか?
 
仮説『電気=満足度』確定
 
心にある枠を満たす"なにか"が確かにある。
 
これを”欲求”と仮定してみよう。
するとこれは古い記事だが、幸福の定義と同じだと仮定したということだ。
私の定義では、喜びと幸せは同じ意味だという事になる。
 
ご覧になってはいない方のために、幸福の定義を引っ張ってきた。
幸せとは…【満足】(欲求の達成時)
幸福とは…【継続的満足】(継続的欲求の達成)
欲求…食・性等の生理的欲求 安全欲求 居場所欲求 承認欲求 自己実現
(マズロー欲求から参照)
 
喜び…【満足】(欲求の達成時)
とするなら同じだ。という事だ。
 
②反対意見をだす。
喜びは感情であるのに対し、幸せは感情ではないはずだ。
…省略…
幸せとは状態をさすのではないか?
 
③第三の意見を出す。
喜びとは、幸せや充実を示す感情
悲しみとは、不幸せや虚無を示す感情であり、
幸せとは喜び(充填)により、枠が満たされた状態をいう。
つまりこういう事だ。
欲求を達成した→喜びの反応○○欲求が満ち足りた→幸せ状態】
 
…省略…
ある程度、確証を得たので、この仮説は確定する。
 
 
欲求のバッテリーが心にはある。
その種類は欲求の数存在し、
マズローの説(下記)を採用するならバッテリーは連なっており
生理的→安全→社会的→尊厳→自己実現 という枠が存在し、準々に満たされていく。
 
個々のバッテリーの電気については個々でそれぞれ減少しはするが、定期的に満たされる状態=そのレベルでの幸福状態を達成していく事で次の段階へとバッテリーへと電気が充填されていく。
 
最小に満たしていくバッテリーほど、人間にとって最も大事な欲求と言える。
生理的欲求などは、自分の生命を維持するために、体に緊張状態をもたらすための機能ともいえるからだ 。
 
 
定義を作成していくにあたって、私が一方的に一旦取り入れる事にしたのが、このマズロー欲求5段階説である。
欲求には種類があり、段階を得て、人は異なる欲求を求めていく、というものなのだが、
欲求に種類があるだろうというのは実感として私自身にあり、ただそれが何種類くらいに分けられるのか、
一つ一つデータをとっていては時間が勿体無いので、一方的に妙に納得いった事からこの人の説を採用した。
 
もちろん納得いかない人はここで好き好きに心理学者等の欲求に対する論を取り入れてみていいと思う。
 
 
仮説『悲しみ・喜びは共通しない。確定
…省略…
 
充足感の基準も、
喪失感の基準も人により異なるためだ。
当たり前である。
 
 
例えば誕生日プレゼントを貰ったら人は必ず喜ぶわけではない。悲しくなる人さえいる。
 
では、悲しくなる人の例だと、その理由はどんなものだろう?『誕生日を迎えたくない。いつまでも若くいたい。』と考える人にとって誕生日は若さを失う日(喪失)であり、それに伴う内面の喪失感がプレゼントによる充足感(充填)を上回れば、なんだか悲しい誕生日となるわけだ。
 
また、『欲しい物ではない。』と考える人にとって、
欲求は充填されていないのに、
かわりに自分の行動を制限(喜ぶフリ)される事によって、
むしろプレゼントをもらう事が不快にすらなりうる。
 
とまぁこんなのも当然の話だ。
 
②反対意見
 
プレゼントは好意で渡すものだ。
喜びを感じるのは皆同じ
家族が死んで悲しいのだって皆同じだ。
 
プレゼントをもらって喜ばないのはおかしい。
家族が死んで悲しくないのもおかしい。
喜びや悲しみは共通している部分だってあるはずだ。
違うと言い切るのは違和感がある。
慣習や欲求が決まっている以上ほぼ共通する喜びがある。
 
③第三の意見を出す。
 
欲求については人間全員が共通すると考えると、例えば、承認されたい(繋がり)、お腹が空いた、眠たい、社会的地位が欲しい。などは共通する事になる。(程度は異なる)
 
社会が形成されている以上通常欲しがる物や、感じている事など
共通する部分がある。
 
例えば子供が欲しい。持ち家が欲しい。
車が欲しい。財布が欲しい。などだ。
 
これらを授かれば誰だって嬉しいはずだ!!
と思う人が大半だろう。
 
しかし少し考えればわかる。
持ち家は邪魔だと思う人
車は運転できない人
財布は持たない主義の人
 
などからすればプレゼントされても喜ばしいとは思わない。
欲求が共通するにせよその欲求を満たす対象物は、その人の欲求のバランスによって異なるため、共通するとは言えないわけだ。
 
年末にお歳暮でハムを送る人等がいるのは、
好みによってあまり分かれる事がなく無難だからだろう。
しかしそれでもやはり、ハムが嫌いな人や食べられない人だっているのは当然である。
 
 
仮説『喜びの感情は枯渇しているほど大きくなる』確定
 
…省略… 
 
運動した後の水と
コーラをお腹いっぱい飲んだ時の水の
美味しさの違いを考えれば一目瞭然である。
 
喜びの枯渇とはすなわち、不幸である。
不幸をしるものほど、本当の喜びという感情と高まりを知るとも言える。
悲しみを知る。という言葉があるがそうではない。
不幸を知る。が私の定義では正しい表現になる。
 
 
仮説『喜びや悲しみはコントロールできる』確定
 
…省略…
 
怒りと同じように、
自身に起こる体の反応なのだと考えると、
当然導き出す事ができる。
反応なのであれば、原因があるからだ。
その原因を探れば、悲しむ事も、喜ぶ事も可能なのだ。
 
 
 
仮説『突発的・継続的なものがある』
 
悲しみが継続する。
悲しみが長い間続く
と世間では表現するが、私の定義では、
それは不幸である。悲しみとは感情であり、
状態は満足ではない状態。不幸状態だからである。
 
悲しみやなにか出来事によって不幸となったなら、
あなたはまた欲求を満たす旅を始めなければ一生不幸のままである。
 
 
まとめると、
欲求とは自己への要求であり、
欠乏や体の維持のためか、体が反応し、緊張する事で自らを行動へと駆り立てるような機能を有しており、その欲求の達成があると喜びという反応が起こり、さらにその量が満ち足りた時、幸福感を得る。
反対に欲求を満たしていたなんらかの物質や事柄を失うと、悲しみという感情を抱き、不幸状態に陥り、
欲求不満となる。という事だ。
 
感情というのはやはり、
自分自身の体や精神の何らかの防御の機能であり、
自然と自分の社会的な立場・生理的な状態等、満たす事を求めるように作られているのだととる事ができる。
 
出た定義を覚えておく
 
ある程度仮説が固まったら定義を作ります。
どこかにメモしておくなどして、覚えておきましょう。
 
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自問自答の過程についてご紹介していきましたが、正直わかりづらいと思います。
人の思考の痕跡というのは、わかりづらいのが当然なのです。
 
私がこのブログで興味を持っていただきたいのは、私の見解や、定義についてではあり
ません。自問自答それ自体についてです。
 
世の偉人たちは、一致してこう説いています。
最も重要なのは、自分で思考し、答えを出す事なのだと。